第585話 一筋の光

「申し訳ございません。他の土竜を叩いている隙にドレックに逃げられてしまいました」


 フラムと合流を果たしたイグニスは開口一番、深々と頭を下げて謝罪する。

 相手がいくら格下だったとはいえ、ドレックを除く地竜族七人と、腕に覚えがあったのであろう四十前後の人間を相手にしておきながら、その身に纏っている執事服には塵一つ付着していなかった。


 イグニスが繰り広げた戦闘はもはや戦いとも呼べぬほど一方的なものだった。されど、イグニスの手によって死した者は誇ってもいいだろう。足止めとしては十分過ぎるほどに時間を稼げたのだから。

 如何に完璧超人ならぬ完璧超竜であるイグニスといえども、『王ノ盾』の二つ名を持つほどの防御力を誇るドレックを、大多数の敵を相手にしながら倒し切るのは不可能だったのだ。

 それでもイグニスからしてみれば失態であったことには変わりない。不甲斐なさと羞恥心でフラムの顔を直視できなくなってしまっていた。


 忸怩たる思いを抱きながら深く反省するイグニスに、フラムはほんの僅かに機嫌が良さそうな陽気な声で返事をする。


「別に謝る必要はないぞ? 所詮、奴は硬いだけが取り柄の盾だ。奴が闇討ちをしてこようが、私たちを害することなどできやしない。主にもディアにもな」


 イグニスはフラムの執事であり、右腕だ。敬愛すべき王の微々たる機嫌の変化に気付かないはずがない。頭を上げると、首を傾げて尋ねる。


「何か良いことでもございましたか? とても愉しそうなご様子ですが」


「いやなに、少し興味深い力を持つ者を見つけただけだ。あれはなかなかの強敵になるかもしれないぞ? あのクソジジイと少しでも連携を取ることができるなら、もしかしたら私にも届くかもしれないな」


 それはイグニスからしてみれば驚愕すべき言葉だった。

 自他ともに認める古今無双の絶対的強者であるフラムがその強さを、可能性を認めたのだ。

 長きに渡って付き従い、そして支えてきたイグニスでさえも、フラムがそこまで敵を評価したことは過去に一度も耳にしたことがなかった。味方ならまだ理解ができた。納得もいっただらう。しかし、今回は敵にそれほどまでに高い評価を下したのだ。イグニスは無意識のうちに目を見開き、驚愕を顕にしていた。


「それほどまでの強敵が……」


「ん? そこまで驚くことか? あくまでも可能性の話だぞ? だが、どちらにせよ厄介な敵であることには変わりない。戦ってみて改めて思ったが、やはり私が予期していた通り、マギア王国がこの戦争に勝つことは難しいだろうな。ひとまず帰るとして、さて……どうしたものか……」


 王都がある北の空を見上げ、フラムは近く訪れるだろう未来を頭の中で描いた。


―――――――――


 王都まで残り一日という距離まで迫っていた南方から王都を目指していたシュタルク帝国軍は、フラムとイグニスの急襲を受け、一時撤退を余儀なくされた。


 死者だけでも約四万。そこに負傷者を加えると元々十万いたシュタルク帝国軍の半数以上をこの短時間で失ってしまった計算になる。

 負傷者に関しては優秀な治癒魔法師を多く帯同させていることもあり、時間さえ掛ければ戦線への復帰は十分可能。

 しかし、死んだ人間だけは戻らない。軍の再編は急務だった。


 担架や馬車に大勢の負傷者を乗せて退却していくその道中、一際豪奢な馬車の中から怒声が上がる。


「クソがクソがクソがクソがクソがっ!!」


 エルフの美女は美しい顔を激しく歪め、強烈な殺意を宿した瞳を同乗する地竜王とその右腕であるドレックに向ける。


 紛うことなき大敗を喫したのだ。それもたった二名の手によって。

 ここまで順調だった侵攻計画も此度の一件で大幅な修正をしなければならなくなってしまった。評価もそうだが、名誉とプライドを酷く傷つけられたのだ。エルフの美女の怒りは留まることをしらない。


「テメエらが出しゃばったせいでクソ面倒な奴らが出てきちまったじゃねぇか。どう落とし前をつけてくれんだ? あん?」


 今にも胸ぐらを掴んできそうなほどの剣幕に、地竜王は視線を逸らし馬車の窓から外を眺め、あたかも無関係であるかのように振る舞う。それにより、ドレックがエルフの美女からロックオンされることになる。


「ええっと……ですね、俺はただ貴女の命令通りに鼠を処分しようとしただけであって……」


「あん? そのクソ鼠共も処分できてねぇくせに何をほざいてやがる。挙げ句、鼠の代わりに竜族ドラゴンを連れて来たってか? こうならないようあの世に逝ったガイストが根回ししたっつうのにどうしてくれるんだ? あん!?」


