第588話 死に場所

 王族に相応しいきらびやかなドレスを脱ぎ捨て、戦闘服に着替える。

 耐久面よりも動きやすさを追求した戦闘服はきらびやかなドレスよりもカタリーナには似合っていた。


 鏡の前で最後に白い手袋を嵌め、カタリーナは鏡に映る自分の姿をくまなく確認する。

 服装にも髪にも乱れはない。後は腰に愛剣を差せば全ての準備が整う状態になっている。


 しかし、彼女の顔色は一向に優れない。

 覚悟はとうの昔に済んでいた。愛してやまない祖国を守るためにシュタルク帝国軍と戦い、そして命を散らしても良いとさえ彼女は思っている。


 それでも後悔と無念の感情が彼女の表情を硬くさせていた。

 国を守ろうと必死に足掻いて足掻いて足掻き続け、親友を喪ってもまた立ち上がり、今日この時まで足掻き続けたつもりだ。

 だが、そうまでしても現実は残酷だった。最悪の未来が訪れてしまった。


 活気に満ち溢れていた王都の姿はもうどこにもない。

 あるのは緊張感と絶望感だけ。最後の最後まで足掻き続けたカタリーナでさえも、もはや怒りの感情すら湧いてこない。


「……戦場で死ぬ。私らしいと言えば私らしいッスかね?」


 自虐的な笑みが自然と零れていた。


 長かった戦いの日々は、敗北という形でもうじき終わりを迎える。

 唯一救いがあったとするならば、ガイストの手から両親を開放できたことくらいだろう。たとえ今日死ぬことになったとしても、それだけは彼女の魂に永遠に残り続ける誇りとなっていた。


 明かりもつけずにカーテンを閉め切った薄暗い部屋に、当然ノックの音が響き渡る。

 慌ただしさを感じさせない優しいノック音からして、緊急事態を報せるものではないことは明らか。

 安堵の息を漏らしつつ、カタリーナはドアノブを捻り、ゆっくりと扉を開く。


「どうされたので――」


 猫の皮を被ったカタリーナの言葉は、扉の先にいた面々を目撃した瞬間、呼吸と共に止まってしまった。


「……ぇ?」


「何を呆けているのだ? さっさと中に入れて欲しいのだが」


 普段から世話をしてくれているメイドがいるのは理解ができるし、予想もできていた。

 しかし、そのメイドの後ろに堂々と並び立つ三人の姿だけは到底理解が及ばない。


 何故、この非常時にこの場所にいるのだろうか。

 何故、まだ彼女たちはマギア王国に残っているのだろうか。

 いくら考えても答えは出てこなかった。




 フラムに言われるがまま部屋の中に通したカタリーナは、メイドに飲み物と来客分の椅子を用意してもらい、部屋を固く閉ざした。


 湯気が立ち上る紅茶を他所に、カタリーナが口を開く。


「訊きたいことが山のようにあるんスけど、まずはどうしてまだマギア王国にいるんスか? てっきりもうラバール王国に帰ってるんじゃないかと思ってたんスけど。それに、私がこう言うのもあれッスけど、よく面会の許可が下りたッスね」


 カタリーナの質問に答えたのはフラムだった。悪びれる様子もなく飄々とした態度で答える。


「まぁこちらにも色々とあってな。面会の許可云々に関してロザリーに丸投げしたから私にはあまり良くわかっていないが、ラバール王国の名を出したんじゃないか?」


 事実確認のためにカタリーナがロザリーに視線を移すと、ロザリーが一つ頷き返した。


 明瞭な答えこそ返って来なかったものの、カタリーナはフラムの言葉を噛み砕き、咀嚼して自分を納得させる。

 無論、気になる点は多々ある。だが、今はフラムたちの事情を探るよりも、何故このタイミングで自分に会いに来たのか、その理由を知ることを優先した。


「私に会いに来たってことは何か理由があるんスよね? 大きな恩もあるし、私に手伝えることがあるのなら何だって協力させてもらうつもりッスけど、何はともあれ先に理由を訊かせてもらっていいッスか?」


 そう言葉にした途端、フラムの纏う雰囲気がガラリと変化した。

 瞳には怪しい輝きが灯り、有無を言わさぬ圧が発せられる。もしフラムが顔も知らぬ赤の他人であったのなら、カタリーナは次の瞬間、迷わず何かしらのスキルを使用していただろう。それほどまでの強烈な圧がフラムから放たれたのだ。


