第612話 奮闘の成果
「クソが、クソが、クソが、クソが……」
傷だらけの身体を引きずりながら怨嗟を呟くセレーメ。
ディアとプリュイとの戦いで敗走を余儀なくされたセレーメはボロボロになりつつも、西から南へと身を隠すように大回りをし、南壁から離れた場所に布陣していたシュタルク帝国軍とようやく合流を果たす。
そんなセレーメを出迎えたのは、これまた腕と足を一本ずつ失い重傷を負っていた
ニカリと大きな笑みを口元に浮かべ、大手を振り、怒りを隠そうともしないセレーメに近付いていく。
「がーっはっはっはっ! どうやらお前さんもこっ酷くやられたようじゃのう! かくいう儂もこの通りじゃ」
そう言って、地竜王は義手と義足になった箇所を陽気に見せつける。
地竜王の治癒能力は極めて低く、自己治癒に頼ろうものなら、完治まで最低でも数日は要してしまう。
かといって四肢の欠損はそんじょそこらの治癒魔法師では治療は難しい。それが人間とは身体の造りからして異なる竜族であればなおのことだった。
故に地竜王は身体の欠損を治療せず、放置せざるを得なかったのである。
そして地竜王の右腕であり、盾であるドレックの状態も二人と大差はなかった。
フラムの猛攻をその身に請け負った反動で魔力は底を尽き、今となっては意識を保っているだけで精一杯。
地竜王と共にセレーメを出迎えにいかず、今は天幕の中で横になり、魔力の回復に努めている最中だった。
そんな激闘の末の負傷だったにもかかわらず、セレーメは地竜王の心配をするどころか、不甲斐なく南壁から撤退をしていたことに憤る。
「笑い事じゃねぇんだよ、クソジジイ。軍がこんな場所まで退いてるってのはどういうことだ? 私がいつ撤退してもいいと許可を出したんだ? あん?」
「仕方あるまいて。相手が想定以上に強かった、それだけのことじゃ。それに撤退をしていなければ、今頃皆殺しにされていたやもしれん。一時撤退をしたことで王都攻略に時間が掛かってしまうじゃろうが、軍を壊滅させられるよりもマシじゃろう」
度重なる敗北から頭に血が上っていたセレーメだったが、地竜王のぐうの音も出ない正論で頭を冷やす。
「……チッ。今から怪我の治療に専念する。それから、私の傷が癒えるまでの間に斥候を向かわせておけ。場合によってはすぐに軍を出撃させる。いいな?」
「王都が陥落するのも最早時間の問題じゃろう? そう急く必要はなかろうに」
「東の奴らに手柄を横取りされるところを指を咥えて見てろと言いてぇのか? 冗談じゃねぇ」
それだけを言い残し、セレーメは近くに設置してあった天幕の中に引っ込んでいく。
治癒魔法を使用している最中、彼女は無防備を晒すことになってしまうため、軍と合流するまで怪我の治療を後回しにしていたのである。
天幕の中に引っ込んでいった背中を見送った地竜王は苦笑と共に小さくはないため息を漏らす。
「東は東で苦戦しているらしいのじゃが、そんなことを言える雰囲気ではなかったのう」
「殺す、殺す、殺す……」
東の戦場からやや離れた場所にも、親指の爪を噛みながらひたすら怨嗟を呟く者がいた。――紅介に幾度と命を刈り取られた青年である。
青年の周囲には十を超える干からびた屍が転がっており、ここで何が起きたのか鮮明に物語っていた。
「……」
そんな中、青年の傍らで一言も言葉を発さずに佇む少女が一人。言うまでもなく、窮地に陥っていた青年を間一髪のところで救助した《
少女は青年を慰めるわけでも激励するでもなく、ただただ青年が呟き続ける怨嗟を聞き流す。
その様子はまるで感情も心もない人形そのものだった。
それが少女のいつも通りの姿ではあったが、命を救われたこともあってか青年の目にはいつもと違って見えた。
声を掛けてみたら、もしかしたら返事があるかもしれない。
頭では『そんなことはないだろう』と思っていながらも、怨嗟を呟くことに飽きた青年は気分転換のためにも声を掛けてみることにした。
