第605話 原因と結果
空高く跳んだプリュイは寸分の狂いもなくセレーメの右肩目掛け、氷の矢を放った。
この期に及んでも律儀に水竜族の掟に従い、致命傷にならない箇所を狙ったのはプリュイらしいと言えるだろう。
放たれた矢はうねりを上げ、無防備に立ち尽くしていたセレーメの右肩に吸い込まれていく。
だが、それが罠であることはディアが得た情報からして明白。
何とかしてプリュイが放った矢の軌道を変えようと、ディアは風系統魔法を即座に使用して横殴りの暴風を生み出すが、プリュイの神域に達した弓の腕前がここに来て凶と出てしまう。
氷の矢は横殴りの風を受けてその軌道を僅かにずらす。
しかし、まるで目に見えない糸で矢とセレーメの右肩が結ばれているかのように瞬時に軌道を再修正すると、ディアの抵抗虚しくプリュイが放った氷の矢はセレーメの右肩に突き刺さり、そして何事もなかったかのように突き刺さった氷の矢は霧散した。
「――っ!?」
ディアは焦燥感に駆られた声でそう叫び、空中にいたはずのプリュイの姿を確認する。
すると、ディアの視界の先には錐揉み回転して空から落下していく、思わず目を覆いたくなるプリュイの姿が。
それから程なくして、プリュイの姿はロブネル侯爵軍の中に消えて見えなくなった。
「くっ……」
強く奥歯を噛み締め、膨らみかけた激しい憤りをディアは何とか抑える。
今ここで冷静さを失えば、セレーメにつけ入る隙を与えることになると頭の片隅で理解していたからだ。
「くくっ、あーはははっ! それなりの腕を持った弓使いが隠れていやがったみたいだが、私の力の前では無力なんだよ!」
これまでの鬱憤を晴らすかのように、心の底から愉しそうに嗤うセレーメ。
一方でディアはセレーメの嘲笑を無視し、プリュイのことを考えていた。
(急所は外れてたし、きっと大丈夫。いざとなったらわたしが治癒魔法で――)
そこまで考えたところで、ふとセレーメの発言にちょっとした疑問を抱く。
(『それなりの腕を持った弓使い』……? もしかしてこの人はプリュイが水竜族だってことを知らない?)
もしプリュイの正体を知っているのならば、そのような表現をするとはディアには到底思えなかった。
ましてや、これまでの態度から察するに自信家であろうセレーメが『それなり』と評し、無力化したことを自慢気に誇っているのだ。
強さをアピールしようとしているセレーメが、プリュイの正体が竜族であることを知っていたとしたら、もっと直接的に『竜族』と表現していたのではないかとディアは疑問を抱いたのである。
とはいえ、所詮は何の根拠もない憶測に過ぎない。
プリュイは過去にフラムと共にドレック等の地竜族と対峙しているのだ。
むしろプリュイの存在が筒抜けになっていない方がおかしな話だと言えるだろう。
(……ううん、違う。きっとプリュイのことはどこかで情報共有がされているはず。たぶんこの人はプリュイの顔を知らないだけなんだ)
そう自ら結論を導き出し、モヤモヤと残っていた疑問が解消されたが、状況は依然として最悪のまま。
今は一刻でも早くプリュイの安否確認を、と考えたタイミングで、ディアの視線のさらに奥にある人混みの中から、よく知る喚き声が聞こえてくる。
「ふがぁぁぁぁぁー!! どんな手品を使ったか知らんが、妾のみっともない姿を見られたではないかっ!」
元気が有り余る声に、ホッと安堵の息を漏らすディア。
そんなディアとは対照的に、セレーメは浮かべていた邪悪な笑みをピタリと止め、眉を吊り上げる。
「……チッ、クソが。治癒スキル持ちか?」
悪態を吐いたセレーメの独り言がディアの耳元に届く。
それを聞いたディアは先ほど以上の大きな疑問を抱くことになる。
(プリュイは痛覚を遮断するようなスキルを持ってない。もしかして、痛みを我慢してる? ううん、あの矢の威力を考えると大きな怪我を負ったはず。どんなに痛みに強くてもあんな風に元気に振る舞えるとは思えない。そうなると、プリュイはそもそも怪我を負ってない? でも、そんなことがあり得るの……?)
