第613話 国境線
情報の擦り合わせを終えた俺たちは今も馬車に揺られ、西の地を目指している。
それにしても、俺の預かり知らぬところで本当に色々とあったようだ。
フラムが警戒していたセレーメというエルフが王都脱出計画を嗅ぎ付け、ディアとプリュイと戦っていたことなどは、まさに予想外だった。
結果的には逃げられてしまったらしいが、ディアたちが無事ならそれでいい。
もちろん、追っ手が来るであろうことは念頭に置いとかなければならないが、流石に王都が陥落するまでは俺たちに人員を割く余裕はいないだろう。
心臓を鷲掴みにされたような痛みが胸に走る。
俺たちの脱出計画はアウグスト国王ならびに、多くのマギア王国兵の犠牲の上に成り立っているのだと思うと、罪悪感で押し潰されそうになる。
マギア王国の未来を繋ぐためには必要な犠牲だったと簡単に割り切るような真似はどうやら俺の性格的にできないらしい。
その点、エステル王妃は凄いと言わざるを得ない。
馬車の中ではリーナに覚られないよう、気丈に振る舞っているようだが、おそらくエステル王妃は夫であるアウグスト国王がどうなるのかを完全に理解しているようだ。
一方、リーナはまだ何も気付いていない。
きっと彼女のことだ。事実を知ってしまえば居ても立っても居られず、父親を助け出すために馬車から飛び出して王都に走り出してしまうだろう。
適度な緊張感と、エステル王妃が隣に座っているという安心感が彼女の思考能力を奪っているのかもしれない。
だが、それも時間の問題だ。
近い将来、彼女は真実に気付いてしまうだろう。
その時にリーナが一体どんな行動に出るかわかったものではない。
泣き崩れ、罵声を浴びせて来るだけならまだマシ。危惧すべきはやはり王都に戻ってしまうことだ。
そうはさせないためにも、それとなく見張っておく必要があるだろう。
夜の帳が下り、馬車が一斉に停止する。
シュタルク帝国軍から逃れるためにも、本来ならば不眠不休で西を目指し続けた方がいいのだが、歩兵を多く抱えているし、馬にも休息が必要。
街道から外れた開けた場所で野営の準備を行うことに決まった。
一万にも及ぶ軍勢が野営をするともなると、やはりと言うべきか、かなり大掛かりな準備が必要となってくる。
それなりに開けた場所を確保したようだが、流石に一万人が一斉に休めるほどのスペースはない。
というわけで、俺とディアは今、せっせと開拓じみたことを行っていた。
木々を根っこから掘り起こし、土系統魔法で整地を。その後、掘り起こした木々は風系統魔法で細切れにし、薪として利用できる状態にしていった。
「こんなもんかな?」
「うん、十分だと思う」
作業は三十分程度で完了した。
作業量的なところでいうと俺が三割、ディアが七割といったところだろうか。
魔力を補充してもらったというのに、何とも情けない話だ。
とはいえ、無尽蔵の魔力と卓越した魔力制御能力を有しているディアにはどう足掻いても敵わないので、格好つけようとしたこと自体がそもそも間違いだった。
「俺たちも一度、戻ろうか」
作業を終え、一度フラムやリーナたちが待機している馬車へと戻ろうと、ディアに提案したその時だった。
複数の松明の灯りが明確な意図を持って俺たちに近付いてきたのは。
騒ぎになっていないことを考えると、敵である可能性は皆無。特に構えることもなく、来訪者を迎える。
「作業中に悪いな。少し話を訊いてもらってもいいか?」
「大丈夫ですよ。ちょうど今終わったところなので」
そう声を掛けて来たのはカイサ先生だった。
後ろに五人を引き連れており、その中には馬車をご一緒させていただいたエステル王妃が。それから見たことはないが、格好だけで貴族だとすぐにわかる人たちが四人。
全員がどこか神妙な面持ちをしているように俺には見えた。
野営地の端にいたこともあり、俺たちの他に周囲に人の気配はない。そのままカイサ先生の話を訊くことにした。
「回りくどい話は苦手でな。コースケ、ディア、お前たちに頼みたいことがある」
