第578話 最悪を見越して
レーヴ陥落の報せはその日の内に白銀の城まで届けられた。
鳥を使っての伝達だったこともあり、戦いの詳細は不明。だが、開戦から一日と保たずの敗戦であったことから、一方的な戦いだったことは想像に難くなかった。
大会議室に連日連夜集っていたアウグスト国王並びに各大臣や貴族たちは敗戦の報せを受け、疲弊した身体に鞭を打ち、激論を交わす。
「――何が一体どうなっているというのだ! 続報は!? 何か続報はないのか!?」
「二十万を超える我が軍がたったの一日も保たなかったというのか!? あり得ん! いくらシュタルク帝国軍が強かろうともそのようなことがあり得るはずがない!」
「いえ、開戦以前から離反者が多く現れていたとのこと。戦わずして寝返った、或いは早々に投降をした可能性も捨てきれないのでは?」
「それこそあり得ませぬ! レーヴにはマギア王国に絶対の忠誠を誓う騎士団や魔法師団からなる八万の大軍を送ったのですぞ!? おそらく戦況を不利と見て一時撤退をしただけでしょう!」
「そ、そうですとも! もしくは王都ヴィンテルに南方からシュタルク帝国軍が迫ってきているという我々の報を受け、戻って来ているのかもしれません!」
各々が好き勝手に持論を述べていく。
だが、どれもこれも現実逃避をした希望的観測ばかり。正面から戦い、そして敗れたなどというあまりにも受け入れ難い現実を受け入れられる者は限られていた。
そんな限られた者の一人であったアウグストが重々しく口を開き、現実を受け入れられない者たちを黙らせる。
「――現実を見よ。届いた報せは敗戦の一報のみ。誤報ではなく真実だと見て動くべきであろう。違うか?」
「「……」」
アウグストの問い掛けに異論の声を上げられる者はいなかった。この場にいるアウグスト以外の誰もが俯き、唇を強く噛み締める。
「今、我々が考えるべきは南と東から迫るシュタルク帝国軍への対処だ。南から十万、東からはそれよりも少ないだろうが、それでも数万はやってくるであろう。対して我々の戦力はどうなっている?」
アウグストから視線を受けた大臣が姿勢を正し、手元の書類に視線を落としながら答える。
「――はっ! 陛下の増援要請に未だ挙兵をしていない西側貴族から良い返事が届きました。到着まで相応の時間を要しますが、当初の想定を超え、七万前後の増援が期待できるかと」
王都に残っている全兵力はおよそ三万。そこに七万を加えて計十万。当初の想定では八万程度が限界だろうと考えていたこともあり、今の話は朗報だと言えるだろう。
しかし、アウグストの顔色は依然として優れない。
眉を顰め、自分の手元にもある同じ書類に目を通していくふりをしながら、思考の海に潜る。
(レーヴでの敗戦が西の貴族たちの耳に届くまで然程時間は掛からないだろう。敗戦が濃厚となりつつある今、果たして国王である私の要請に律儀に応じるのか? いや、私が貴族の立場になって考えれば、答えは自ずと出てくるか……。まず第一に、貴族たちは賭けなければならない。シュタルク帝国に媚びを売り、生き残る道を模索するのか、それとも戦果を上げてマギア王国で躍進を遂げるのか。このいずれかに、だ。爵位と命。この二つを天秤にかけ、爵位を重く見る者は要請に応え、命を重く見る者はラバール王国への亡命を図るだろう。良くて半々と言ったところか……)
要請に応じた者が返事通りに動くとは限らない。
聡い者ほどシュタルク帝国の動向を安全な地から見守り、その後の対応を決めるだろう。そういった観点からアウグストは半数の三万から四万程度が集まれば上々と考えていた。
憤る気分にもなれない絶望的な未来しか頭の中で描けないアウグストの耳に、つい今しがた報告を行った大臣の声が届く。
「それともう一つご報告が。ロブネル侯爵家の当主がその爵位を一人娘であるカイサ・ロブネルに移譲するとのこと。それに伴い、兵一万を率いて陛下に謁見したいという申し出が」
ロブネル侯爵家は王都の北部に位置する領地を持つ上級貴族であるにもかかわらず、北部で最大派閥のフレーデン公爵家の派閥に入ることもなく中道を貫き続ける一匹狼のような貴族だった。
そんな他の貴族とは少し毛色の異なるロブネル侯爵家がこの非常時に代替わりをするという報告に極一部の者たちが顔を赤くし、憤慨する。
「マギア王国が危機に瀕しているというのに、ロブネル侯爵家は一体何を考えている!! 時を考えよ、時を!」
「ましてや一万の兵を率いてだと? よもやこの機に乗じて謀叛を企てているのではなかろうな!」
過激な発言をする極一部の者たちに対し、この場にいる大半の者たちが呆れ、出そうになるため息をグッと堪える。
カイサが兵を率いて謁見をしたいと申し出たのはあくまでも表面上の話に過ぎない。その行動の真の意味が王都――ひいてはマギア王国への増援にあることは明白だった。
