第609話 殺意の衝動

 間違いなくこの手で心臓を貫いたはずだ。

 なのに、この男は痛みも恐怖も感じた様子もなさそうに平然と『一回死んじゃった』と言い放ち、今にも立ち上がろうとしている。


 異常だった。

 確かに俺が持つ『再生機関リバース・オーガン』でも似たようなことができるだろう。

 けれども、俺の場合はあくまでも再生であり、蘇生ではない。『死』という結果を迎えておきながら、新たな生命を吹き込むことはできない。


 男がゆっくりと立ち上がる。

 気が付けば俺が刺して作った傷口は、風船のように膨れ上がった肉塊に覆われ、雑に塞がっていた。


 背中からコブが生えたその姿はまさに異形。

 まさしく、人であって人ならざる者だった。


 背を向けたまま立ち上がる男を俺は容赦なく紅蓮で斬りつける。

 ジッとしていられなかったのだ。俺はその異形の姿を見て、本能的に恐れていたのだ。


 がむしゃらに紅蓮を振るう。

 そこには技術も駆け引きも存在しない。ただ力任せに目の前の男を殺すためだけに剣を振るう。


 斬って、突いて、斬って、突いて、斬って、突いて……。

 時には燃やし、凍らし、切り裂き、串刺しにした。


 おびただしい量の血液が周囲にぶち撒けられる。

 それら全てを暴風結界で弾きながら、俺は延々と群青色の髪の男を――否、人間の殻から解き放たれた膨れ上がった肉塊を攻撃し続けた。


 一体どれほどの時間が経過しただろうか。

 時間の感覚が完全に麻痺しているようだ。

 十秒なのか、十分なのか、或いはそれ以上なのか、全くわからなくなっている。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 唯一つわかっていることは、俺が酷く疲れているということ。

 肉体的な疲労はもちろんのこと、特に精神的な疲労が酷い。

 肩で浅い呼吸を繰り返し、紅蓮を握る手が震えている。

 隠し切れないほどの動揺が身体のあちこちに異常をきたしているのだろう。


 それほどまでに無我夢中で紅蓮を振るい、魔法を駆使してきた。

 相手が人間であることを忘れ、俺が忌み嫌う人殺しを幾度と繰り返してきた。

 にもかかわらず、男は――肉塊は際限なく膨張を続けていく。

 傷つければ傷つけるほど、その体積は膨らむばかり。

 俺の背丈と同じくらいだった男は、既に五メートルを超える化け物へと変貌を遂げていた。


 すると、何処からともなく男の声が聞こえてくる。

 もはや、口ばかりか頭部すらもないはずの肉塊が俺に喋りかけてきたのだ。


「何回僕を殺すつもりなんだよ。ってか、そろそろ理解したらどうなの? 君が今、相手にしてるのは不死身なんだって」


「そんなことが……」


 あり得るはずがない。

 そう頭では理解しているはずなのに、俺は心の何処かで男の言葉を信じ始めていた。


 この世界には無限の可能性が、スキルが存在する。

 俺が見たことも聴いたこともないスキルなんて、それこそ無数にあるだろう。


 未知のスキルの中に不死があってもおかしくないのではないか。

 そんな疑心暗鬼に陥りかけるが、俺は肥大化した肉塊を強く睨みつけ、心を奮い立たせる。


「もし本当に不死身になれるスキルがあるのだとしても、魔力が切れればそれまでだ」


 俺の『再生機関』と同じように、男が持つスキルにも相当量の魔力が必要のはず。もちろん、その消費量は怪我の度合いによって左右されるだろうが、ディアのように無限の魔力を持っていない限り、いずれは限界が訪れる。

