第587話 一つの解答

「シュタルク帝国軍が布陣致しました。数時間後には本格的な戦闘が始まるでしょう」


 早朝、広い食堂に響いた第一声はロザリーさんのそんな言葉だった。

 食堂に集まっているのは俺たち『紅』とイグニス、アリシア、ロザリーさん、そしてアリシアの専属騎士であるセレストさんの七人だ。

 ちなみにプリュイはまだ寝ているのか姿を見せていない。


 予想はしていたことだが、ついに最悪の未来が訪れてしまった。

 しかし、この場に悲観している者は誰一人としていない。

 唯一、アリシアだけが暗い表情を浮かべているが、その表情の理由はもっと別のところにあったようだ。

 ポツリと独り言を零すようにアリシアが口を開く。


「私にもっと力があれば……」


 俺が以前プレゼントした日緋色金のブレスレットを撫でながら自身の非力を嘆くアリシア。

 ブレスレットに付与してある『不可視の風刃インビジブル・エア』を使えば、ある程度は戦えるだろう。

 だが、所詮は借り物の力だ。魔力の消費量も馬鹿にならないし、何よりブレスレット一つあったところでアリシアが劇的に強くなるわけではない。

 アリシアの身分やフラムがエドガー国王と交わした約束を考えると、俺たちとしては無茶をさせるわけにはいかないし、無茶をさせるつもりもなかった。

 少し申し訳ない気持ちになるが、アリシアにできることはもう何一つとして残っていない。それが現実なのだ。


 アリシアが醸し出す雰囲気に呑まれて食堂内の雰囲気まで暗く重くなる。

 誰もが掛ける言葉を見つけられなかった中、フラムだけが優しい笑みを浮かべ、アリシアに声を掛けた。


「そう落ち込むな。まだまだアリシアは強くなる。今はまだ少し実力が足りていないかもしれないが、次は戦えるようになっているかもしれない。そうだな……この件が片付き、ラバール王国に帰った時には私がまた直々に鍛えてやろう。血反吐を吐きながら、もう辞めたいと叫んでしまうくらい厳しい鍛錬をな。無論、無理にとは言わないが。さて、どうする?」


「はいっ。お願い致します、フラム先生。私はこの国に来て、より痛感したのです。何かを守るためには私自身が強くならなければいけないと。だから私はもっともっと強くなりたい。たとえどれほど厳しい鍛錬だとしても、強くなれるのならば私は絶対にやり抜いてみせます」


「うむ、よく言った」


 先ほどまでの暗かった表情が嘘だったかのように、アリシアの表情は晴々としたものに変わっていた。

 その表情からは絶対に強くなってみせるという強い意思を感じる。

 折れることのない強い芯を持っているアリシアならきっと大丈夫だろう。


 やや話が逸れてしまったところで、ディアがふと俺に声を投げかける。


「こうすけ、体調の方は大丈夫なの?」


「ああ、むしろ倒れる前よりも身体が軽くなってるくらいだよ。けど……」


 俺はこの三日間で身体の不調は完全に治っていた。

 痺れて上手く動かなかった手足も今ではすっかり意のままに動くし、それどころか全身に力が漲り、以前よりも身体のキレが増しているようにさえ思える。

 が、その反面、スキルに関しては未だに不完全なままだった。

 簡単な四元素魔法程度なら使えるようになったが、『神眼リヴィール・アイ』は前と変わらず意味不明な文字列を映し出すだけ。『空間操者スペース・オペレイト』に関しても万全とは程遠く、ちょっとした短距離転移すらもできない状態だった。


 短距離転移すらできないのだ。当然、擬似アイテムボックスも使えなくなっているし、ゲートを新たに設置することも閉じることもできなくなってしまっている。

 時間の経過と共にスキルが使えるようになってきている感触こそあるが、おそらく完璧に使いこなせるようになるまではまだ時間がかかるだろう。


 ともなれば、ゲートが設置してある屋敷の防衛は必須。

 シュタルク帝国軍がラバール王国が借り受けている屋敷を襲撃してくるかはわからないが、油断はできない。

 アリシアを守るためにも、ラバール王国にシュタルク帝国軍が流れ込まないようにするためにも、この屋敷だけは何としてでも守らなければならない。


 このことは既にこの場にいる皆には伝えてあった。

 本格的に交戦が始まり次第、ロザリーさんを除く屋敷の人たちにはゲートを使ってラバール王国に避難してもらい、屋敷の防衛には俺とディアが回るといった手筈になっている。ちなみにフラムとイグニスは別働隊として動いてもらうつもりだ。

