第584話 消え行く背中

 フラムの前に姿を見せたのは、エメラルド色の光沢のある長い髪を靡かせたエルフの美女だった。

 その顔の造形は人間のそれらとは一線を画しており、男性であれば誰もが目を奪われてしまうだろう。ただし、眉間に深い皺を作って鬼の形相を浮かべていなければの話だが。


 表情だけではなく、フラムを見つめる透き通った翡翠色の瞳にも明らかに苛立ちの感情が籠められていた。

 横顔や後ろ姿を見ただけでもわかるほどの強い苛立ち。其れはもはや怒りにも等しい。近くにいたシュタルク帝国兵たちに緊張が走っていた。


 エルフの美女の登場によって途端に静まり返った戦場。その静寂を打ち破ったのはこの空気を作り出した当のエルフだった。


「テメエらの問題に私たちを巻き込むんじゃねぇよ、クソったれが。こちとら仕事でクソ忙しいんだ。喧嘩なら他所でやりやがれや」


 物怖じすることもなく有無を言わせないほどの強烈な言葉を放ったエルフに、フラムが興味深そうな顔を作る。


「ほう、その口振りから察するに、貴様……私たちのことを少しは知っているようだな」


「だったらどうするってんだ? あん?」


 彼女は知っていた。伝えられていた。

 フラムの存在もその正体も、そして竜の約定のことも全て知っていてもなお、喧嘩腰を崩さずにいたのだ。


 それは裏を返せば自信の表れとも言えるだろう。

 フラムを相手にしてもそう簡単に負けることはないという些か高過ぎる自己評価。

 彼女には世界最強の戦闘部隊 《四武神アレーズ》として長きに渡りシュタルク帝国を支えてきた自負がある。

 いくらフラムの正体が竜族……それも竜王だとしても、彼女は自分ならば十分に通用すると確信していたのである。

 確信に至ったその根拠は、仲間とも戦友とも思ったことはないが、幾度も仕事を共に遂行してきた地竜王アース・ロードの実力を知っていたが故。

 竜族といえども彼女が持つ力があれば十二分に渡り合える、互角かそれ以上の戦いをすることができると判断していたのだ。


 しかし、エルフの美女は一つだけ大きな勘違いをしていた。

 十把一絡げに竜王の力をほぼ同等なものだと思い込んでしまっていたのである。

 彼女が持つ竜族に関する知識は全て地竜王とその右腕であるドレックから齎されたものであり、それらの知識は非常に浅いものと言わざるを得ない。

 血筋ではなく実力だけで決まる炎竜王ファイア・ロードの特異性もそうだが、フラムの強さを、その恐ろしさを彼女は知らなかった。


 だが、それも仕方がないことだろう。

 彼女に知識を与えた地竜王もドレックもフラムの強さを見誤っていたのだから。

 そもそも彼らも、またフラムも互いの真の力を知る機会など、これまでただ一度もなかったのだ。


 噂程度の伝聞で知ったつもりになっていた。大なり小なり尾ひれがついたものだと聞き捨ててしまっていた。

 多少なりとも彼らに油断や慢心があったとも言えるだろう。

 しっかりと見極めるべきだったのだ。少しでもフラムの実力を知ろうと努力するべきだった。


 その少しの油断が足を掬われる原因となってしまう。


「まずは改めさせてやろう。そのナメた口の利き方を、私に対する貴様の認識を」


 フラムの身体から火の粉のような赤い光の粒子が溢れ出る。それは常日頃から抑え込んでいた力が現実世界に放たれ、具現化したもの。

 竜族の中でも飛び抜けて高い実力を持った者でしかできない芸当だった。


「――がっーはっはっはっ!! 相変わらず面白い奴じゃ。その様子じゃと、まだまだ暴れ足りてないようじゃのう」


 地竜王が笑っている間にも光の粒子がフラムの身体から迸っていく。やがて光の粒子は空を舞い、吹雪のように荒れ狂う。


「チッ……。愉しそうに笑っている場合じゃねぇぞ、クソジジイ。――来る」


 瞬間、《四武神》の二人の視界が真っ赤に染まる。

 フラムの足元を中心に轟々と燃え盛る極太の火柱が顕現し、大地を溶かし、天を穿つ。それに伴い、火柱の中で連鎖的に爆発が発生し、空気を震わせる。

 火柱に巻き込まれたシュタルク帝国兵の絶叫は爆発音で全て掻き消され、またその存在肉体もこの世から跡形もなく消えてなくなった。


 だが、それだけでは終わらない。

 あくまでも、これは一つのに過ぎない。


 竜王剣を持ったフラムが火柱の中を駆ける。

 火に対する絶対的な耐性を持つフラムからしてみれば、この火柱が仮に自分の力によるものではなかったとしても何の痛痒も感じることはない。強いて難点を挙げるとするならば、呼吸ができないことと、極めて視界が悪いことくらいだろう。

