第577話 レーヴの戦い
青年の身体はボロボロになっていた。
両太腿は槍で穿たれ、上半身には傷がない箇所を見つけるのが難しいほど、刺し傷や切り傷で血塗れに。そして、心臓を貫いたドーグ・ユングマン騎士団長の剣が、青年の命を刈り取る致死の一撃になっていた――かのように思えた。
だが、青年はそれでも嗤っていた。
既に死んでいても可笑しくはない深手を負っていながらも、不気味に嗤っていた。
吊り上がった口の両端から大量の血を流してもなお、青年は口を動かす。
「ははっ、痛いなぁ……。おかげで三回も死んじゃったよ」
「「――ッ!?」」
生きているだけでも奇跡のようなもの。如何に超人であれど声など出せるはずがない。にもかかわらず、青年が嗤い、そして声を上げたことでドーグたちはようやく異常事態を察する。
その声に真っ先に反応したのはドーグと魔法師団団長のヨナタンだった。
青年の胸に突き刺さっていた剣を即座に引き抜き、血塗れになった剣でそのまま青年の首を刎ねるため、真横に薙ぎ払う。
そんなドーグの動きに呼応するようにヨナタンは『
危機感と焦燥感に駆られ、力任せに振るったドーグの剣は、意外なことに青年の首をあっさりと刎ね飛ばした。
血を撒き散らしながら宙を舞う生首。
目元まで伸びていた青年の髪が大きく乱れ、それまで隠れていた青年の目とドーグの目がこの時初めて合う。
ドーグが見た青年の目は死者のそれではない。明らかに生気が感じられた。
「――まだだッ!!」
弛緩しそうになっていた騎士たちの空気をドーグが一喝することで引き締める。が、しかし、間に合わない。青年の復活を阻止する術がなかった。
「あーあ、もったいない。四回目も死んじゃったよ」
宙を舞っていた生首がそう喋った次の瞬間、胴体と切り離された断面から肉塊がボコボコと音を立てながら溢れ出す。
風船のように膨らんだ肉塊は連鎖するかのように次々と新たな肉塊を生み出していく。
「オエッ――」
その光景はまさに悪夢だった。
吐き気を催すほどの
酸っぱい刺激臭が立ち込むが、ドーグとヨナタンは悍ましい異形の姿になった青年から目を離さず、むしろ追撃を加えようと距離を詰める。
「ストレーム老師!!」
「わかっておる!!」
生首の先から生えた肉塊を含め、青年の全長は既に三メートル近くになっていた。
このまま放置すれば何が起こるか予想もできない緊急事態に、ドーグがヨナタンに声を掛け、援護をもらって戦いを仕掛ける。
王国騎士団一の剣の腕前を持つドーグが地を蹴り、一息で肉塊と成り果てた青年との距離を詰めると、大きく剣を振りかぶり、一閃。
ドーグが唯一得意としている風系統魔法を剣に纏わせたその一閃は、無数の擬似的剣閃を発生させ、肉塊を切り裂く。
「浅い――いや、再生してるのか!?」
ドーグの見立ては正しかった。
風を纏わせた剣閃は確かに肉塊を切り裂き、おびただしい量の血を撒き散らしていた。だが、それらの傷は肉塊が増殖すると共に傷を修復していたのだ。
ドーグの後に続いた騎士たちも同様に肉塊に波状攻撃を仕掛けるが、結果は同じ。それどころか傷口から肉塊が更に増殖する一方だった。
決定打を欠くドーグたち騎士団の攻撃を見かね、ヨナタンが動く――否、動いてしまう。魔力を注ぎ待機させていた『魔力遮断』の使用を解除し、火系統魔法を発動。瞬く間に業火が肉塊を包み込んだ。
しかし、ヨナタンのその行動が致命的なミスと、敗北へと繋がる。
あらゆる魔法系統スキルを打ち消す『魔力遮断』の性質上、他の魔法系統スキルとの併用が不可能だったため、ヨナタンは仕方なく『魔力遮断』の使用を止め、火系統魔力を肉塊に使用した。
だが、そうするべきではなかった。
青年はその一瞬の隙を虎視眈々と狙い、待ち続けていたからだ。
「ははっ。どうやら我慢比べは僕の勝ちみたいだね」
業火の中からそんな声が聞こえた刹那、膨れ上がった肉塊が急速に縮まっていき、次第に人の姿を模していく。
そして、気付いた時には燃え盛る炎の中には悍ましい肉塊の影が消えていた。薄っすらと見えるのは人の影が一つだけ。
