第614話 一蓮托生

 王都を脱出して、早くも丸一日が経とうとしていた。

 野宿ながら一晩ゆっくりと休んだことで体調はほぼ万全に近い状態にまで戻ってきている。


 異常という異常は未だ使用不可能となっている『神眼リヴィール・アイ』くらいだろうか。

 ディアが新たに『神眼』を超える権能を得たと訊き、俺の情報を見てもらったのだが、結果は何故か失敗。

 ディアでも原因がわからないということなので、今はそのまま放置している。


 途中途中、休憩を挟みながら俺たちは西を目指し進んでいた。

 昨夜、エステル王妃から協力の打診を受けた俺たちが、今もこうして共に行動をしていることからもわかるように、昨夜の俺の回答はイエスだった。


 元より一蓮托生のつもりで脱出計画を立案し、実行に移したのは俺たちなのだ。今になって匙を投げるつもりは毛頭なかった。


 そんなこんなで軍の殿も務めることになった俺たち『紅』とプリュイは、リーナたちとは別の馬車に乗り換え、後方の警戒にあっている。

 ちなみにイグニスにはリーナたちと同じ馬車に乗り続けてもらっていた。


 理由は二つ。

 一つは言うまでもなく護衛だ。

 俺たちがいくら血眼になって後方を見張っているとはいえ、見落としがないとも限らない。

 例えばロザリーさんが持っているような上位の隠密系統スキルを持っている敵がいるとしよう。隙を突き暗殺を狙っているかもしれない。その時に車内に戦える者がカイサ先生とリーナだけでは一抹の不安が残ってしまう。

 故に抜け目がなく、しっかり者であるイグニスに護衛を頼んだというわけだ。


 そしてもう一つの理由はリーナの監視にある。

 王都陥落の報せはまだ俺たちの耳には届いていないが、おそらくそれも時間の問題だろう。一応、エステル王妃もリーナに対して情報封鎖をそれとなく行っているようだが、そう遠くない未来にリーナは真実を知ることになってしまうことは間違いない。


