第586話 悪あがき
俺が目覚めてから、早くも丸一日が経過しようとしていた。
指先一つ動かすので精一杯だった身体も今となっては一人で歩ける程度まで快復してきている。とはいえ、全快にはまだまだ程遠い。全身の倦怠感や手足の痺れもそうだが、一番厄介なのはスキルがほとんど使えなくなっていることだ。
情報を看破する『
俺の部屋のクローゼットの中に設置してあるゲート。
黒い渦を巻きながら空間と空間を繋ぐゲートは今も作動している。王都にある俺たちの屋敷にも当然繋がっているし、これまでに設置してきた場所にも未だに繋がっている。
その一方、今の俺ではゲートを閉じることができなくなっていた。
つまるところ、制御不可となったゲートは鍵が付いてない開けっ放しの玄関のようなもの。鍵がない以上、誰彼構わず出入りが自由となってしまっているのだ。
王都にシュタルク帝国軍が迫ってきている中、これは致命的だと言わざるを得ない。
屋敷に滞在しているアリシアやラバール王国の人たちを逃がそうにもゲートが閉じられないともなれば、彼女たちを安全圏へ逃がすどころか、下手をすればラバール王国を危険に晒してしまう可能性を大いに孕んでしまっている。
そうはさせないためにも何としてでもゲートを死守しなければならない。しかし、固定してしまっているゲートは閉じることも動かすことも不可能。正直に言って、人を守るよりもゲートを守る方が余程難しいだろう。
ちなみに、このことはロザリーさんとアリシアには既に伝えてある。
ロザリーさんもアリシアもゲートが閉じられないことについてあまり……というか全く心配した様子はなかった。特にアリシアに関しては心配どころか、何処かホッとした雰囲気を醸し出していたのが少し俺の中で引っ掛かっている。
心優しいアリシアのことだ。大方、マギア王国を見捨ててラバール王国に帰ることなんてできないとでも考えているのかもしれない。
リハビリを兼ねて遅々とした足取りで食堂へと向かう。
俺の横ではディアが付き添ってくれている。俺が転びそうになっても大丈夫なように見守ってくれているのだ。
俺が寝ている間にも必死に看病してくれたとも訊いている。今もこうして介護をしてくれているディアには本当に頭が下がる思いだ。
いつか必ずこの恩を返さなければなどと思いつつ、食堂の扉をディアに開けてもらうと、そこには大量の皿を積み上げるフラムと、その給仕を行うイグニスの姿があった。
「もぐもぐ……ゴクンッ。おおっ、主よ。ようやく目が覚めたの――どうしたのだ? その紅い目は」
「俺にもさっぱり。起きたらこうなってたんだ」
「ふーん、そうか」
それだけを言い、また料理に手を伸ばすフラム。
思わず気が抜けてしまいそうになるほど、いつも通り過ぎるフラムの久しぶりの姿を見て、少し安堵してしまう自分がいた。
「二人とも、いつ帰って来たの?」
ここで呆れたりしないところがディアの美徳だろう。いや、フラムの突拍子もない行動に慣れてしまっているだけかもしれない。
「今さっきだぞ。この二日間何も食べていなくてな。腹ごしらえをしていたところだ」
帰ってきたばかりとは思えないほどテーブルの上に皿が積み重なっているが、まぁ気にするほどのことではない。
そんなことよりも俺には二人に訊いておきたいことがあった。
「それで、シュタルク帝国軍の様子はどうだった?」
「ふむ、ディアから話を訊いたのか。まぁ、大方私の予想通りだったぞ。やはり地竜族はシュタルク帝国に与していた。竜の約定を破った奴らを軽く捻ってやろうと思ったんたが……。すまない、主。失敗してしまった」
いくらフラムでも相手が竜族――それもフラムと同格の存在である
そう勝手に思っていたのだが、そこからさらに詳細な話を訊いていくうちにそうではなかったと知った。