 そして、もし途中で俺がスキルを扱えるようになった場合は即座にゲートを閉じ、俺とディアはフラムたちと合流し、できることをするつもりだ。


 その内容とは――。


 途端、食堂の扉が勢い良く開け放たれる。

 礼儀を知らない傍若無人ぶりからして、誰が入ってきたのかを確認するまでもない。

 扉の先から現れたのはマリンブルーの髪を靡かせる少女――プリュイだった。


「皆の者、耳をかっぽじって良く聞け! 妾に名案がある!」


「「……」」


 緊張感をぶち壊しにした嵐の到来に、全員の白けた視線がプリュイに突き刺さる。が、彼女がその程度のことで動じることはない。むしろ、注目が集まったことに満足がいったのか何度も頷いている有様である。


「急にどうしたの? それに名案って?」


 心優しきディアが唯一、プリュイに声を掛けてあげていた。

 それで余計に調子に乗ったのか、プリュイは偉そうに胸を大きく張りながら言葉を続ける。


「ふっふっふ。良くぞ訊いてくれた! 妾は思ったのだ。王都を守る必要など、ないのではないかとな。悪いが、妾が守りたいものは……その、あれだ……友だけだ。――コホンッ、正直に言ってしまえば、この国がどうなろうと妾には関係がないし、然程興味もない。確かに地竜族が我ら竜族が定めた約定を破ったことは断じて許せるものではないが、かといって妾たちが表立ってシュタルク帝国とやらを追い払うのはちと難しい。何より、水竜族には水竜族の掟があるのでな。無関係な人間を殺すわけにもいかぬのだ。故に、だ! 妾たちは各々が大切に思う者たちをここから逃がす手伝いをするというのはどうだ? 何なら王都に残された人間共も一緒に逃がしてやってもいいが」


 照れ隠しをしながらプリュイが語った内容は妙案というよりももはや提案だったが、決して悪い話ではなかった。いや、むしろ俺たちとほぼ同じ答えに辿り着いていたことに驚いたくらいだ。


 俺たちは俺たちにしかできないことをやるつもりだったが、その内容こそがプリュイが今語った内容と酷似していた。

 若干の違いを挙げるとするならば、俺たちの主目的がマギア王国の存続にあることくらいだろう。


 開戦間際の王都では一般市民のほとんどは避難を終えており、今もなお残っているのは極一部の市民と、騎士や魔法師や兵士、それから傭兵や冒険者、そして貴族や王族のみ。商魂逞しい商人も流石に命の危機を感じてか、とっくに王都から離れていた。


 既に王都から人々の活気や喧騒は消え去り、緊張感だけが漂う場となっている。

 そのお陰……と言ったら少し語弊が生まれるかもしれないが、俺たちからしてみればだいぶ動きやすい環境になっていることは確かだった。


 俺たちの目的を果たすためには開戦前の今しかタイミングは残されていない。

 そのためにもフラムとイグニス、そしてロザリーさんの三人にはそろそろ動いてもらう必要がある。


 一通りプリュイの話を訊き終えた俺は、おもむろに椅子から立ち上がり、扉の前で仁王立ちするプリュイの前に向かい、右手を差し伸ばした。


「実は俺たちも似たようなことを考えていたんだ。もし良かったらプリュイも手伝ってくれないか?」


 そう言って俺が差し伸ばした手をプリュイはその小さな手で力強く握り返してきた。


「妾の妙案を横取りされた気分だが、まぁ良い。このプリュイ様が手を貸してやろう」


 自信に満ち溢れた顔でガッチリと握り返してきたプリュイ。その小さな手のひらからは熱が伝わってきた。


 手を離した俺は身体ごと後ろを振り返り、ロザリーさんに視線を送ると、一つ強く頷き、声を掛ける。


「それじゃあそろそろお願いします、ロザリーさん」


「承知致しました。断られるかもしれませんが、ラバール王国の全権代理人として、フラム様とイグニス様をお連れし、カタリーナ王女殿下に謁見を申し込んで参ります」


 タイミングがタイミングだ。

 本来ならば絶対に許可されないであろう謁見の申し出だが、曲がりなりにもアウグスト国王とエステル王妃を救った功績がある以上、向こうも無碍にはできないだろうと踏んでの行動だ。アウグスト国王のもとまで声が届きさえすれば何とかなるだろうと俺は少し楽観視している。




 こうしてロザリーさんとフラム、そしてイグニスの三人を乗せたラバール王国の国旗を掲げた馬車が白銀の城に向かって行った。

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