「頼みたいことですか?」
ここまで深入りしているのだ。無理な頼みじゃない限り、今さら断る気はない。
嫌な顔一つせずに俺がそう答えると、カイサ先生の横からエステル王妃がスッと前に出て、口を開く。
「ロブネル侯爵、ここから先は私が」
馬車の中にいた時とは違い、少し堅苦しい雰囲気をエステル王妃が纏っているのは、おそらく他の貴族の目があるからなのだろう。
俺としてはもっと砕けた感じの方がありがたいのだが、そんなことを言えるはずもなく、そのまま耳を傾ける。
「カタリーナをマギア王国の新たな王とするために、あなた方の力をお貸ししていただけませんか?」
やはりエステル王妃は気付いていたのだ。
アウグスト国王が助からないということを。
そこからエステル王妃が語ったのは、アウグスト国王が逝去する前にリーナが女王となったことを広める必要があること、今いる場所より西に住む民を安全な地まで移動させること、そして最後に新たな国境線を引くこと。
要点だけを掻い摘んだが、これら三点が新たなマギア王国を形成し、盤石なものとするために必要不可欠だとのことだった。
エステル王妃の話を訊き終え、考える。
漠然と力を貸してほしいと言われたが、正直俺たちに何ができるのかわからない。
リーナが女王となったことを広めるという点に関しては俺たちにできることはないだろう。
所詮は他国の人間であり、この国において俺たちは地位も名誉も持っていないからだ。仮に俺たちが各地で吹聴して回っても、大きな効果は見込めそうもない。
では、民の移動に関してはどうか。
各地にゲートを設置して回り、俺だけ先んじて目的の地であるマギア王国第二の都市ボルプラッツに出口となるゲートを設置することはできるかもしれない。加えて、ディアから魔力供給を受ければ魔力切れに関する心配もいらないだろう。
しかし、各地に点在する数十万、数百万の民をゲートだけで移動させるというのはあまりにも非現実的だ。
様々な都市や町や村を俺一人で回るだけでもかなりの時間を費やすことになってしまうというのに、そこからさらに民の誘導や荷造りをする時間などを考えると、やはり難しいと言わざるを得ない。
最後に、新たな国境線を引くという話。
俺の予想が正しければ、おそらくエステル王妃の本命はこの件だろう。
詳細な話こそまだ訊かされていないが、エステル王妃の口振りからして十中八九、どこに国境線を引くのかある程度の算段がついているはず。
シュタルク帝国が攻め入りにくく、かつ防衛がしやすい場所。
そんな理想的な地形が仮にあるのだとしたら、その地の確保を急がなければならない。そして、そこからさらに補強を進めるだけの時間を確保しなければならない。
無論、シュタルク帝国が王都より先の地を求めてくるとは限らないが、保険――すなわち防衛戦力は絶対に必要だ。
だが、その防衛戦力が今のマギア王国にはほぼ皆無に等しい。まともな戦力となり得るのはカイサ先生が率いてきたロブネル侯爵軍くらいだろう。
西方に領地を持つ貴族に当てがあるのかはわからないが、どちらにせよ戦力の確保は急務。
そこでエステル王妃が白羽の矢を立てたのが俺たち『紅』だ。軍の
俺の思考が纏まったタイミングを見計らい、エステル王妃がカイサ先生に声を掛ける。
「ロブネル侯爵、地図を」
カイサ先生はエステル王妃の指示に従い、何処からともなく地図を出して広げると、松明の灯りで地図を照らした。
その地図の上をエステル王妃の指輪一つ嵌めていない飾り気のない細い指がなぞっていく。
現在地をまず示すと、そこから西にある程度進み、東西を分断するように水色のインクで描かれた川らしき場所で指が止まった。
「現在地からおよそ一週間ほどのこの地に、レド山脈から湧き流れてくる水でできた北の海まで続く河川と、北部まで続く巨大な渓谷があります。――そこで私たちは、この地に新たな国境線を引きたいと考えているのです」
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