「つまり、地竜王よりも面白い力を持っているっていうエルフの方が厄介だったと?」
「相性の問題というのも多少あるかもしれないが、そうなるな。だが、少なくとも一対一であれば私が負けることはない。決着がつかないことはあるかもしれないがな」
自分が最強だと信じて疑わないあのフラムがこうまで評価する相手だ。俺が今まで戦ってきたどの相手よりも強いだろうことは想像に難くない。
そんな人物がシュタルク帝国軍にいることもかなり驚きだったが、フラムとイグニスがシュタルク帝国軍を半壊させ、一時的とはいえ撤退にまで追い込んだという話の方が寝耳に水だった。
俺の隣で話を聴いていたディアも目をまん丸くして驚きを隠せずにいる。
「こうすけ、このことはアリシアたちにも伝えた方がいいんじゃない? ……もしかしたら怒られるかもしれないけど」
「かもしれないね。特にロザリーさんあたりに……」
許可もなくシュタルク帝国軍を半壊させてしまったのだ。一応、肩書きの上では俺たち『紅』はラバール王国側の人間ということになっている。そんな俺たち……もといフラムとイグニスがシュタルク帝国に喧嘩を売ったともなれば、国際問題に発展しても何ら不思議ではない。
褒められる可能性よりも怒られる可能性の方が遥かに高いだろう。
だが、その程度で臆するほどフラムの肝は小さくない。
「別に叱責を受けようが私は気にしないぞ? それに今はそれどころじゃないだろう。主よ、心して訊いてくれ。私の見立てに間違いがなければ――王都は陥落する」
俺はその言葉に対し、特に驚くことはなかった。
心の何処かで気付いていたのだ。
マギア王国は詰んでいる、と。
たとえ地竜王を含む地竜族がシュタルク帝国に与していなかったとしても、結果は然程変わらなかっただろう。
ガイストが長い長い時間を掛けて周到に準備した計画を、たかだか数ヶ月マギア王国に滞在しただけでどうにかなるはずがなかったのだ。
おそらくこの計画を俺たちに漏らしたアーテも、俺たちにはもうどうすることもできないと分かり切っていたに違いない。
結局のところ、俺たちは完全にアーテの手のひらの上で踊らされていただけだったのだ。
南と東から迫り来る屈強なシュタルク帝国軍に、連敗続きで弱り切っているマギア王国軍が勝てる道理はない。
戦争のことをろくに知らない俺にだって今ならわかる。この戦争は開戦と同時に詰んでいたのだということが。
もし宣戦布告を行ったのがシュタルク帝国側だったのなら、均衡が崩れることを恐れた他の大国がマギア王国に手を貸していただろう。
だが、いくら精神を支配されていたとはいえ、開戦に踏み切ったのはマギア王国なのだ。真相がどうあれ、こうなってしまった以上、他の大国が手を取り合うことも横槍を入れることも難しいに決まっている。
もはや打つ手は皆無に等しい。
仮に俺の身体の状態が万全だったとしてもそれは変わらないだろう。
だが、それでもそう簡単に割り切れるほど俺は大人ではなかった。いや、どうやら割り切れなかったのは俺だけではなかったらしい。
「わたしたちにできることはもうないのかな?」
「うむ、そうだな。私としても、このまま土竜共の思い通りに事が進むのは癪だ。もう少しくらい足掻いてみても悪くはないかもしれないな」
ディアもフラムも諦めの悪さだけは俺以上のようだ。特にフラムに限っては同族の問題もあってか、らしくないほど熱が籠もっていた。
「もう少しだけ考えてみようか。俺たちにできることを。そして、これからのことを」
「うん」「うむ」
王都を守ることはできないかもしれない。
それでも俺たちはより良い未来を掴むために足掻くことを決めたのであった。
それから三日後、シュタルク帝国軍は王都ヴィンテルに攻撃を開始した。
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