第579話 絶望の杭

 レーヴが陥落してから早四日。

 多忙と混乱を極める中、王都ヴィンテルに約一万の兵とそれを率いるカイサ・ロブネルが訪れていた。


 そのままの足で白銀の城に向かったカイサは早々に謁見の間に通され、国王アウグストと数名の大臣に迎えられる。

 今から行われるのはカイサがロブネル侯爵の当主として正式に承認されるための爵位継承式だ。無論、今は非常時。大々的な式典などは催されず、略式で行われることに決まっていた。


 毛の長い真っ赤な絨毯に膝をつき、頭を垂れるカイサにアウグストが直接声を掛ける。


「――カイサ・ロブネル。今日この時より、其方をロブネル侯爵家の当主として、アウグスト・ギア・フレーリンの名において承認する。マギア王国の永劫の繁栄のため、その爵位に恥じぬ働きを期待する」


「――はっ。承りました、陛下」


 まばらな拍手が謁見の間に虚しく響き渡る。

 略式とはいえ、その光景にはあまりにも華がなく、重苦しい雰囲気に包まれていた。

 だが、それも無理はない。シュタルク帝国軍が数日のうちに王都に辿り着いてしまうのだ。アウグストの時間もそうだが、数人の大臣の時間を割くことでさえも、かなりの無理をしている。それに元よりカイサ自身も華々しい式典を期待してはいなかったし、求めてもいない。


 彼女が求めるものは唯一つ――アウグストとの時間だった。


 つつが無く終わりを迎えようとしていた爵位継承式。

 拍手が鳴り止んだタイミングを見計らい、カイサが下げていた頭を軽く上げ、アウグストに視線を飛ばす。


「直答を許す」


 明確な意思を宿した真っ直ぐとしたカイサの眼差しに、アウグストがその意図を汲み取り応じる。


「陛下のお時間を頂戴したく存じます」


 その言葉の意味するところを履き違えるほどアウグストは愚王ではない。カイサが二人きりでの時間を求めていることを即座に察し、目配せだけで大臣たちを謁見の間から退かせた。


「して、用件は何だ?」


「陛下のお耳に入れたき情報がございます」


 カイサのその一言でアウグストの表情が僅かに固くなる。

 大臣たちを排除してほしいという要望を踏まえると、朗報ということは考えにくい。思わず耳を塞ぎたくなる衝動に駆られるが、アウグストの国王としての矜持がそれをさせなかった。


 そこから語られたカイサの話はアウグストの想像を遥かに上回る、紛れもない凶報だった。


 シュタルク帝国軍の一人と戦い、完敗したこと。

 カイサを容易に破った者の正体が地竜族であること。


 特に後者に限っては受け入れ難いという気持ちから耳を疑いたくなるような話だった。


「馬鹿な……。たったの一体で一国を滅ぼすと言われているあのドラゴンが、シュタルク帝国軍に加わっているだと……? そのような馬鹿な話が……」


「いいえ、陛下。紛れもなく全て事実です」


 生徒たちのことだけは隠し、実体験の全てを語り終えたカイサは、動揺が隠しきれない様子のアウグストに失礼を承知で進言する。


「陛下、この戦争に勝ち目は万が一もございません。王都ヴィンテルは間違いなく――陥落します」


 打ち首になってもおかしくはないカイサの爆弾発言に、アウグストは数拍の間を置いて口を開く。


「……信じざるを得ない、か。それに仮にその者が竜族ではなかったとしても、マギア王国随一の才媛と呼ばれている天才魔法師である其方を容易く打ち倒したのだ。その正体がどうであれ、強者であることには変わりない。だが――」


 顔を青褪めさせ、酷く動揺していたアウグストの表情が途端に引き締まり、王の顔となっていた。

 覚悟と責任を背負ったかのような迫真の表情を浮かべ、言葉を続ける。


「――それでも戦うしか道はない。この国のためにも、王としての責務を果たすためにも、だ」


 梃子でも動かないであろう確固たる決意をしたアウグストの眼差しを受け、カイサは悟る。


(やはり最後まで戦い抜かれるおつもりか……。確かに今でこそシュタルク帝国軍は民間人に手を出していないようだが、国が落ちた後のことはわからない。国を、民を守るためにもマギア王国の象徴たる王都だけは何としてでも守らなければならないというそのお気持ちは十分に理解できるが、それでも私は……)