 カタリーナの表情が僅かに強張る。その機微をフラムが見逃すはずがなかった。


「なに、そう怖がる必要はないぞ。私たちはただ主の代わりに提案をしに来ただけだしな」


 そんな言葉とは裏腹にフラムが圧を消すことはない。

 否応にも提案を……否、要求を受け入れさせる腹積もりでいた。


「提案……ッスか?」


 戦々恐々としながら声を絞り出すカタリーナに対し、フラムは口元に笑みを浮かべて提示する。


「この地で朽ち果てるのか、それとも泥水を啜ってでも生き延びるのか。リーナ、お前はどちらを望む?」


「そんなの決まってるじゃないッスか。こんなのでも私はこの国の王女ッスよ? 一人でも多くの人たちに生き残ってほしいと思うに決まってるッスよ」


 窮地に立たされていてもカタリーナの理想は変わらない。

 国の存続と民の命。この二つのために彼女は足掻き続けてきたのだ。悩むまでもなく、答えはすぐに出てきた。

 だが、それは今のカタリーナには許されない過ぎた欲だ。

 そんな強欲をフラムが両断する。


「少し勘違いをしているようだな。私が言った対象の中にこの国の民はほとんど含まれていない。お前とその周囲の人間だけだ」


「なっ――」


 急速に頭に血が上っていく。

 カタリーナが憎しみを含まない純粋な怒りを抱いたのは久しぶりのことだった。

 あり得ない、信じられないという想いが心の中を埋め尽くしていく。気が付けば大声を上げていた。


「――私に、民を見捨ててのうのうと生き延びろと!? こんな私でも王族としての矜持がある!! 侮辱するのも大概に――んぐっ!?」


 カタリーナの魂の叫びが止まる。否、イグニスによって止められた。

 カタリーナの白く細い首を、手袋を嵌めたイグニスの手がミシミシと音を立てて絞め上げる。声を上げるどころか呼吸をすることすらままならないほどの強い力で。


「――よせ、イグニス」


「承知致しました」


 驚くでもなく怒るでもなく、淡々と事務報告のようにフラムがそう告げると、ようやくイグニスが絞め上げていた手を離した。


「ごほっ、ごほっ……」


「少しは頭が冷えたか?」


「……」


 咳き込むカタリーナにフラムが声を掛けるが、そこに心配も優しさもない。

 無言のまま白銀の瞳で睨みつけてくるカタリーナを無視したフラムが言葉を続ける。


「知っているかもしれないが、私とイグニスは既にシュタルク帝国軍と戦っている。そこで得た情報と経験を踏まえると、マギア王国がどう足掻こうが勝ち目はない。このまま開戦すれば間違いなくこの国は滅亡する」


 南方に布陣するシュタルク帝国軍が一時撤退をした話はカタリーナの耳にまで届いていた。

 そのようなことができる者など彼女が知る人物の中でも極めて限られている。故に、カタリーナはフラムの言葉を微塵も疑うことはなかった。


 とはいえ、信じることと納得することは全くの別問題。

 フラムの言う通り、確かにマギア王国が勝つ可能性はないのかもしれない。それでも自分が前線で戦えばシュタルク帝国に一矢報いることができるのではないかとカタリーナは考えていた。


 深く深呼吸を繰り返し、何とか怒りを鎮めることに成功したカタリーナが自論を述べる。


「……ふぅ。まぁ、勝ち目はないかもしれないッスね。けど、私が敵を倒せば倒すほど助かる命も増えるんじゃないッスかね? 流石に『紅』の皆ほど強くはないッスけど、それでも私は強い方だと自負してるんで」


「確かにリーナは人間の中では強い部類に入るだろう。だが、そうだな……こう考えてみるのがわかりやすいかもしれないな。もし私がリーナの敵として戦場で出会したとしよう。私を相手にして他の兵を屠る余裕はあるか? そもそも私を相手に何秒耐えられると思っている?」


「それは……」


 想像をしただけでも寒気を覚える話だった。

 そもそもカタリーナはフラムの真の実力を知らない。

 当然の如く、学院の授業やその他の場所で見せた姿が本気であるはすがないことはわかっている。

 何と言ってもフラムは伝説上の存在と言われているあの竜族。それもただの竜族ではなく、炎竜王ファイア・ロードなのだ。

 自分が持っている物差し程度でフラムの実力を測れると思うこと自体がもはや烏滸がましいと言っても過言ではない。


 答えられるはずがない問いに押し黙ってしまうカタリーナに、フラムが正解を口にする。


「答えは私が殺そうと思ったその瞬間だ。逃げることも耐えることも許さない。とはいえ、これは最強である私が敵だったとしたらという仮定の話だ。実際は数十秒くらいなら保つんじゃないか? だが、逆に言えばそれだけだ。たったの数十秒で何ができる? どれだけの数の人間を救える?」


 フラムはここで一呼吸置き、それまで放っていた圧を霧散させる。そして、友に語り掛けるかのような優しさの籠もった声色でこう続けた。


「――良く考えろ、リーナ。命の重さは平等ではない。お前がこの先、生き延びることで救える命が必ずあるはずだ。短絡的に考えるのではなく、もっと大局で物事を見極めろ。死に場所をここに求めるな。死んで逃げようとするな。必死に生きて足掻いて苦しんで、そして――お前が望む未来を手にしてみせろ」


「私は……私は……」


 燻り、消えかけていたカタリーナの心の炎に、フラムが新たな炎を灯した瞬間だった。

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