第607話 命の削り合い

「……」


 ディアの問いに対し、セレーメは肯定でも否定でもなく沈黙を選んだ。

 それは、もはや白状しているに等しい。

 ディアの指摘が正解であると、セレーメは暗に認めたのだ。


 戦闘中、セレーメの全身は常に『因果反転リバース・フェイト』の反転能力によって攻防一体の城壁と化している。

 ディアの権能という一部の例外を除けば、ありとあらゆる攻撃を無力化し、かつ攻撃者にセレーメが本来負っていたはずのダメージを負わせるという反則じみた力。

 それが『因果反転』の強みであり、弱点など存在しないはずだった。


 しかし、ディアはセレーメだけが知っていた『因果反転』の性質を、弱点を偶然にも見抜いた。


 その弱点とは――『因果反転』を使用中、治癒魔法が使えないというもの。


 因果を捻じ曲げ、移し替えるだけでスキルの効果・性質そのものを反転させることは『因果反転』にはできない。にもかかわらず、治癒魔法を自身に使用できないのには理由があった。

 それは、治癒魔法の対象が『因果反転』により、対象不明となってしまい、エラーが発生してしまうからだ。


 治癒魔法の対象が自分から自分へ。

 つまるところ、『因果反転』の能力である『自身が受けた結果を原因(対象)へと反転させる』という部分――とりわけ『反転させる』という部分に矛盾が生じてしまい、セレーメは治癒魔法を使用できなかったのだ。


 ちなみに、他にも細かなルールが設けられていた。

 たとえば『千古不抜オール・レジスト』などの常時発動型のスキル。

 これらに関しては外的影響ではなく、身体の内側から作用する物のため、『因果反転』の効果は適用されない。すなわち、正常に使用することができるようになっているのだ。


 もしセレーメが所持している治癒魔法が、紅介が持つ『再生機関リバース・オーガン』のように自身にしか作用しない類いのスキルであれば、問題なく治癒できていた。

 だが、セレーメが持つ治癒魔法は他者にも使えるスキルだったがためにそれが仇となってしまったのである。


 無論、『因果反転』を使用しなければ、治癒魔法は正常に作用する。だが、ディアが脅しをかけるように攻撃の意思を示し続ける限り、セレーメは安易に『因果反転』を解除できない。

 従って、セレーメは怪我を治さずに放置することを選ばざるを得なかったのだ。


 沈黙を貫くセレーメに、ディアはさらなる追い討ちをかける。


「『因果反転』を解除して治癒魔法を使おうとしても無駄だよ。わたしにはから」


 魔力を可視化するディアの目にかかれば、セレーメが『因果反転』を解除した瞬間をはっきりと捉えることができる。


 あれこれ試行錯誤した上で深手とはいかないまでも、ようやくダメージを与えられたのだ。治療させる隙など与えるはずがない。


 ハッタリとも思えるディアの発言だったが、セレーメは疑いを持つことなく、その発言を真実として甘んじて受け入れる。


「良い気になってるみてぇだが、この程度の怪我なんざどうってこともねぇんだよ」


「かもしれないね。だけど、今よりももっと酷い怪我をしたらどう? 申し訳ないけど、今のわたしに手加減をしてあげられるほどの余裕はないの。――ここを通してもらう」


 ディアの手のひらから先程と同様――否、先端を尖らせ、貫通力を増した超高硬度金属の杭が放たれた。

 権能によって生み出された杭はセレーメの防御力を突破する威力を秘めている。無論、セレーメの防御を突破した際にはディアも同等かそれ以上の怪我を負うことになるのだが、百も承知だった。

