第606話 極小の突破口

 プリュイとセレーメの戦いは苛烈を極めていた。


 物理攻撃を禁じられたプリュイは常に一定の距離を取り、『氷神弓エーギル・ロセット』で繰り返し攻撃を仕掛ける。

 しかし、セレーメの『因果反転リバース・フェイト』の能力により、全ての攻撃が無効化され、如何なる攻撃も決定打には至らない。


 攻勢を強めるプリュイと、防戦一方のセレーメ。

 それでも圧倒的な有利を握っていたのは後者だった。


「えーい! 煩わしい!! 手元が狂うではないかっ!」


 そうプリュイが憤るのも無理はない。

 彼女が持つ水系統完全耐性のお陰で『因果反転』によるダメージこそ受けずに済んでいるものの、セレーメに矢が突き刺さる度に身体に大きな衝撃を受けていたからだ。

 たとえ無痛であっても、苛立ちと不快感は募りに募っていく。


 肉体的ダメージはゼロ。けれども精神的なダメージは想像以上にプリュイの中に蓄積していた。

 かといって攻撃の手を緩めればセレーメが怒りに任せて『疾風怒濤ストーム・サージ』で暴風と雷撃の嵐を無差別に放ってきてしまうかもしれない。


 ディアとプリュイにとっては十分自衛可能な魔法でしかなかったが、その後ろにいるロブネル侯爵軍や馬車に乗るマギア王国の重鎮や貴族、使用人たちは異なる。

 触れれば最後、ロブネル侯爵軍は甚大な被害を受け、馬車は粉微塵となり、ここまで順調に進んでいた脱出計画が水の泡になってしまう。


 そうさせないためにも、プリュイはセレーメの意識を自分に向けさせ続けなければならなかった。


「チッ、クソ面倒くせぇ。遠くからチクチク攻撃してきやがって。これじゃあ、いつまで経っても埒が明かねぇな」


 その一方でセレーメは悪態を吐きつつも、内心では今の八方塞がりの状況をほくそ笑んでいた。

 時間が味方をしてくれるのは自分の方だと彼女は理解していたのである。

 このままズルズルと戦闘時間を長引かせ、シュタルク帝国軍の合流を待つ。それだけでこの仕事が片付くだろうと考えていたのだ。


 それに魔力はまだまだ十分に残っている。

 既に数えきれないほどの攻撃をプリュイから受けてきたが、セレーメの総魔力量のうち一割も減っていなかった。


 そのからくりは全て『因果反転』の性質にある。

 通常、魔法系スキルは利便性が高い一方で、魔力から物質を生み出すため、相応量の魔力を必要としてしまう。

 対して『因果反転』は物質を生み出すわけでもなく、ただ事象を反転させるだけ。それに加えてオン・オフも瞬時に切り替えが可能となっているため、消費する魔力量が極めて少なく済むのである。

 流石に常時発動型の耐性スキルや剣の腕を向上させる近接戦闘スキルのように消費魔力ゼロとはいかないが、その魔力効率は驚異的だった。


 ディアの紅の瞳がプリュイの攻撃を浴びるセレーメを捉え、その瞳に備わった魔力可視化の権能を行使する。


(プリュイの魔力量で押し切れるかもと思ったけど、あの人の魔力はまだまだ切れそうにない。こうなったら、一か八か――)