 敬愛する父親の死を知ったリーナが果たしてどんな行動を取るのか。

 粛々と事実を受け入れてくれるなら手間はない。

 しかし実際問題、リーナは酷く悲しみ、荒れてしまうだろう。

 当たり前だ、愛して育ててくれた肉親の死に何の痛痒も覚えない人など、なかなかいない。

 ともなれば、王都に単身で戻るといっても何ら不思議ではないだろう。

 だが、国家の存亡を危惧している今、彼女に配慮してあげられるほどの余裕はない。

 リーナの耳にはまだ入っていないらしいが、リーナは既にマギア王国の王女ではなく女王なのだ。みすみす殺させるわけにはいかない。

 リーナが脱走をしてしまうという最悪の状況を回避するためにも、イグニスに監視役を任せたというわけだ。

 ちなみに、このことはカイサ先生にもエステル王妃にも承諾を得ていた。


 ガタガタと音を鳴らして進む馬車の扉が勢い良く開け放たれ、そこからフラムとプリュイが乗り込んでくる。


「羽虫が少しずつ湧いてきていたぞ。プチっと簡単に潰せたが」


「プチっと、って……」


 呼吸一つ乱さずに警戒から戻ってきたフラムが物騒な言い方でシュタルク帝国軍の斥候が近くにいたことを得意げな顔で教えてくれた。

 一方でプリュイはどこか不満げな表情を浮かべ、文句を垂れる。


「妾だって掟さえなければ、あの程度余裕だ! いや、妾ならもっと手際良くだな――」


「お前は目だけは良いんだ。口ばっかり動かしてないで馬車の上で見張りでもしといてくれ」


「ぐぬぬ……っ!」


 掟に縛られている以上、いくらプリュイが弓の名手とはいえども、使い勝手はどうしても限られてくる。

 追い払うだけでは駄目なのだ。情報を持ち帰られてしまうと、さらなる追っ手が俺たちに迫ってきてしまう。

 しかし、だからといって捕らえるというのも面倒。唯でさえ馬車はどれも満員。捕虜を得たところで足枷にしかならない。


 ともなると、殺してしまうのが最良の手となる。

 殺すのは嫌だなんて言っていられるほどの余裕なんて今の俺たちにはないのだ。

 胸にチクリと軽い痛みを感じながらも、俺はそれを無視するしかなかった。


「うがぁぁぁあ! ばーか、ばーか! 今に見てろよ! 妾だってな! 妾だってな!」


 そんなことを考えているうちに、いつの間にかプリュイが壊れて叫んでいた。

 マリンブルーの美しい髪はプリュイ自らの手によってボサボサに。前髪がだらりと垂れ、目元を隠してしまう。


「もう少し優しくしてあげて。プリュイだって頑張ってるもんね?」


 すかさずフォローを入れたディアは流石だと言いたいところではあったが、その優しさがプリュイのプライドをより傷つけてしまっているとは全く思っていないようだ。

 憐憫の眼差しをディアから向けられ、プリュイはより激昂する――かと思いきや、不気味なことに暗い笑い声を上げ始める。


「くくっ、くくく……。妾を馬鹿にしていられるのも今のうちだ。いずれ貴様らはむせび泣きながら妾に感謝と尊敬の念を……ブツブツブツ」


 不穏な空気こそ感じないが、何かを企んでいることは間違いなさそうだ。とはいえ、今ここで訊いても正直に答えてくれる気配はない。

 今はプリュイの企みが俺たちに不幸ではなく幸運を齎してくれることだけを祈る他ないだろう。


 不気味に笑いながら再度馬車から出ていき警戒に戻っていくプリュイを見送り、ようやく車内に平穏が訪れる。


「なんだか久しぶりだね。三人だけの時間って」


 そうディアに言われて初めて気付く。

 俺たち『紅』の三人だけで時間を過ごすのが、随分と久しぶりのことであるということを。

 この国に来てからというもの、アリシアやプリュイ、他にもロザリーさんらラバール王国の人たち、それからリーナなど、多くの人たちと関わり、共に行動をしてきた。

 時には単独行動をする時もあったが、三人だけというのは本当に久しぶりのことだ。


「うむ、確かにな。この国に来るまでは、まさかここまで大事になるとは思ってもみなかったぞ」


 そんな言葉とは裏腹にフラムの表情には余裕が見て取れた。

 一方でディアは……、


「……うん。でも、きっとあともう一踏ん張りだと思うから、最後まで精一杯頑張らなきゃ。わたしのせいで傷つく人たちをもう見たくないから」


 ディアの顔に憂愁の影が差す。

 おそらくディアはこの戦争が起きた引き金が自分にあるのだと思い、責任を感じているのだろう。


 もちろん、それは彼女の思い込みであって、実際にはそんなことはない。

 事実、この侵略戦争はディアが封印から解放される前から動き出していた。

 アーテが俺たちをこの国に誘い出したのは、もはや覆しようのない結末を現場で見せつけることで、俺――たちの心を弄びたかったとしか思えない。

 かといって、『気に病むことはない』なんて気休め程度の慰めの言葉を囁いてもディアの心の傷は癒えることはないだろう。


「大丈夫。脱出計画だけは何としてでも俺が成功に導いてみせるから」


 そう言い、何の根拠もない自信に溢れた笑みをみせた俺は、警戒を行うためにプリュイの後を追って馬車の外に出たのであった。




 この日から二日後の朝、マギア王国全土が震撼するほどの発表がシュタルク帝国から行われた。

 王都ヴィンテルの陥落と、前国王アウグスト・ギア・フレーリンの討死。


 それらの情報は俺たちのもとまで一瞬で届くことになる。


 届いた情報はそれだけに留まらない。

 増援を迎え、王都の占領に成功したシュタルク帝国軍は再度進軍を開始。

 道中にある小さな町や村などには一切目もくれず、フレーリン王家の生き残りを――正統な血筋を持つ王位継承者であるカタリーナ・ギア・フレーリンの確保に動いているとのことであった。

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