「……あのカイサ・ロブネル殿がついに当主となられるのか。これは心強いですな」
この場にカイサ・ロブネルを知らない者は誰一人としていなかった。単にカイサが侯爵家の令嬢であったからという理由からでも、世界最高峰の魔法学校であるヴォルヴァ魔法学院の教師を若くして務めていたからでもない。
では、何故か。
それは彼女が言わずと知れた卓越した魔法師であるからに他ならない。
魔法師としての実力は魔法師団団長であるヨナタン・ストレームに勝るとも劣らないと言われており、そんな彼女が王都の危機に動いてくれたことに、憤慨する極一部の者を除き、歓喜していた。
だが、彼らは知らない。
カイサが既に一度敗れていることを。
そして、彼女が兵を率いて謁見を申し出た真の目的を。
―――――――――
「悪いな、アクセル。領民の避難を手伝ってもらって」
転移門を潜っては消えていく領民たちの長蛇の列をぼんやりと眺めていたカイサがアクセルに礼を言う。
「お礼なんて必要ないですよ、先生。いえ、カイサ・ロブネル侯爵とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「はぁ……。お前からそう言われても何故か嫌味にしか聞こえないんだが」
「いえいえいえ、滅相もございません」
わざとらしいほど仰々しくその場で深々と頭を下げて見せたアクセルの姿にカイサは軽い頭痛を覚える。
「そういうところが嫌味っぽいんだよ」
転移門を使い、ロブネル侯爵領に帰って来たカイサがまず起こした行動は父から当主の座を譲り受けることだった。
元より、魔法師としての類稀な才能に恵まれていたカイサは学院の教師などではなくロブネル侯爵家の当主になることを父から望まれていたこともあり、唐突な申し出だったといえ、当主の座を譲り受けるのはそう難しいことではなかった。
しかしながら、まだカイサは正式に当主として認められたわけではない。国王からの承認を経て、ようやくロブネル侯爵家の当主と認められるのだ。今はまだ当主(仮)と言った立場でしかない。
それでも彼女は早々に動いた。すぐに動かなければ間に合わないと理解していたからだ。
東と南から迫るシュタルク帝国軍。そしてそれを止める術を持たないマギア王国という構図をどの貴族よりも理解しているカイサが真っ先に取った行動は領民を国外に逃がすことだった。
北部に領地があるとはいえ、王都とかなり近い場所にある以上、シュタルク帝国の魔の手が伸びてくるのも時間の問題だ。
領地を全て駆け回り、領民に避難を呼びかけるだけでも数日を要してしまう。アクセルの力を借りてもだ。
「……この調子だと後三日は掛かってしまうだろうな」
「ですね。それでも喜ばしいことだと僕は思ってますよ。ここには僕たちが望んでやまなかった光景が広がってるんですから」
「そうか、そうだな」
ロブネル侯爵家の領民ということもあり、カイサが一度声を掛けるだけで避難希望者が殺到。無理強いなどを一切行っていないにもかかわらず、昨日今日でその数は万を優に超えていた。
都市部に住む領民への声掛けをまだしていないことから考えると、まだまだその数は増えていくに違いない。
転移門の入口の狭さが憎たらしくなるほどの長蛇の列は途切れることを知らない。カイサたちがいる位置からでは見えないほど遠くの列の後方では、他の『義賊』たちが嬉しい悲鳴を上げながら列の整理を行っていた。
「さてと、そろそろ私も支度をしなくてはな。侯爵としての最初で最後の仕事をするための、な」
「先生……本当に行くんですか?」
「当然だ。でなければ、わざわざ私が侯爵家の当主なんて面倒なものに進んでなると思うか?」
「だったら僕たちにも――」
――『手伝わせてください』。
そう言おうとしたアクセルだったが、その先の言葉をカイサは言わせなかった。
「――駄目だ。ここから先は大人に任せておけばいい。お前たちの最後の仕事は私を王都に送り届けることだ。いいな?」
「……」
承諾も拒否もせず口を閉ざしたアクセルに、カイサが微笑みかける。
「なに、そう心配をするな。私だって馬鹿じゃない。伝説上の存在を相手に無理をするつもりはないからな。それに戦闘になるとも限らないだろう?」
圧倒的強者の正体が竜族ともなれば、戦おうと考えること自体が愚かなことだ。しかも、強者が一人だけではないかもしれないともなれば、選択肢は一つしかない。
そう――カイサの真の目的は王都防衛戦に加わることではなく、防衛に失敗し、王都が陥落した先――つまりは撤退戦にあったのだ。
「逃げて逃げて逃げて、意地でも生き残ってみせる。マギア王国の貴族として、そしてカタリーナの先生として、私は私の役割を全うするだけだ」
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