第611話 夢か幻か
脈を打つだけで逃げようともしない肉塊に、紅蓮を振りかざす。
死の風を封じてからの戦いは一方的なものだったが、それでも疲労感は尋常ではなかった。
軽い目眩を堪え、俺は肉塊と化した男にとどめの一撃を振り下ろす――。
途端、暴風結界が突破され、横っ腹に強烈な衝撃が走る。
身体が宙を舞い、ぐるぐると視界が回り、屋上を転がっていく。
一瞬で頭の中が真っ白に染まる。
自分の身に何が起きたのか理解ができなかったのだ。
屋上から落下する寸前に何とか体勢を立て直し、状況の把握を急ぐ。
そして、俺はすぐに『ソレ』に気付く。
肉塊となった男を守るように俺の前に塞がった存在に。
体格を包み隠す白のローブに、目深に被ったフード。
背丈は明らかに俺よりも低いが、ドワーフや
さらに観察を続けるとローブの隙間から、ややくすんだ銀色の長い髪が覗き見えてくる。
「お前もシュタルク帝国の……?」
恐る恐る声を掛けてみる。
つい先程蹴り飛ばしてきたというのに、不思議と相手からは戦意というものを感じ取れなかった。
いや、それだけじゃない。感情そのものが何一つ感じ取れなかった。
「……」
返事はない。無言を貫き、ただジッと俺を見つめているだけのようだ。
目深に被ったフードが邪魔で視線と視線がぶつかり合うことはない。が、何故か俺は立ち塞がる女性から悍ましい気配を感じ始めていた。
関わるな、今すぐにこの場から逃げろと本能が訴え掛けてくる。
そして気が付けば、紅蓮を握る俺の右手が震え、全身に鳥肌を立たせていた。
背中からは冷たい汗が流れ出し、呼吸も徐々に荒く浅くなってきている。
別に何かをされたわけではなかった。
その証拠に『
そう……俺は恐れているだけなのだろう。
得体の知れない恐怖を、俺の前に立ち塞がった女性から感じ取っていただけなのだ。
逃げ出しそうになる足を懸命に抑え、紅蓮を握る手にさらなる力を加える。
一触即発の雰囲気を俺から醸し出す。そこから一歩でも動けば容赦はしないと牽制する。
が、次の瞬間、俺の視界内から女性は肉塊と共に消えて去っていた。
瞬きをしたつもりもなければ、隙を見せたつもりもない。
にもかかわらず、二人はまるで幻だったかのように俺の前から姿を消していた。
俺は慌てるようにすぐさま『気配完知』を発動する。
もし白銀の城に向かわれていたら一大事。すぐにでも二人の後を追う必要が出てくるからだ。
しかし、そんな俺の心配は杞憂に終わる。
探知範囲内のギリギリ、白銀の城から離れるように、そしね王都ヴィンテルから出ていくかのように、二人の気配は東へ向かっていた。
「なんだったんだ……?」
一気に肩の力が抜けていく。まるで幻でも見させられた気分だった。
それにしても、どうやって二人が俺の前から一瞬で姿を消したのかわからない。
転移なのか、あるいはもっと別の何かなのか。まるで見当がつかなかった。
何はともあれ、今すぐに二人が逃亡した先にある東の戦場を見てきた方が良さそうだ。
幸運と言うべきか、好都合と言うべきか、たった今『
これで残す使用不可能なスキルは『
こうして俺は屋敷に設置してあったゲートを削除してから、二人の気配を追うように転移を連続で使用し、王都の東へ。
二人が王都から出ていったことを確認し、役割を完全に終えて手持ち無沙汰になっていた。
「少し南の様子を見にいくか……」
場所を南壁に移すと、南壁に留まっていたフラムとイグニスと合流を果たす。
そして、二人から
「――と、一応追い払ったには追い払ったのだが、この通り外壁が壊されてしまってな。修繕を急がせているところだ」
「私めが不甲斐ないばかりに……。申し訳ございません」
イグニスが心底申し訳無さそうにしているが、話を訊いた限りではイグニスにそこまで責任があるわけではなさそうだ。完璧主義が故に責任を感じてしまっているだけという印象だった。
破壊された外壁に目をやる。
