第581話 最後の慈悲

 マギア王国の南方から王都ヴィンテルに向けて北上していたシュタルク帝国軍約十万は、目的地である王都まで残り一日を切ったタイミングで、たった二人の男女の登場によって、その足を止めざるを得なくなっていた。


「貴様ら、何をしている! 死にたくなければ道を開けよ!」


 先頭の指揮を任されていた指揮官の男が苛立ち混じりの声を上げる。

 部下たちに即座に武器を抜かせ、始末をさせなかったのは、広く開けた街道のど真ん中で立ち塞がるように行く手を阻む男女の格好が明らかに軍人のそれではなかったからだ。


 此度の侵攻作戦に於いて民間人への手出しは極力避けるよう指示されている。故に、進軍の邪魔をされてしまったが、おいそれと排除するわけにはいかず、最初で最後の慈悲を与えたのである。


 だが、場違い極まりない露出の多い女と執事服を着た男――フラムとイグニスは、あらうことかその慈悲を無視し、微動だにすることはなかった。


 指揮官の男の顔がみるみるうちに紅潮していく。

 慈悲を与えてやったにもかかわらず、無視を決め込まれたのだ。部下たちの前で恥をかかされたと言っても過言ではなかった。


 断じて許される行為ではない。恥までかかされたのだ。死をもって償ってもらわなければ気が済まない。


「総員、構えッ! あの愚か共に死の鉄槌を下すのだ!!」


 相手はたかが二人。

 陣形を組む必要性すらも感じられないほどの数だ。

 指揮官の男は自身の指揮下にある約二千の兵で容易く蹂躙できると判断を下したのである。


 しかし、それは慢心以外の何物でもなかった。

 ここまで破竹の勢いでマギア王国を占領下に置いて来た実績が指揮官の男を慢心させたのだ。

 温すぎる環境で育ってきたマギア王国民など、激しい競争社会で生き抜き、そして鍛えてきたシュタルク帝国軍の相手ではないと、開戦以来ずっと頭の片隅で考えていた。

 たとえ《四武神アレーズ》が軍を率いずとも、圧勝できていたと思い込んでいたのだ。


 事実、指揮官の男の考えは然程間違ってはいなかった。

 無論、ここまでスムーズな侵攻こそ不可能だったが、マギア王国軍とシュタルク帝国軍の間には純然たる力の差がある。ガイストが長きに渡って整えてきた下地さえあれば、《四武神》不在のシュタルク帝国軍でも多少の時間を掛ければ、この侵攻作戦を遂行できただろう。

 しかし、物事には総じて例外があるようにこの侵攻作戦にも例外が存在する。そして、その例外に対処するための保険として《四武神》が派遣されたことを指揮官の男は知らなかった。ましてや、その極めて稀有な例外が目の前にいる男女とは露ほども思っていなかった。


 指揮官の男の命令により、威嚇と牽制の意味を籠めた数十本の矢がフラムとイグニスに向けて放たれる。

 魔法の付与も特別なスキルの付与も何も行われていない矢が二人の四肢を目掛けて飛んでいき――灰となって燃え尽きた。


 だが、その程度のことで慌てふためくほどシュタルク帝国軍に軟弱者はいない。

 一定の実力を持った者ならば数十本程度の矢を無力化することなど造作もない。しかも今回放たれた矢は鏃こそ鉄製だったが、他は燃えやすい素材で作られている。火系統魔法を操れる者ならばいくらでも対処可能な代物だった。


 とはいえ、こうも容易く矢を無力化したのだ。一定の実力を持っていることは認めざるを得ない。

 立ち塞がる二人が持つ力の想定を上方修正し、指揮官の男が次なる命令を下そうと口を大きく開いたその時だった。


 イグニスを引き連れたフラムがシュタルク帝国軍との距離をゆっくり縮めはじめ、そして声を張らずに済む距離まで堂々と近付くと、指揮官の男に話し掛けるかのように声を上げた。