 それをわかった上でセレーメの左肩を穿つように超高硬度金属でできた杭を放ったのである。


「――させるわけねぇだろうが!」


 極短時間でセレーメは『反転』と『反射の結界』を同時に展開。

 それも単なる結界ではなく、二重構造の結界を即座に展開してみせる。


 たった一つのスキルの発動だけを見ても、魔力制御能力と展開速度は互いに超一流。コンマの世界で戦う二人についていける者はプリュイを除いて他には誰もいなかった。


「妾のことも忘れるでない!」


 ディアに追従する形でプリュイも『氷神弓エーギル・ロセット』を引き絞り、一本の氷の矢を見舞いする。

 そして数瞬の後、セレーメが展開した反射の結界に杭が着弾。音を立てて結界が一枚割れると、二枚目の結界に罅を入れ、杭に籠められた運動エネルギーと結界による逆方向に向かう運動エネルギーが拮抗し、杭が空中で震えながら留まる。

 そこにプリュイの氷の矢が寸分の狂いもなく杭の背を叩いたことで均衡が破られた。


「――チッ!」


 破られ、崩壊していく結界を遅々とした時の中でセレーメの見開かれた翡翠色の瞳が捉える。

 苛立ちと共に大きな舌打ちをし、直撃を避けるために何とか身体を回転させようとするが、軸足となった右足に痛みが走り、回避行動に大きな遅れが生じてしまう。


 直後、セレーメの左肩に杭が突き刺さり、『因果反転』が効力を発揮。突き刺さったはずの杭がぽとりと地面に落ちる。

 だが、ディアの権能によって生み出された杭に対して、『因果反転』はその真価を十全に発揮することはできなかった。


「クソがクソがクソが……」


 ボソボソと怒りの声を漏らしながら、セレーメは左肩を右手で強く押さえ込む。

 右手の指と指の間からドクドクと零れ落ちていく紅い液体が、彼女が負った傷の深さを物語っていた。


「ぁっ、んぐっ……はぁ……はぁ……」


 一方で、ディアはセレーメ以上の深手を負い、痛みに耐え切れずに苦悶の声を漏らす。

 ゴシック調の白い刺繍が施された黒のワンピースが血に染まり、白かった刺繍が血で赤黒く染まっていく。


 左の肩口から先は袖ごと消し飛ばされていた。

 即座に治癒魔法を施したことによって、きめ細かな白い肌をした左腕は元通りになり、痛みも消えたはずだったが、脳に焼き付いた痛みの記憶が幻痛となって現れ、ディアを蝕み続ける。


 一見すると、両者痛み分けのような光景に見えるだろう。

 しかし、治癒魔法の有無と二対一という構図が命運を分けた。


 怪我も痛みもなく万全の状態を保ったままでいたプリュイが躍り出る。

 左手には相も変わらず『氷神弓』が握られており、肩を押さえて微動だにしないセレーメに向かって弦のない弓を強く引く。


「――隙だらけだな」


 彼我の距離、約三十メートル。

 弓の名手たるプリュイにとって、この程度の距離など無に等しい。

 用意したのは限界まで圧縮した針のように細長い水の矢。

 水針の矢は弓を引く動作と連動して弓の中心に現れる。

 そして、最後の仕上げにプリュイは自分の両足を氷漬けにし、石畳ごと地面に固定させた。


 それから行われたのは正確無比の弓の連射。

 矢を一本ずつ正確に素早く連射することで、仮に反射の結界を張られても次に放たれた矢が跳ね返ってくる矢を相殺してくれる。

 反射の結界ではなく反転だった場合でも、水系統魔法に絶対の耐性を持っているプリュイにはダメージはなく、反動が返ってくるだけ。その反動も、両足を氷漬けにして固定することで被害を最小限に食い止める。