 アウグストの考えが変わらないようにカイサの考えも変わることはなかった。


「承知致しました。でしたら、ロブネル侯爵家がを守る盾となりましょう。如何なる火の粉をも跳ね除け、未来を守るための盾に」


 カイサの言葉に嘘偽りは一つもなかった。

 ただし、彼女が守るモノの中には王都は含まれていない。

 彼女は徹頭徹尾、王家を――教え子を守る盾となるために今ここにいるのだ。


「ああ、頼りにさせてもらおう」


 認識に齟齬が生じていようが、わざわざそれを訂正するつもりはカイサにはない。いや、むしろそれを望んでいたくらいであった。




 暫しの間、沈黙が謁見の間を支配する。

 そんな沈黙を突如として打ち破ったのは、強く打ち鳴らされたノックの音だった。


「――陛下、失礼致します」


 許可を得ずに中へと入って来たのは額に大粒の汗を浮かべさせた一人の大臣だった。

 その声に導かれるようにアウグストとカイサのやや冷たい視線が大臣に集まるが、大臣はそれらの視線を物ともせずにアウグストのもとまで駆け足で近寄ると、耳打ちをした。


「南方へ向かわせていた斥候部隊からたった今、報告が。明朝にはシュタルク帝国軍およそ十万が王都に到着するとのこと」


「想定よりも早い……早過ぎる。一体、どんな手品を使った……? いや、今はそんなことを考えている場合ではない。軍の配備状況はどうなっている?」


「増援が到着次第、随時配置を行っていますが、想定よりも芳しくありません……」


 南方より迫るシュタルク帝国軍が山に穴を開けて最短距離で進軍してくるとは露ほども想定していなかったマギア王国としては、それはあまりにも早過ぎる到着だった。


 西から徐々に集まりつつある西方貴族軍だったが、その全てが到着するよりも先にシュタルク帝国軍が王都ヴィンテルの喉元まで迫って来てしまうという最悪の事態。

 もしシュタルク帝国軍が王都に到着してしまえば、王都の門は全て閉ざされ、増援を迎え入れることも難しくなってしまう。


 元々勝ち目がほぼ皆無の戦いに、より深い絶望の杭が打たれる。

 だが、それでもアウグストは王としての責務を全うするために己に活を入れ、思考を巡らせ命令を下す。


「城内の守りを全て南壁に回せ。近衛騎士も全てだ」


「しかし、それでは陛下の身の回りの安全が――」


 話に熱中するあまり、二人は気付かぬ間にその声量をカイサに聞こえてしまうほどに上げすぎていた。それを聞き逃すカイサではない。


「――でしたら、私が陛下をお守り致します。それから私が率いてきた約一万の兵を西門に配置させましょう。西門は謂わば、王都唯一の出入口となる重要拠点。シュタルク帝国軍に対抗するために南に兵を集めてしまえば、どうしても手薄になってしまう。そこを我がロブネル家の兵で補いましょう」


 カイサの提案はアウグストにとっても、アウグストの身を案じる大臣にとっても、正に渡りに船だった。断る理由など一つも見つからないほどに。


「頼めるか?」


「お任せください」


 そう言って頭を深々と下げたカイサの口元は、理想通りの展開に安堵してか、ほんの僅かに笑みを浮かべていた。


―――――――――――


『――これより覚醒状態に移行する』


 そんな機械じみたラフィーラの声を最後に、俺の意識が急速に浮上していく。


 閉じた瞼の先に確かな明かりを感じた俺は、重たくなった瞼をゆっくりと開ける。すると、そこにはルビーのように輝く綺麗な紅い瞳があった。


「こう、すけ……?」


 聴いてるだけで心の底から安心する温かい声が俺の鼓膜を優しく打つ。

 聞き間違えるはずがない。それはディアの声だった。


「……でぃ、ぁ……」


 この日、ようやく俺は長い長い夢の中から覚醒めざめた。

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