「お前たちの相手をするつもりはない。とりあえず指揮官を連れてきてもらうぞ」


 爛々と輝くフラムの金色の瞳に、見た者全てが思わず魅入られ、吸い込まれてしまう。そこに隠された強烈な殺意に一切気付かぬまま。


「私が栄えある第一軍第三部隊の指揮を任されている者だ」


 フラムの瞳に魅入られた指揮官の男は怒りを忘れ、無意識のうちに一歩前に出てそう答える。

 だが、その言葉を訊いたフラムはつまらなそうに冷めた眼差しを向け、こう続けた。


「悪いが貴様のような雑魚に用はない。この軍の総指揮官を出せと私は言っているんだ」


「なっ――! 貴様ッ……」


 指揮官の男は熟した林檎のように顔を真っ赤に染め、額に青筋を浮かべ声を震わす。恥をかかされただけではなく愚弄され、侮辱されたのだ。到底許せるものではない。

 怒りのままに腰に携えていた剣を抜き、構える。部下たちも男に倣う形で各々武器を抜いていた。


 一気に一触即発の空気に包まれる。

 どちらかが少しでも動き出せばすぐにでも殺し合いが始まりそうな緊迫した中、シュタルク帝国軍の後方から聞こえてきた一人の男の声でそんな空気が霧散した。


「何じゃ何じゃ、また儂に何か用かのう?」


 十万近くにも及ぶ人の波を真っ二つに割り、フラムとイグニスの前まで姿を見せたのは地竜王アース・ロードとその右腕であるドレックだった。

 顔を紅潮させていた指揮官の男も《四武神》の登場ともなれば、大人しくする他ない。ギリギリと奥歯を強く噛み締めながらも、ふと《四武神》がわざわざ姿を見せたことに疑問を覚えつつも、一歩後ろに下がった。


 そして、この場に似つかわしくない執事の格好をした者が二人。

 緊張感をまるで感じさせない微笑を浮かべるイグニスと、やや引き攣った笑みを無理矢理浮かべるドレックが視線を交わし合う。


 そんな二人をよそに、フラムの瞳は地竜王だけを映し出し、捉えていた。


「よく私の前に顔を出せたな、クソジジイ。私がここに来た理由くらいわかっているだろう?」


「はて、何のことじゃ? 儂にはさっぱりわからんのう」


 フラムの眼差し、声、雰囲気から強烈な殺気を感じ取れているにもかかわらず、地竜王はおちゃらけた態度を崩さない。フラムはフラムで挑発じみた態度を続ける地竜王に特段何か思うことはなく、ただただ殺気を撒き散らす。


「言ったはずだ。『シュタルク帝国に与したまま私の前に姿を見せたその時は竜の約定に則り、貴様らを断罪する』と。それに貴様らがシュタルク帝国軍を率いてマギア王国を侵略していることは既にこの眼で確認している。もはや言い逃れはできないし、させるつもりもない。土竜のように穴を掘りながらここまで来たんだろう?」


「だとして、それがどうしたという? お前さんの言うとおり、儂らは穴を掘っただけに過ぎん。それだけじゃというのに、お前さんらに四の五の言われる筋合いはないと思うがのう。違うか?」


「――違うぞ。そもそも約定を破ったかどうかの判断は貴様らではなく私たちが決めることだ。そして、火と水を代表して私とプリュイが貴様らを悪と断じた。先日は見逃してやったが、今日はそうはいかない。だが……私から貴様らに最後の慈悲を与えてやる。今すぐねぐらに帰るなら良し。そうでなければ炎竜王フラムの名のもとにらこの場にいる全てを滅してやる。さあ、選べ」


 フラムが地竜王に突きつけた選択肢は二つ。

 約十万の軍勢諸共マギア王国から出ていくか、ここで死ぬかの二択だ。


 人間を殺すことを厭わないフラムだからこそ突きつけられる非情な選択肢。当然、それはブラフなどではない。地竜王の返答次第では、すぐさまこの場所に屍の山を築くつもりでいた。


 そして、地竜王は選ぶ。

 二つに一つの選択肢の中からではなく、第三の選択を。


「そうじゃのう……。――お前さんらをここで殺してしまう、というのは有りか?」


 自慢の髭を撫で、大きく口を吊り上げ、白い歯を見せる地竜王。それに対し、フラムは嘲り笑った。


「――面白い答えだ。だが、貴様が私に勝てるとでも思っているのか? 長き時を生きただけの老いぼれが」


「あいも変わらずお前さんはどこまでも自信家じゃのう。確かに一対一であれば、ちと難しいかもしれん。じゃが、見ての通り、儂らとお前さんらとでは圧倒的な数の差がある。有象無象と思っておるかもしれんが、数の力を侮るでないわい」


 半ば分かり切っていたことだが、交渉は決裂。

 今この時をもってこの場所が死地となることが確定した。


 フラムの決定に従うようにイグニスも戦闘態勢に入る。


「では、不肖ながら私めがドレック様のお相手を致しましょう」


「……ったく、些か謙遜が過ぎるんじゃないですかね? ――『万能者イグニス』さん」


 こうして炎竜王ファイア・ロードと地竜王、そして王を支える右腕同士の戦いが始まる――。

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