第576話 決死の突撃

 マギア王国の未来を左右する決戦が本格的に幕を開けた。


 マギア王国軍十六万に対し、シュタルク帝国はその半数の八万。

 数的優位に加え、地理的優位を手にするはずだった。だが、開戦から僅か数分程度で地理的優位の大半を占めていた罠の数々が解除され、決定打とはいかないまでも形勢が一気にシュタルク帝国軍に傾いてしまう。


 地雷とも言うべき無数の罠が全て解除されたことにより、シュタルク帝国軍は何の躊躇もなく、前進を再開。

 対するマギア王国軍は正面衝突を避けるように全軍を外壁の前で待機させ、迎撃戦に備える。


「――チッ! まだだ! まだ待機せよ! 限界まで敵を引きつけるのだ!! 都市にいる兵と連動し、シュタルク帝国軍を迎え撃つぞ!」


 王国騎士団団長ドーグ・ユングマンの指揮により、軍全体に大きな混乱は生じなかった。

 とはいえ、悪い方向に向かっていることは間違いない。

 相手の出鼻を挫く予定がものの数分で頓挫してしまったのだ。ドーグが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるのも仕方がないと言えるだろう。


 敵の兵数はマギア王国の半分に過ぎない。にもかかわらず、一切の乱れも恐怖する様子もなく前進を続けてくるシュタルク帝国軍の威容には畏怖を感じざるを得なかった。

 そして何より、シュタルク帝国軍の先頭に立つ、見るからに若い青年の存在がドーグにとって不気味で仕方がなかった。


(魔道具を無力化したのは明らかにあの青年の力によるもの……。大方、あの青年がシュタルク帝国軍の肝とでも呼ぶべき強者なのだろう。ならば、あの青年さえ斃してしまえば戦況はこちらに大きく傾くはずだ)


 圧倒的な個を斃してしまえば、後は数と数のぶつかり合いだ。いくらシュタルク帝国軍全体の兵の質が高かろうが、倍の数をぶつければ勝機は十分に見込めるとドーグは考えた。

 だが、問題は先頭に立つ青年の強さがどの程度なのかということ。ドーグ率いる騎士団の精鋭たちだけで斃し切れる程度であれば問題はない。しかしそれはいくらなんでも相手を侮りすぎている。


 相手はあのシュタルク帝国なのだ。

 遠目から見てもあの青年からは覇気がまるで感じられないとはいえ、一騎当千の強者であると考えるのが妥当だろう。

 ドーグが鍛えに鍛え上げた騎士団の中でも選りすぐりの騎士二千を当てたとして、果たしてあの青年を討ち取るまで至れるのか、やや疑問が残る。


 悠々とマギア王国の大地を闊歩するシュタルク帝国軍。

 祖国を踏み躙られていくその光景に激しい憤りを覚えながらも、ドーグは最良であろう命令を部下の一人に下す。


「ストレーム老師をお呼びしろ。今すぐに、だ」


 遠距離攻撃部隊の指揮官として都市レーヴの外壁の上で待機しているヨナタン・ストレーム魔法師団長と共闘し、先頭に立つ青年の排除にあたろうとドーグは考えたのである。


「――はっ!」




 部下が勢いよく飛び出してから僅か数分足らずでヨナタンが数人の部下を引き連れ、ドーグのもとを訪れる。


「儂をここに呼んだということは何か考えがあってのことなのであろう?」


 シュタルク帝国軍はもうすぐそこまで迫っており、無駄話に時間を割いている場合ではないと理解していたからこそ、ヨナタンは何の前置きもなしに本題へと移った。


「ストレーム老師の力をお借りしたい。我々でシュタルク帝国軍の個の力を潰し、そして勝利を手にするために」


「個の力……あの小僧のことか……」


 ヨナタンとドーグの視線の先には一人の青年が大欠伸をしながら闊歩する姿があった。


 忌々しい。されど軽々しく手を出すことができない強敵。

 だからこそ、ドーグは呼んだ。力を借りることにした。


 ――『魔法師殺しウィザード・キラー』の二つ名を持つヨナタンを。


 そう……王都全てを覆う反魔法結界を張ったのは他の誰でもない、ヨナタンなのだ。

 老師と呼ばれ、尊敬の念を集めるヨナタンが持つ最強の切り札の名は伝説級レジェンドスキル『魔力マジック・遮断キャンセラー』。


 その力は謂わば、紅介が持つ『魔力の支配者マジック・ルーラー』の劣化版だ。

 紅介のように個人を対象とした魔力操作の阻害等はできないが、放出された魔力を遮断し、打ち消すという強力な効果をこのスキルは持っており、その力を応用・発展させることで、王都に大規模な反魔法結界を張り巡らせることに成功した歴史に名を残す偉大なスキルなのである。