 二重の対策を施し、連射を始めたプリュイ。

 音速を超えて放たれる水針の矢が、肩を押さえたまま動かないセレーメの足――ではなくその足元の石畳を穿ち、抉り取っていく。


 腹の底まで響く重低音が連続して周囲一帯に響き渡る。

 街道に敷かれていた石畳はとうに砕かれ、無惨な姿に。

 それでもプリュイは手を止めない、休めない。


 時折、プリュイは照準を膝や太腿に変えたりしていた。

 その際にセレーメが反射の結界ではなく反転を使用していることは確認できている。

 それが意味するところはセレーメは未だに怪我を負ったまま治療をせずに放置しているということに他ならない。


 では何故、セレーメは反射の結界を使わずに反転を使ったままなのか。

 その答えは痛みを堪えて動けなくなっていたはずのディアが持ち合わせていた。


 プリュイは矢を放ちながら横目でディアの様子を確認する。

 するとそこには両袖が千切れ、スカート部分がところどころ破けたボロボロのワンピース姿のディアが足取りをふらつかせながら、ギリギリの状態で立っていた。


 横殴りの風が吹けば簡単に飛ばされてしまいそうなほどディアは酷く弱りきっていたのだ。


「ぬわあっ! ディ、ディアよ! 一体何をやって――」


 手を止めてディアの介抱に向かおうとするプリュイをディアがか細い声を何とか絞り出して止めさせようとする。


「わた、しは……大丈夫、だから……手を、止めな、いで」


 しかし、ディアの青白くなり過ぎている顔と、今にも倒れてしまいそうな儚い姿を見たプリュイは弓を引くのをやめ、駆けつけていた。


「お、おいっ! 大丈夫か!?」


 小さな身体をディアの脇を潜らせ、肩を貸す。

 すると、張り詰めていた気が緩んだのか、ディアはプリュイの肩に全身の力を預けるように倒れ込む。


 血と汗が入り混じった匂いがディアの赤黒く染まったワンピースから漂い、プリュイの鼻を掠める。


「まさか妾が矢を放っている間に、あのエルフと削り合っていたのか……?」


「……そう。勝つ、には……これしかない、と……思った、から」


 プリュイが矢を射っていた間にディアは文字通りセレーメと命の削り合いを行っていたのだ。


 十のダメージをもらいながら、一のダメージを与える。

 ディアはそうして戦うことに、唯一の勝機を見出していた。

 しかしながら、いくら治癒魔法が使えるとはいえ、怪我をすれば痛みは感じるし、失った血液も完全には戻らない。

 そんな精神と血液を削り失うような、気が狂いかねない戦闘をこの短時間で幾度と繰り返していたのである。


「何という無茶を――」


 その時だった。

 土埃が晴れ、無数の穴があいた地面から這い上がるようにセレーメが姿を見せる。

 全身が血塗れになり、外見だけを見ればディア以上にボロボロ。されど、その翡翠色の瞳に宿る炎は消えていなかった。


「ざけ、やがって……。絶対、に……殺して、やる」


 そう勇むものの、ディアと同様にその息は絶え絶え。今にも倒れてしまいそうな点もディアと同じだった。


 ディアに肩を貸しながらプリュイは窮屈そうに弓を構える。

 いつセレーメが攻撃に転じてきても対応できるように気を張り巡らせる。


 が、セレーメはふらつく足取りのまま身体の向きを変えると、街道を外れて南へゆっくりとその足を動かし始めた。


「なっ、貴様! この期に及んで逃げるつもりか!!」


「クソ、うるせぇ、な。追い、掛けて……くる、つもりなら、好きに……しや、がれ。その時は……また、相手を、してやる……」


 吹けば消えそうな命の灯が目の前をゆっくりと歩いている。

 だが、プリュイはセレーメの背中を追うことはできなかった。

 水竜族の掟のこともあるが、何より肩を貸しているディアの意識が完全に途切れてしまったことが気掛かりだったのだ。


 呼吸はある。耳を澄ませば心臓の音も聴こえてくる。

 おそらく命に別状はないだろう。

 それでもディアを放置してまで、去り行くセレーメの背中を追うという判断がプリュイには下せなかった。


(悔しいが、どうせ今あのエルフを追ったところで妾では捕らえられないだろう。ならば、今はディアの保護と脱出計画を進めた方がいい、のか? うーむ、わからん!)


 こうしてプリュイは考えることをやめ、一度馬車の中へ戻ったのであった。

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