(いやいや! 確かに俺も少しは悪いことをした自覚はあるけど、そもそも炎竜王フラムがいるなんて話自体、聞いてなかったし。でも、そんなことを言える空気じゃないよなぁ……はぁ〜……)


 何処かで情報伝達にミスがあったことは明らかだったが、今は犯人探しをしている場合ではない。ドレックの中では犯人を二名まで絞り込んでいたが、ここで反論をすれば余計な怒りを買うだけだと判断し、喉元で飲み込んで沈黙を貫くことにした。


「……ざけやがって。おい、そこの無関係ヅラしてやがるクソジジイ。テメエにも言いたいことが山のようにある――が、これだけは先に言わせろ。あの女の力は一体どうなってやがる。テメエが竜王に相応しい力を持っていることはそれなりに理解しているつもりだ。だが、あの女からはそれ以上のヤベェ匂いがした。テメエと同格って話じゃなかったのか?」


 戦闘という戦闘にまで発展していなかったにもかかわらず、エルフの美女はフラムの力が地竜王の遥か上に至っていることを直感的に理解していた。いや、理解させられたと言えるだろう。

 彼女が持つ力の本質を早々に見抜いたことも勿論そうだが、それ以上に彼女の力を知ってもなお、恐れることなく、むしろ楽しそうに立ち向かって来ようとした姿に激しい警戒心を抱いたのである。


 話が説教からフラムに移ったことで、ようやく地竜王は視線をエルフの美女に向け、そして豪快に笑った。


「――がーっはっはっはっ!! 流石に儂もあの強さはちと予想外じゃったわい。あやつら炎竜族は遥か太古から力だけで王を決めておったが、あれほどの傑物は儂が知る限り過去にはおらんかった。歴代最強と謳われているのも頷けるのう。正真正銘、あやつは――化物じゃよ」


「……チッ、クソったれが。敵戦力の修正もしなくちゃならねぇのか。だが、たとえ相手に化物がいようが、こっちの軍に多少の被害が出ようが、この戦争の勝者だけは絶対に揺らがねぇ。戦功を独り占めするのも悪くねぇと思っていたが、もうやめだ。負傷兵の治療を終え次第、東から侵攻する軍と連携し――王都を落とす」


―――――――――


 白銀の城にそのに朗報が飛び込んで来たのは、戦闘が終了した数時間後のことだった。


 日が沈みかけ、空が朱色に染まる時間。

 明日の王都防衛戦に備え、早めに会議を終えようとしていた大会議室に、一人の騎士が血相を変えて入室した。


 国王の御前だというのに膝をつくことも忘れ、その騎士は声を大にし、唾を飛ばして報告する。


「しゅ、シュタルク帝国軍がっ、南方より迫るシュタルク帝国軍が、こっ、後退を始めたとのことッ!!」


 様々な感情が入り混じっていたからか、騎士の報告は要領を得ないものになってしまっていた。


 だが、大会議室にいた誰もが叱責や追求をすることすら忘れ、声を発せられずに沈黙する。それほどまでに『後退』の二文字が衝撃的だったからだ。


 数秒、数十秒と時が経ち、国王アウグストがようやく我を取り戻し、沈黙を破ることに成功する。


「後退だと? して、その理由は?」


「――はっ! シュタルク帝国軍の監視を続けていた斥候曰く、突如としてシュタルク帝国軍に大炎が襲い、多大な被害をもたらしたとの報告が」


「大炎? 山火事……は有り得ぬか。悪天候があったなどという話はなかったはず。となると内部崩壊、あるいは何者かがシュタルク帝国軍に立ち向かったとでも? いや、そのようなことが果たしてあり得るのか……?」


 まるで独り言のように呟いていたアウグストだったが、静寂に支配されていた大会議室では、その声量でも十分過ぎるほど皆の耳によく届いていた。


「被害状況等の詳細が判明次第、追って報告せよ。これは我が国の命運を分ける極めて重大な情報になるやもしれぬ。急がせよ」


「――はっ! 承知致しました!!」


 騎士が退出してもなお、未だに『後退』の報せを受け入れられなかった者が多く、大会議室は依然として沈黙に支配され続けていた。


 そんな中、アウグストは消えかけていた闘志の炎に薪を焚べる。


(数日の猶予かもしれぬ。だが、これで僅かながらに光が見えてきた。思いの外、集まってきている西方貴族軍を王都内に受け入れる時間が確保できたことを考えると……戦える、戦えるぞ――)


 闘志の炎を燃やすアウグスト。

 その一方で、この大会議室にただ一人、我を忘れることなく騎士からの報告を冷静に受け入れていた人物がいた。


 侯爵家の当主として会議に参加していたカイサ・ロブネルだ。

 この大会議室の中にいる者でカイサだけが唯一、正解に近しい答えに辿り着いていた。


(あのシュタルク帝国軍を退けるほどの火系統魔法の使い手など、一人しか思い浮かばないな。きっとお前なんだろう? フラム)

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