 とはいえ、数分間息を止めることなど容易。視界に関しても探知系統スキルを用いれば標的を探す程度ならば特に問題にはならない。


 フラムの探知スキルが二つの気配を捕捉する。

 この業火の中でもはっきりとした生命反応が感じ取れることから、標的の二人が瀕死になっていたり、大怪我を負っている様子はない。十中八九、無傷だろうと推測ができた。


(ふむ、流石にこの程度の魔法では死なないか。だが、それなりに収穫はあったな。にも抜け穴があるとみて間違いなさそうだ。もう少し試してみるか)


 地竜王とエルフの美女はすぐに見つかった。

 真っ赤に染まった空間にポツンと張られた無色透明の結界の中に二人はいた。

 轟々と燃え盛る炎を無力化する様は紅介が持つ『魔力の支配者マジック・ルーラー』の魔力遮断の結界に似ており、一見すると同一のスキルの思えるが、その実、性質は大きく異なる。


 熱で溶けた大地を強く踏み込んだフラムは一瞬でその距離を潰すと、透明な結界に向けて竜王剣を軽く振り下ろす。

 すると、竜王剣を握っていた右腕に浅い裂傷が突如として現れ、僅かに血が滲み出る。そして、すぐさま炎によって血が蒸発し、薄っすらと小さな傷跡だけがフラムの右腕に残った。


 フラムは傷ついた右腕をぼんやりと見つめながら、口元に小さな笑みを浮かべる。


(――面白い。ひと目見た時からわかっていたことだが、まさか本当に魔法も物理も全て私に返ってくるとはな。興味深い力だ)


 満足のいく成果を手にしたフラムは指をパチンと鳴らし、火柱を消し去る。


 熱せられた空気が急速に冷めていく。周辺の大地はいたる所で小さな炎を上げ、赤黒く染まっていた。

 死体はどこにも見当たらない。全て炎に呑まれて消えてしまっていた。


 死傷者多数。被害大。

 だが、エルフの美女は軍の被害状況を詳細に把握するよりも、目の前で不気味に微笑むフラムに全神経を注ぎ込み、話し掛ける。


「これで終いか? 私の言葉遣いと認識とやらを改めさせるんじゃなかったのか?」


「これだけの被害を出しておきながらまだ挑発を続けるとはのう」


「クソジジイは黙っとけ」


 ぴしゃりと地竜王の口入れを跳ね除けたエルフの美女のフラムに向けた表情は、挑発的な言葉とは裏腹に真剣そのもの。それどころか、どことなく緊張の色を帯びていた。


 対するフラムは笑みを崩さずエルフの美女を見つめる。

 結果だけを見れば、フラムの攻撃が通用しなかったのだ。敗北とまではいかないものの、それでもあえて勝者を決めるとするならば軍配は向こうに上がるだろう。

 だが、二人の表情や纏う雰囲気はその真逆。明らかに余裕があるはフラムの方だった。


「確かに口の利き方を改めさせるのは失敗してしまったかもしれないな。だが、私に対する認識の方はどうだ?」


「……さあな。クソほど変わってねぇな」


 僅かに間が空いた返答を聞き、フラムは更に笑みを深め、こう言葉を続ける。


「随分と面白い力を持っているではないか。反射……とは少し違うな。スキルの名からして、貴様のその力は――」


 そこまでフラムが口にしたタイミングでエルフの美女が声を微かに震わせ、言葉を遮った。


「こんっの、クソアマが……。この短時間で私の力の本質を見抜いただと? ふざけやがって……」


「さあ? どうだろうな。どうする? 試してみるか?」


 竜王剣を肩に担ぎ、余裕の表情を浮かべながら空いた左手で手招きするフラム。

 それに対し、エルフの美女は大きく舌を打ち、くるりと背を向けた。


「……一時撤退だ。おい、クソジジイ。このままじゃ靴が溶けちまう。地面をなんとかしろ」


「知ってはおったが、お前さんは年寄りを労る気持ちが欠けておるのう」


「四の五の言ってんじゃねぇぞ、クソジジイ。軍を立て直さなきゃならねぇんだ、さっさとしやがれ」




 こうして地竜王とエルフの美女は生き残ったシュタルク帝国軍約六万を率いて後退していった。


 その後ろ姿をフラムは睨みつけながらも追うことはなかった。いや、今は追っても無駄だと悟っていたのだ。


(ジジイだけならどうとでもなるだろうが、あのエルフを攻略しない限り殺せそうにないな。うーむ、どうしたものか……)


 フラムは頭を悩ませつつ、シュタルク帝国軍の姿が完全に見えなくなるまでぼんやりと見つめ続けた――。

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