 プリュイとセレーメの戦闘が開始されてからというもの、ディアは戦闘に参加せずに二人の戦闘による余波を跳ね除け、ロブネル侯爵軍や馬車を懸命に守り抜いていた。

 だが、このままでは決め手に欠いてしまうばかりか、いつセレーメの意識が他の人たちに向けられるかもわからない。


 このままではジリ貧になってしまう。

 ならば、ある程度の危険を承知で次の一手を打つべきだとディアは判断したのである。

 その一手とは、ディア自身も戦闘に加わるというもの。


 ディアが扱う魔法はこの世界の常識として定着したスキルとは違った理にある。

 そのため、例えばディアの権能による全力の水系統魔法ならば水系統スキルに完全な耐性を持っているプリュイだろうと、その耐性を突破できるのだ。

 無論、流石に完全突破とはならない。プリュイほどの耐性を持っている者ならば、ダメージ総量の約八割を軽減するだろう。


 しかしながら、ダメージを軽減されてしまうとはいえ、プリュイの耐性をも上回れる力を――権能をディアは持っているのだ。

 ならば、権能を全力で行使した場合、セレーメの『因果反転』を破れる可能性も十分に考えられる。


 大気中に漂う魔力を取り込み、体内で練り上げていく。

 ディアが選んだ魔法は消去法で土系統魔法。

 火・風は反転ないし反射された時のリスクが大き過ぎるために排除。残った水と土の中で超高硬度の弾丸を射出できる土をディアは選んだ。


 練り上げた魔力を具現化していく。

 完成したのは直径三センチほどの超高硬度金属できた金色の棒。

 そして、ディアはセレーメに手を翳し、金属の棒を超高速で射出した。


 狙いはセレーメの右足。

 失敗しても致命傷にはならず、成功すれば足を奪うことができる。


 超高速で撃ち出された弾丸はプリュイに視線を釘付けにされていたセレーメの足に着弾した。


 そして、次の瞬間――、


「うっ――っ!」


 焼け付くような痛みに襲われ、ディアの美しい相貌が僅かに歪む。

 曝け出されていた細く靭やかな新雪のように白い太腿から血がドクドクと零れ落ち、右足を紅く染め、地面に血溜まりを作っていく。

 右足の感覚が徐々に失われていき、次第に痛みもわからなくなってくる。


 そんな中、彼女は奥歯を強く噛み締め、自身に治癒魔法をかけると、一瞬で太腿にできた大穴を塞いでみせた。


(……もしかしたらと思ったけど、ダメだった。でも収穫はあった。四元素魔法に対する完全耐性を持ってるわたしでも、権能による四元素魔法までは無効化できないってことを)


 ディアが今思い浮かべているのは、対セレーメではなく対アーテによる想定だった。

 いずれぶつかるであろう強敵ともとの戦いに於いて、この事実を事前に知っていなかったら最初の一撃で殺されていたかもしれないのだ。

 現状ではまるで役に立たないどころか、権能による四元素魔法をセレーメに使用するのは危険だということがわかり、事態がより深刻化してしまった。にもかかわらず、ディアは大きな満足感を得ていた。


 自分がセレーメに対してできることは何もないとディアが結論づけようとしたその時、視線の先で未だにプリュイと激闘を繰り広げているセレーメの様子が少しおかしいことに気付く。


(ほんの少しだけだけど、足を引きずってる?)


 注視しなければ気付かぬほどのセレーメの僅かな歩幅のズレをディアの紅い瞳は見逃さなかった。


 膝下まで高さがある白のロングブーツと、若草色のハーフパンツのその隙間。長く靭やかなシミ一つなかったであろう太腿に大きな青あざができていたのである。


(うん……間違いない。ダメージをわたしに全部反転できなかったんだ。なら――)


 ――わたしだって戦える。


 そう決めるや否や、ディアが早速行動に移す。

 先ほどより一回り大きい超高硬度金属を生み出し、再度セレーメの右足を狙って射出。


 が、セレーメは馬鹿ではなかった。

 視線こそプリュイに向けているように見せかけていたものの、意識の大半はディアの一挙手一投足に向けていたのだ。


 横目でディアの動きを確認したセレーメは常時発動型の反転を切り、反射結界を展開し、ディアの攻撃に備える。

 そして超高硬度金属が反射の結界に衝突した瞬間、結界がパリンッと音を立てて崩れていく。

 結界こそ破られたが、反射の効果はディアが放った超高硬度金属に影響を及ぼしていた。


 まるで時を巻き戻したかのように超高硬度金属がディアの手のひらに吸い込まれていく。

 反転から反射に切り替えたセレーメの機転に対し、ディアは全く同じ超高硬度金属の棒を即座に生み出すことで、何とか寸でのところで相殺に成功する。


 共に、間に合わなければ大怪我は避けられなかったギリギリの戦い。

 セレーメの意識も視線も完全にプリュイからディアへと移っていた。


「おいおい、不意打ちなんクソ寒いことしてんじゃねぇよ。――殺すぞ」


「大丈夫、貴女には殺されないから。それよりも足を怪我してるみたいだけど、治療しなくていいの?」


 普段の様子からは考えられないディアらしからぬ挑発じみた発言が飛び出る。

 しかし、この挑発には狙いがあったのだ。


 セレーメは英雄級ヒーローレベルながら治癒系統スキルを会得していた。にもかかわらず、一向に太腿にできた怪我を治療しようとしない姿にある疑念を抱いていたのである。


「この程度の怪我なんてほっとけば勝手に治るんだよ」


 面倒臭そうにそう答えたセレーメ。そこに感情の起伏は見られない。


「貴女の治癒魔法なら骨折程度までなら簡単に治せるはず。でも、どうして治そうとしないの? 足を引きずって痛そうにしてたのに」


「何が言いてぇんだ、テメエ……」


 並の人間なら視線だけで殺せそうなほどの鋭く強烈な殺意がディアに向けられる。

 それでもディアの挑発は止まらない。

 疑念を確信へと変えるためにセレーメに手のひらを向け、こちらに攻撃の意思があることをちらつかせる。


「貴女は治癒魔法が使えない。ううん、少し違うかな。今の状態の貴女では治癒魔法を使いたくても使えない。違う?」


 ディアはここまできて、ようやく見つけていた。

 今はまだ針の穴よりも小さい、極小の突破口を。

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