 如何なる魔法系統スキルでも遮断することができるこのスキルは『魔法師の殺し』の異名に相応しい力であることは言うまでもない。このスキルに加え、ヨナタンは火・風・土系統魔法を得意としており、こと魔法戦においては向かうところ敵なしの実力者であった。


 そんなヨナタンをドーグがわざわざ呼んだ理由はただ一つ。

 我が物顔でマギア王国の領土を踏み躙る青年の力の正体が魔法系統スキルに分類されるものだと考えたからである。


 三日三晩、疲弊する身体に鞭を打って設置した無数の魔道具を一瞬で無力化したことから、特異なスキルによるものだと容易に推測ができる。そして、そのような特異なスキルは総じて魔法系統スキルに分類されることが多いことはこの世界の常識だった。

 故に、ドーグは魔法系統スキルに無類の強さを発揮するヨナタンを頼ったのだ。


 とはいて、ヨナタンは無敵ではない。

 魔法師に対する強さには絶対的なものがある一方、近接物理戦闘能力は皆無に等しい。類稀な魔法師でもあるヨナタンとて、数の暴力の前では無敵とは程遠い存在だ。

 死角から矢を放たれ、それが急所に当たってしまえば簡単に死んでしまう。そんなヨナタンの弱点を補うためにドーグたち騎士団が援護に回るつもりだった。


「ストレーム老師もご察しの通り、あの青年の力はおそらく魔法系統スキルによるもの。従って老師にはあの青年の相手をお願いしたい。そして我々騎士団は老師の盾となりましょうぞ」


「あいわかった。儂があの小僧を抑えよう。トドメは任せたぞ」


 ヨナタンからの了承を得たドーグはすぐさま騎士団の精鋭に招集を掛け、簡単に作戦の説明を行う。


「私からの命令は二つだけだ。老師をお守りしろ。そして、シュタルク帝国軍の指揮官と思しき青年を討て。――良いな!」


「――はっ!!」


「今より、この場の指揮権を一時、副団長に移行する。我々が敵指揮官を討ち取り次第、全軍を突撃させよ」


「――承知いたしました」


 簡単な引き継ぎだけを済まし、ヨナタンとドーグを含む騎士団の精鋭たちは迫りくるシュタルク帝国軍を睨みつける。その最中、ドーグは心の中で覚悟を決めていた。


(決死の突撃になるかもしれんな……。だが、それでも負けるわけにはいかん。陛下のためにも、祖国のためにもっ!)


 そして彼らは――突撃を敢行した。


―――――――――


 青年の後ろで扇状に展開するシュタルク帝国軍の兵たちからは僅かながらに緊張感が漂い始めていた。

 それものそはず、両軍が衝突するまで残り五百メートルを切っているのだ。この距離になればいつ遠距離から攻撃が飛んでくるかもわからない。緊張するなという方が無理な話だ。

 それに加え、この軍の指揮官は《四武神アレーズ》の中でもハズレの部類に入るその人。苛烈な性格のエルフの美女よりはマシだが、部下の命を塵芥程度にしか思っていない点においてはこの青年も同格かそれ以上。


 上は守ってはくれない。自分の命は自分で守らなければならない。

 そういった覚悟と緊張が兵たちの動きをややぎこちなくしていた。


 そして、ついにその時がやってくる。


「へぇ〜、突撃してくるなんて命知らずっていうか、馬鹿っていうか……。とりあえず面倒なことには変わり無いけどさ」


 脇目も振らずに向かってくる二千程の軍勢を青年は無視して、くるりと回って後ろを振り向く。


「どうやら僕にお客さんみたいだ。死にたくなかったら僕よりも前に出ない方がいいよ。巻き込んで殺しちゃうかもしれないし」


 それは青年なりの優しさであり、忠告だった。

 だが、その優しさに感謝する者はシュタルク帝国軍には一人もいない。

 何故ならば、彼らは知っているからだ。自分たちの命を刈り取る者は迫りくる敵ではなく、目の前にいる自分たちの指揮官である青年だということを。


「じゃ、そういうことだから」


 それだけを言い残し、青年はまるで夜の街に遊びに行くかのような浮ついた足取りで軍から離れていき、マギア王国軍精鋭二千と一人でぶつかった。




 舞い上がる無数の灰と砂埃。

 戦場に轟くマギア王国軍の怒声。


 それは、衝突してから一分にも満たない戦いだった。


 砂煙が晴れ、両軍の兵士が息を呑む。

 剣や槍で串刺しにされた青年が大量の血を流し、膝をついたその光景に。

 そして、そんな瀕死の状態であるにもかかわらず、笑みを浮かべ続ける青年に誰もが恐怖した――。

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