炎の中から一迅の紫紺色をした死の風がドーグたちの頬を優しく撫で、吹き抜けていく。ヨナタンの『魔力遮断』は間に合わなかった。
「……ぁぇ?」
近くにいた部下たちが次々と地面に倒れ伏していく光景を目の当たりにしたドーグが声を漏らす。
けれども、思ったよりも小さな声しか上げられなかった。
そして、ドーグは自分の身体の異常に気付く。
喉が、気管が締まり、上手く呼吸ができない。
力が入らない。剣を持つ手が震え、ぽとりと地面に落としてしまう。
震えた手のひらを見つめると、そこには張りのある自分の手がなかった。枯れ枝のように萎れ、皮と骨だけになっている。
鎧が重い。まるで数百キロの荷物でも背負っているかのような感覚を覚える。
目の前が暗くなっていく。もう瞼を開けているのも億劫だった。
「……ぁ」
死の風を浴びたドーグが死に至る。
魔力も、生命力も、そして魂さえも死の風に攫われ、青年に吸収されてしまったのだ。
それは、マギア王国屈指の魔法師であるヨナタンとて例外ではない。ドーグや騎士二千名と同様に全てを吸い付くされ、青年の糧となっていた。
骨と皮だけになった死体の山の前を悠然と歩きながら、青年が呟く。
「ふぅ、ごちそうさま。結構殺されたから、差し引きゼロってところかな? でも、それなりに愉しめたし、まぁ良いか」
戦場が途端に静まり返る。
マギア王国軍は全く理解が及ばない光景を見させられ、呆然とし、シュタルク帝国軍は改めて青年の力に恐怖し、声を出せずにいたのだ。
味方であるはずのシュタルク帝国軍の兵たちから畏怖の視線を浴びても青年は全く意に介さず、淡々と命令を告げる。
「精鋭っぽいのは僕が殺したんだから、後のことはお前たちに任せるよ。あー、身体中がダルい。疲れた。もうこの先数年分の仕事をこなしたんじゃないかな? あっ、そうそう、日没までには終わらせといて。じゃなきゃ、お前たちごと僕がこの都市を落とすから」
それは命令でもあり、脅迫でもあった。
軽い冗談だと考え、簡単に流せるような言葉ではない。
シュタルク帝国兵はこの言葉をもって、死に物狂いで戦わなければならなくなったのだ。
精鋭二千が欠けたとて、マギア王国軍の数はまだシュタルク帝国軍の倍近くいる。
だが、それでも彼らはやり遂げなければならない。勝利のために、そして何より己の命のために。
恐怖というスパイスでシュタルク帝国軍の士気が最高潮に達する。
対してマギア王国軍は総指揮官であり、騎士団の団長であるドーグと、魔法師団長のヨナタンの二人を喪ってしまった。マギア王国の個の力を担っていた二人の傑物を喪ったことで、元々低かった士気がより一層低下することは避けられない。
マギア王国の一部の兵は絶望すると共に、真っ先に死んでいったドーグとヨナタンを激しく蔑んだ。
なんて愚かで無責任な行動に出たのか、と。
確かに結果的には惨敗した形だ。だが、ドーグたちの行動はあながち間違いではなかった。
もしドーグたちが先陣を切って《
加えて、この数分程度の戦いによって青年のやる気を削ぐことができた。日没まで時間を稼ぐことができた。
つまるところ、マギア王国軍の命の灯火が完全に消えるまでの時間をほんの少しだけ先延ばしにすることができたのである。
そう――延命させることに成功したのだ。
愚行だと思われているドーグたちの行動は実際のところ、勲章ものの働きをしたと言っても過言ではないだろう。
だが、彼らのそんな隠れた功績が後世に語られることはなかった。
空が鮮やかな橙色に染め上げられる。
都市レーヴの周辺に広がる丘陵には激しい戦いの痕跡と無数の死体の山がそこかしこに散らばっていた。
そして、橙色に染まった空に掲げるかのように都市レーヴには巨大な白い旗と、これまた双蛇が描かれた巨大なシュタルク帝国旗が風ではためく。
それらの旗が勝者がどちらであるのかを強く主張していた――。
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