 ならば、魔力が底を尽きるその時まで俺は剣を振るい続けるだけだ。


 しかし、導き出した俺の答えを訊いた男は、不敵な声で嗤った。


「あははっ! そうだといいね。健闘を祈らせてもらうよ」


 心の底から溢れる絶対の自信なのか、もしくは虚勢を張っているだけなのか。

 現状、確かめる術は戦い続けることしかなかった。




 それから数分にも及ぶ激闘が繰り広げられた。

 これまで防戦一方だった男も、今となっては紫紺色の風を振り撒き応戦してきている。

 俺の魔法を喰らい、身体を喰らい、時には緑豊かな街路樹を一瞬にして枯れ木へと変えたりと、紫紺色の風が与える影響は様々。


 闇を、死を、想起させるその風は『死』そのものを具現化したものだと言えるだろう。


 ありとあらゆる生命とエネルギーを喰らい尽くす死の風。

 その対応に手を焼かされながらも、着実に肉塊へとダメージを与えていく。


 だが、明らかに分が悪いのは俺の方だった。

 魔力残量はもうじき五割に迫りつつある。

 男と対峙する前に荒療治として魔力を消費していたことが仇となっていたのだ。


 とはいえ、荒療治をしていなければ、四元素魔法すらもまともに使えていなかった。大きな代償だったが、そのお陰でここまで善戦を繰り広げられているのもまた事実だろう。


 とにもかくにも、このままのペースで魔力を使い続ければ先にガス欠を起こすのはおそらく俺だ。

 唯一の勝ち筋である魔力切れを狙った戦法だったのだが、俺はここにきて別の戦い方を考えなければならない。


 上空に跳ぶことで死の風を躱し、隙だらけの肉塊に紅蓮を突き刺す。

 コポッという音と共に赤黒い血液が肉塊から溢れ出る。

 俺はその血に触れないように暴風結界を展開し、返り血を防ぐ。


 血を浴びないようにするためとはいえ、攻撃をする度に魔力を消費しなければならないのは痛過ぎた。

 かといって攻撃せずに防戦に回るのも愚策。死の風から逃れるためには魔法を使わなければならず、大なり小なり魔力を消費してしまうからだ。


 正直に言って、手詰まり感が否めない。

 攻・防どちらにせよ、魔力を消費してしまう。

 都合良く相手の魔力が先に底を尽くことも、おそらくないだろう。

 なにせ、死の風は俺の魔法を喰らっているのだ。

 そのことから推察するに、魔法ごと俺の魔力を吸収している可能性が高い。


 ともなると、持久戦は不利。

 こちら側の唯一のメリットといえば、男の足止めができることくらいだろうか。

 今のペースなら後二、三時間は足止めができるだろう。省エネに徹すれば、もしかしたら半日程度は保つかもしれない。


 しかし、それだけだ。

 フラムやイグニスが援護に駆けつけてくれるなんていう甘い夢は見てはいけない。

 計画が順調に進んでいるならば、二人は一足先にディアたちと合流する手筈となっているからだ。

 それに何より、敵は肉塊となった男だけではない可能性が極めて高い。男と行動を共にしていたであろうもう一つの気配は今も同じ地点に留まっている。

 もしかしたら何らかの手段を用いて、この戦いを観ているのかもしれない。


 さて、どうするべきか。

 戦いながら攻略の糸口を模索しているその時だった。『気配完知』が五十人以上の人の気配を捉える。

 気配の正体はおそらく巡回をしていたマギア王国軍の兵士。そして、戦闘音と肥大化し続ける肉塊の存在に気付いたのか、続々と俺が戦っている建物の下に複数の気配が向かって来ていた。


「――来たらダメだ!!」


 声が届くかどうかはわからない。

 それでも俺は喉がはち切れんばかりの大声を出し、避難を呼びかける。


 だが、俺の警告は届かなかった。

 異様な光景を目の当たりにしたことで無視されたのだろう。


「貴様! そこで何をしている!」


 到着したのは予想通りマギア王国軍の兵士たちだった。

 肉塊を人と判断できなかったようで、その声は完全に俺だけに向けられていた。

 しかし、その声に真っ先に応じたのは俺ではなく、肉塊となった男だった。


「――ははっ! いいね、いいね!」


 死の風が肉塊から放たれる。

 屋根から零れ落ちるように重たい空気の塊が落下していき、瞬く間に建物の下に到達。

 その途中、何とか風向きを変えようと手を尽くしたが、呆気なくマギア王国軍の兵士たちは死の風に飲み込まれてしまう。

 それから死の風が急速に肉塊のもとへと戻り、吸収されていく。

 死の風が過ぎ去った跡地には、鎧を纏った大量のミイラが虚しく転がっていた。


 マギア王国兵の命を奪い、そして吸収した肉塊はその後すぐにモゾモゾと蠢き出すと、膨らみ肥大化した肉の塊が瞬く間に縮まっていき、元の男の姿に戻っていった。


「もう少し釣れると思ってたけど、こんなもんか」


 男の発言からして、肉塊になっていたのは目立ち、人を誘き寄せるためであったことは明らかだった。


 そんな意図があったとは微塵も考えずに戦っていた自分に腹が立って仕方がない。

 俺が場所も変えずに戦ったせいで、俺が男の意図を見抜けなかったせいで、多くの犠牲者が出てしまった。


 けれども、今さら後悔をしても遅い。

 この怒りを、この憎悪を、全てこの男にぶつけなければ気が済まなくなっていた。


「お前だけは……お前だけは必ずここで――」


 ――殺してやる。


 心が殺意によって支配されていく。

 その最中、俺のスキルに急速な変化が訪れたのであった。

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