セレーメが持つ『
右腕が折れる攻撃を受ければ、攻撃者の右腕を折り、心臓が穿たれる攻撃を受ければ、これも同じく攻撃者の心臓を穿つ。
この際、セレーメが本来受けるはずの
ディアはセレーメから『因果反転』の情報を得た時に、このように認識しており、実際にディアの認識に大きな間違いはなかった。
だが、ディアの認識とはほんの僅かに異なる部分があったのだ。
文章からは決して読み取れない『因果反転』の秘密が隠されていた。
その秘密を解き明かす鍵となる人物こそがプリュイだ。
プリュイは頬を膨らませながら人混みを掻き分け、『
「怪我は大丈夫?」
怪我の具合を恐る恐る覗き込んで確認するディアに、プリュイが不思議そうに首を傾げる。
「ぬ? 怪我だぁ? 水を司る一族である妾が
「……え?」
「??? 目を見開いて驚くようなことか? もしや妾、馬鹿にされてる!?」
より一層頬を膨らませて抗議するプリュイだったが、ディアはそれに一切構わず自分だけの世界へと閉じ籠もり、そして答えにたどり着く。
(……そう。そういうことだったんだ。『因果反転』は結果だけを跳ね返すんじゃない。原因となった事象ごと跳ね返すんだ)
プリュイが怪我を負わなかった理由――それは『因果反転』が『水系統魔法によって右肩に怪我を負う』という
水系統魔法に絶対の耐性を持っているプリュイは、水系統魔法でダメージを負うことはない。
つまるところ、結果が反映される前段階の原因の部分で矛盾が生じたことで『因果反転』が上手く作用しなくなっていたのだ。
結果的に『因果反転』によって跳ね返ってきたのは何ら痛痒も与えない衝撃のみ。プリュイが錐揉み回転して落下したのは衝撃に加え、虚を衝かれたという部分が大きい。
偶然の産物に過ぎないが、『因果反転』の秘密を解き明かす切っ掛けとなったプリュイではあったが、当の本人はそんな重大な発見があったとは露知らず、自分に赤っ恥をかかせたセレーメをきつく睨み付ける。
対するセレーメもプリュイの蒼眼を、警戒心を宿した翡翠色の瞳で正面から受け止め、睨み返す。
「なるほどな、テメエが
「如何にも。今さらそれを知って怖気づいたか? であれば、地べたに頭を擦りつけ、泣いて赦しを請えば見逃してやってもいいぞ」
「ほざけ。テメエ一人が増えたところで何も変わりはしねぇんだよ。ゴチャゴチャ言ってねぇで、さっさと掛かってきたらどうだ? クソドチビが」
「よく吠えるエルフだ。エルフならエルフらしく森の奥で静かに暮らしたらどうだ?」
両者一歩も退かぬ挑発合戦。
片や明確な意図をもって、片や意地と矜持をかけて、舌戦を繰り広げる。
その途中、堪忍袋の緒が切れることを危惧したディアがそっとプリュイの耳元で囁く。
「挑発に乗っちゃダメ。それが相手の作戦だから」
「むっ? どういうことだ?」
耳を貸したプリュイに、セレーメが保持する『因果反転』の能力をディアがわかりやすいように噛み砕いて説明する。
「――ってことだから、相手は反撃が主体になってくるはず。それと、殴り合ったらまず勝ち目はないと思って。慎重に、そして冷静に水系統魔法だけで戦うの、いい?」
「むむむ……頭がこんがらがってきたぞ。とりあえず水系統魔法だけで戦えばいいのだな? ――よし」
氷神弓を持った腕をぐるりと回したプリュイはセレーメの方向へ向き直す。
「随分と待たせてくれたじゃねぇか」
「はんっ、貴様が勝手に待っていただけだろうに。そうした方が貴様にとって好都合だった、それだけの話なのだろう?」
セレーメが攻撃を仕掛けてこなかったのは『カウンターが主体だから』という理由以外にもう一つ『増援を待つため』という理由があった。
長話が続けば続くだけこちらが有利になる。
そう思って待ち続けたわけだが、予想外なことに彼女の切り札とも呼べる『因果反転』の情報がディアによって共有されていたことを悟り、怒りを爆発させた。
「チッ、私の手の内はお見透しってわけか……。クソイライラさせてくれやがるなぁ、おい!」
途端、セレーメの怒りに呼応するように、身体から暴風と雷撃の嵐が吹き荒れる。街道沿いに植えられていた樹木を暴風がしならせ、雷撃がその太い幹を割り、黒く焦がした。
「――テメエら全員、皆殺しにしてやるよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます