第575話 死の風

 暗雲が空を覆い、強風が吹き荒れる。

 今にも雨が降って来そうな天候の中、決戦の地レーヴにシュタルク帝国軍約八万が到着し、都市レーヴの外壁が薄ぼんやりと遠くに見える距離に布陣した。


 当然、マギア王国軍は彼らの動きを把握していた。

 離反者が大多数現れたマギア王国軍の総勢は最終的に約十六万。当初見込んでいた二十万には及ばなかったが、それでも十六万以上の兵を集めている。数だけを見ればその兵力はほぼ倍。武具や兵の質が全く同じであればマギア王国軍の勝利は間違いないものとなっただろう。


 しかし、現実はそう甘くはない。武具の質も大切だが、それ以上に重要なのは個の力だ。スキルという力があるこの世界では兵一人ひとりが持つスキルが戦況に多大な影響を与えることは言うまでもない。


 マギア王国軍は約十六万の兵を二つに分けていた。

 遠距離攻撃に長けている者、治癒魔法に長けている者、その他補給などを行う者を都市レーヴに三万ほど配置し、残りの兵全てを外壁の外に配置していたのだ。


 両軍の距離は焼け焦げた丘陵を挟み、約一キロ。

 日が昇ってまだ然程時間が経っていないため、夜になるまではまだまだ時間が残されている。


「兵に休息を与えずに我らと戦うつもりのようだな」


 騎士団団長であり、この戦場における総指揮官に任じられたドーグ・ユングマンが数人の部下を伴い、遠く離れたシュタルク帝国軍を睨みつける。


「ですが、やはり装備はあちらの方が上のようです」


 望遠鏡でシュタルク帝国軍の観察をしていた部下からの声にドーグは眉を顰める。


 統一された装備一つ見ても、マギア王国とは雲泥の差。

 騎士と職業軍人だけで構成されたシュタルク帝国軍に対し、マギア王国軍の約半数は寡兵された者たち。

 貴族が率いてきた兵たちに限っては過去に武器さえ握ったことがない農民などの一般市民が混じっている始末だ。その装備たるや軍人のそれとは程遠い。

 今でこそ支給品を与えてはいるものの、所詮は急ごしらえの代物。そればかりか『義賊』の被害を受けた過去から、満足な数を揃えることさえ難しく、武器の得手不得手問わず全員に配給することで精一杯だった。


 だが、悲観するにはまだ早過ぎる。

 確かに兵の質・装備では劣っているだろう。比べること自体が烏滸がましいかもしれない。

 しかしながらシュタルク帝国軍が到着する今日この時までに万全の準備を尽くした。焼け野原となった丘陵には数多の罠を設置したことから、戦況の有利をマギア王国軍に齎せてくれるに違いない。


「シュタルク帝国軍が進軍を開始致しました!」


 進軍と共に双蛇の紋章が描かれた巨大な旗がいくつも掲げられる。

 強風に攫われ、はためく双蛇の旗は雄々しく、見る者を恐怖させる威圧感を放っていた。


「……よし。――全軍に伝えよ! 遠距離攻撃部隊は射程圏内に入り次第、攻撃を開始! 主力部隊はその場にて待機だ! 相手をギリギリまで引きつけろ!!」


 伝令係がドーグの命令を受け、走る。

 そして数十秒と経たぬうちに、都市レーヴの中心から鐘の音が大きく響き渡った。


 外壁の上で待機していた遠距離攻撃部隊の顔つきが急激に引き締まっていく。緊張でカラカラになった喉をゴクリと鳴らし、その時を待つ。


 そして――国家の存亡を賭けた戦いが今、始まる。


――――――――


「ふぁ〜ぁ……。面倒だし、ちゃちゃっと終わらせるかぁ」


 《四武神アレーズ》の一人、群青色の髪を目元まで伸ばした青年が瞼を擦りながら覇気のない声を上げる。

 長い前髪のせいで隠れていて良く見えないが、その顔色は普段の不健康そうなものとは異なり、すこぶる健康的な色をしていた。


「……」


 その隣には、まるで出来の良い人形のような銀髪の美少女が何を語るわけでもなくただジッと佇んでいる。

 そんな彼女も青年と同じ《四武神》の一人だ。ただし、彼女に関しては、どのようなアクシデントが生じようとも一切の戦闘行為を上から禁じられているため、ことこの場に限っては邪魔な観客に過ぎない。

 それでも戦場にいることを許されているのは彼女が此度の戦争の監視役を命じられているからに他ならなかった。


 言葉を返すことも、頷くこともない無反応な少女の姿を横目で見ていた青年が深いため息を吐き、愚痴を零す。


「あーあ、嫌になるね。僕にばっかり仕事を押しつけてさ。でも――」


 白い歯を見せ、青年は邪悪に嗤う。


「これだけいれば、僕のお腹も満たされるかもね」


 そう呟くと、青年は軽く右手を挙げた。

 それが合図だった。シュタルク帝国旗が掲げられ、軍が前進を始める。

 青年を先頭に八万にも及ぶ大軍勢が足を動かす。焼け野原と化した大地が八万もの人の移動で微かに揺れる。


 灰が舞い、焦げた臭いが鼻を刺激する明らかに異常な光景が目の前に広がっているが、統率の取れたシュタルク帝国軍の足がそれしきのことで止まることはない。


 だが、五十メートル、百メートルと前進を続けたところでシュタルク帝国軍の足がほほ同時にピタリと止まる。停止命令を出したのは前髪を伸ばした青年だった。


「へぇ〜。これってあれかな? 罠ってやつ?」


 青年の視線の先には焼け焦げた草木が散乱した大地が広がっていた。元が畑だったこともあり、地面はならされておらず、あちらこちらで凸凹が目立つ。

 一見すると、焼け焦げ灰が舞っていることを除けば、不自然な所は見当たらない。しかし青年の目は騙されなかった。

 ここ二、三日で掘り返されたのであろう土が、そこかしこで見つかったのだ。しかも掘り返された箇所が一定の間隔であることから、何かしらの意図があってのことだろうことは明らか。

 そして、ここが戦場であることと、マギア王国が魔道具を含めた魔法研究に力を入れている国家であることから鑑みるに、それらの掘り返された箇所に罠が仕掛けられているだろうことは容易に想像がついた。


 青年は興味津々な眼差しで掘り返された土のある一点を見つめ、何を思ってか何の躊躇いもなく自らその場所を踏み抜いた。


 途端、地が爆ぜ、地中から炎柱が空高く昇っていく。

 罠を踏み抜いた青年の身体は瞬く間に炎に包まれた――が、その時間は一秒にも満たなかった。


「なるほど。罠を踏んだら地面に埋め込まれた魔道具に籠められた魔法が発動する仕組みなのかな? うん、なかなか面白い物を作るね、マギア王国は」


 炎柱が急速に小さくなり、そして消える。青年の体内に炎そのものが吸い込まれ、消えたのだ。


 それからも青年の足は止まらない。次々と罠を自ら踏み抜いていく。

 土の杭に、凍結、風の刃。様々な魔法が青年を襲うが、そのどれもが青年に通じることはなかった。


 全軍を停止させてから早五分。十近い数の罠を踏んである程度楽しんだ青年はついに行動に出ることにした。


「規模も威力もそこそこ。けど発動は一回切り。魔道具に籠められた魔力が一回分しかないのか、あるいは一回で壊れちゃうのかは知らないけど……。うん、邪魔であることには変わりないし――駆除するか」


 マギア王国が仕掛けた罠は青年にとっては無害でも、その他大勢にとっては無視し得ないほどの威力を秘めていた。

 何の心構えも無しに罠を踏み抜けばSランク冒険者であっても怪我を負いかねないほどの威力。如何にシュタルク帝国の兵士たちの質が高いとはいえ、多くの死傷者を出すことになるだろう。


 戦況を覆す可能性を持ったマギア王国の切り札とも呼べる魔道具兵器。だが、青年はその弱点をいとも容易く見抜いていた。


 青年の身体から、死を想起させる紫紺色の一迅の風が放たれ、焼け焦げた大地を吹き抜け、そして膜となり、包み込んだ。


 それは文字通り、死の風だった。

 万物の生命を、魔力を、魂を、攫い奪っていく。

 灰になることから逃れていた僅かに残った緑が死の風に触れた刹那、枯れていく。

 そのまま死の風は焼け野原となった大地の中まで侵食すると、地中に埋められていた魔道具に籠められていた魔力を全て攫い尽くしたのであった。


 そして、大地を覆っていた死の風が青年の身体の中へと戻っていく。


「ふぅ……。――ごちそうさま」

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