「君はただの監視役だろ? なのに、どうして僕を助けたりしたのさ」
奇跡……というほどではないが、珍しいことに青年の声が少女に届く。
少女の空虚な灰色の瞳が、すっかり覇気をなくしてしまった青年の群青色の瞳を見つめる。そして、おもむろに口を開いた。
「……見て守ること。それが与えられた役割だから」
透き通った少女の声に、青年は眉を驚愕でピクリと僅かに動かす。
返事があるとは微塵も思っていなかったし、期待もしていなかったからだ。
それほどまでに少女が口を開くことは稀有なことだった。
「お陰で僕は助けられたってわけか。あーあ、皮肉なもんだね、お人形さんって馬鹿にしてた君に助けられるなんてさ」
「……」
返事はなかった。
とはいえ、機嫌を損ねたからではない。口を開く必要性を少女が感じなかっただけである。
「ふぁ〜ぁ、とりあえず僕は疲れたから休ませてもらうよ。セレーメたちだって休んでるのに僕だけが働かせられるなんて納得できないからね」
青年は功績なんてくだらないものよりも休息を選ぶ。
どこまでも怠惰で、どこまでも堕落。
それが青年の生き方であり、在り方だった。
こうして紅介たちの働きにより、シュタルク帝国軍の攻勢は一時的とはいえ、増援が到着する日まで緩やかなものとなっていく。
これにより、マギア王国の未来は首の皮一枚のところで繋がった。
しかし、こうまでしてもこの戦争の勝敗は覆らない。
勝者は変わらない。
マギア王国王都ヴィンテルの陥落は避けようのない未来だった。
――――――――
忙しなく回転する車輪の音。一定のリズムで訪れる振動。
そして、後頭部に感じる柔らかな感触と、ほのかな温もり。
それらによって急速に意識が浮上していき、俺は目を覚ました。
ゆっくりと瞼を開くと、ここが馬車の中であることにすぐに気が付いた。
「ここ、は……?」
寝ぼけ眼を擦り、身体を起こそうとする。
が、その前にルビーのように燦々と輝く紅い瞳とバッチリ目が合う。
「……良かった。おはよう、こうすけ」
「おはよ……えっ!?」
ディアの優しい声で意識が完全に覚醒した俺はガバっと勢い良く身体を起こし、すぐ隣の空いていた席に腰を下ろす。
顔が燃えるように熱い。
紅くなっていることが自分でもわかってしまうほど顔だけではなく全身が熱を持っている。
羞恥のあまり視線を自分の膝に落とそうとするも、その前に好奇の視線が俺に集まっていることに気付く。それからすぐに小さな笑い声が聴こえてくる。
「くくっ……。主よ、顔が真っ赤になってるぞ」
「あははっ、見せつけてくれるッスねぇ~」
冷やかしの声の主は間違いない、フラムとリーナだ。
ギロリと抗議の意味も込めて視線で訴えかけるが、愉しそう笑うだけで効果はまるでなし。大人の対応を見せてくれたのは、カイサ先生にエステル王妃、それから我らの執事かつ紳士であるイグニスだけ。
プリュイに関してはこんな雰囲気になっている理由さえわかっていないのか、首を傾げている。
そしてディアはというと、どこ吹く風とばかりに気にする素振りすらせずに、ただただ俺の体調を気にかけてくれた。
「目眩とかはない? 一応、魔力を補充しておいたから大丈夫だといいんだけど……」
羞恥心はまだ残っていたが、ディアの気遣いを無碍にはできない。直接、目を見ることはできなかったが、精一杯の感謝を告げる。
「本当にありがとう、ディア。お陰で身体は軽いし、目眩とかもなくなったよ」
「うん、なら良かった」
安堵したのか、柔らかな笑みを見せるディア。
その笑顔があまりにも眩しく、さらに俺の顔が紅潮していっている気がするが、おそらく気のせいではないだろう。
それから俺たちはお互いが持つ情報を共有し、現状確認を行ったのだった。
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