するとフラムの言う通り、破壊された南壁には大勢のマギア王国兵が詰め寄っていた。
優に数千人はいるだろうか。警戒を続けつつ外壁の修繕を行っていた。
しかし、修繕とは言っても所詮は土嚢らしきものを積んでいくだけの単純かつ簡易的なものに過ぎない。それに数千人の兵が詰め寄っているとはいっても、シュタルク帝国軍が再び攻め入ってくることを考えると心許ない数だ。
正直言って、土嚢を積んだところで意味があるのか怪しいところがあるが、外壁に沿うように魔力遮断の結界が張られているせいで魔法が使えないともなれば、仕方がないだろう。
土系統魔法で一気に、とはいけないのが面倒なところだ。
「今、俺たちがここを離れたら数時間も保たずに突破されてもおかしくはない、か」
「うむ、だからこうして私たちが残っているというわけだ。して、主よ。主ならばどうにかできないか? 私とイグニスは土系統魔法に関してはからっきしだからな」
「うーん……。難しいとは思うけど、少し色々と試してみるよ」
そう言ってはみたものの、魔力遮断の結界は厄介だし、何より俺の魔力残量がかなり厳しいものがある。
少なくとも結界云々を抜きにしても、元々あった外壁ほどの強度の壁を造り出すのは困難を通り越して、もはや不可能だ。数メートル規模ならまだしも、これほどまでに広範囲ともなると、魔力が圧倒的に足りないだろう。
ともあれ、やってみないことには始まらない。
何故かマギア王国軍に顔が利くようになっていたフラムに、この戦場の指揮官らしき人を呼んでもらい、外壁に近寄る許可を得る。
それから俺は魔力遮断の結界付近をうろうろと動き回りつつ何か手立てがないか考えていく。すると、意外にもあっさりと解決方法が見つかる。
「あっ、そうか」
「どうやら妙案でも思い浮かんだみたいだな」
俺の後ろを付いて回っていたフラムが興味深そうに声を掛けてくる。
「妙案ってほどのものじゃないよ。ただ俺が持っている力のことを思い出しただけだから」
思い出したと言うよりも、気付いたと言うべきかもしれない。
この魔力遮断の結界を造り出したスキルが、俺が持つ『魔力の支配者』の下位互換にあたるスキルであるということを。
そうとわかれば、後は簡単だ。
とりあえず一時的にマギア王国軍の方々に避難してもらい、早速作業に取り掛かるとしよう。
作業が完了するまで五分も掛からなかった。
魔力遮断の結界に、その上位互換スキルである『魔力の支配者』で介入し、結界内で魔力の操作を可能とした俺は、ありったけの魔力を費やし、壁を修復したのである。
案の定というべきか、元の壁ほどの耐久力はないが、それでもないよりはマシだろう。それに外見だけは精一杯真似たつもりだ。これならもしかしたら完璧に修復されてしまったとシュタルク帝国軍に勘違いをさせられるかもしれない。
だが、これだけでは地竜王を含む地竜族がいるシュタルク帝国軍にまた同じように壁を破壊されてしまうだけだ。
そこで俺は結界自体にもちょっとした細工を仕掛けていた。
その細工とは、『魔力の支配者』による魔力遮断の結界の構築だ。
残念ながら魔力残量的に王都全域をカバーすることはできなかったが、俺が建て直した外壁にはきっちりと結界が張ってある。
これならいくら土系統魔法に長けている地竜王とて、簡単には外壁を壊せやしないだろう。
今できる最善を尽くした俺は魔力がほぼ空っぽになり、いつ倒れてもおかしくはないほどの強烈な目眩に襲われる。
そんな俺の様子を見かねてか、フラムが颯爽と駆け寄り、肩を貸してくれた。
「流石は私の主だ、良くやったぞ。後のことは私とイグニスに任せて、ゆっくりと眠るがいい」
「あ、ああ……。ありが、とう……」
そこで俺の意識は途切れ、深い眠りへと落ちていったのであった。
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