第574話 錯綜するマギア王国軍

 マギア王国本軍が到着した決戦の地レーヴは二つの意味で荒れに荒れていた。


 一つは都市レーヴを中心に広がる丘陵地帯のことだ。

 シュタルク帝国よりも一足早く布陣することに成功したマギア王国本軍とその他貴族軍による合併軍により、農業に程々適した肥沃な大地は、数時間のうちにシュタルク帝国軍を迎え撃つべく魔改造され、果樹や畑等は無残にも焼き払われたのである。

 黒い灰が舞う焼き焦げた大地。そこには魔道具を含む各種罠が設置され、塹壕が掘られ、シュタルク帝国軍の到着に備えていた。


 そして、荒れに荒れていたもう一つとは、マギア王国軍そのものである。


 都市レーヴの中心地にある広場に軍議用の巨大な天幕を張り、がらんどうとした天幕の中で各方面からの報告書に目を通していたマギア王国騎士団団長ドーグ・ユングマンが、その強面の顔を激しく歪め、一枚の報告書を握り潰し、激昂する。


「――ふざけるなっ!! 祖国の危機に立ち向かわずして、何が貴族だ!!」


 ドーグは約ニメートルの巨躯に相応しい巨大な拳をテーブルに叩きつけ、頭に血を上らせる。

 握り潰された報告書には離反したであろう貴族の名が記されていた。

 これで何人目か忘れてしまった。覚えていられないほどドーグのもとには離反者の報告が幾度と上がってきていたのである。


 奥歯をギリギリと擦り鳴らし、身体を震わせるドーグに天幕の中にいた一人の年老いた男性が声を掛ける。


「仕方あるまいて。相手はあのシュタルク帝国なのだぞ? 臆病風に吹かれてしまう気持ちも多少は理解してやらんでもない」


 枯れ枝のような細い手足にボサボサな白く長い髪。その右手には身長ほどの長い杖が握られており、その風貌は明らかに魔法使いを想起させるものだった。


 マギア王国魔法師団長ヨナタン・ストレーム。それがその老人の名と役職である。


 齢六十を超えても第一線級の腕を持つマギア王国屈指の魔法師であるヨナタンは、マギア王国騎士団団長であるドーグと共に指揮官を任されていた。

 命令系統に混乱が生じないように総指揮官をドーグが、その補佐としてヨナタンが任命されていたが、あくまでもそれは形式上に過ぎず、実際のこの二人の立ち位置はほぼ同列であった。


「しかし、ストレーム老師。これでは軍の編成に混乱が生まれるばかりか、他の兵たちの士気に更に悪影響を及ぼしてしまう。何より貴族の責務を放棄するなど到底許されることではない」


 騎士団・魔法師団問わず、軍部に属する者はヨナタンのことを尊敬の念を込めて老師と呼んでいる。それは総指揮官という軍部でも最上位の地位にいるでドーグでさえも例外ではなかった。


「元より此度の戦争はシュタルク帝国の手の者だったラーシュ・オルソンの精神を操る卑劣な力によって引き起こされた戦争だと訊いておる。皆が皆、正常な思考を取り戻した今、士気を高く保つことなど、もはや不可能。それに儂からしてみれば、尻尾を巻いて逃げるような臆病者を事前に知ることができて良かったとすら思っとるよ」


「現時点で判明している離反者の数は約一万。それだけの戦力がいなくなっても老師は良かったと思えると?」


 ドーグの苛立ちを含んだ眼差しを受け、ヨナタンは暫し黙り込み、持論を述べる。


「真に危惧すべきはラーシュ・オルソン以外に裏切り者がいるか否かだと儂は考えておる。いや……儂だけではあるまいな。軍が、マギア王国全体が、疑心暗鬼になっているであろう」


「それは……だが、しかし……」


 事実、マギア王国軍の士気は著しく低くなってしまっていた。

 操られていた上に立つ者たちが正常な思考力を取り戻したこと。敵があの強国であるシュタルク帝国であること。離反者が出始めていること。そして何より、裏切り者がまだ内部に潜んでいるのではないかという疑心と不安。

 これらの要素が積み重なり、マギア王国軍の士気はどん底に近い状態に陥っていたのである。


 士気の低下はそのまま敗北に直結するかもしれない由々しき事態だ。だが、解決に至る策はどこにもない。

 総指揮官としてドーグにできることといえば、士気を問わずシュタルク帝国軍に太刀打ちできるほどの準備を整えておくことくらいだった。

 上がらない士気をどうこうしようと考えるよりも、士気が低いままでも戦える方策をドーグは講じていたのである。


 果樹を、畑を焼き払い、有利な戦場を整えるよう指示を出した。時には離反者を捕らえ、見せしめのために首を刎ねた。


 しかしそれでも離反者は減るどころか、増加していく一方だった。把握しているだけでも既に一万ほどの兵士が離反してしまっている。

 総勢二十万を誇るはずのマギア王国軍が現時点で約五パーセントもの戦力が開戦を前に欠けてしまっているのだ。ドーグが苛立つのも無理はない。


「王都から届いた情報によると、シュタルク帝国は軍を二分化しているのであろう? ともなると、レーヴに来るのはおおよそ十万。いや、占領した都市や街に人員を配置していることも考えるとそれ以下になるはず。一万程度欠けたところで数的有利はこちらにある」


 皺だらけの顔を更に皺だらけにし、ポジションにそう語るヨナタンとは対照的に、ドーグの気分が晴れることは一向になかった。むしろ不安ばかりが募っていく。


(先んじて出立したはずの複数の貴族が未だにレーヴに到着していない。もしそれら貴族が率いる軍が全て離反したともなれば、本軍八万と合わせて十五万程度。それでもまだ地の利、数の利はこちらにある。質とて決して……)


 それでもドーグの脳裏に浮かんだのは『敗北』の二文字。

 嫌な想像ばかりが膨らんでいく。

 魔法先進国の名に恥じない強力な魔道具をいくつも用意しているし、ドーグが鍛え上げた騎士団も豪傑揃いだ。平均的な質もそう劣ってはいないはず。

 そう思っていながらも『敗北』の二文字が消えてなくならない。

 何故ならば数よりも平均的な質よりも、この世界の戦争では圧倒的な個の力が勝敗を左右するからだ。

 その点を考えると圧倒的な個という部分ではドーグ自身や、魔法系統スキルに於いてマギア王国で五本指に入るであろうヨナタンでもシュタルク帝国には遥かに劣るだろう。


 その証拠にシュタルク帝国軍は瞬く間にマギア王国東部を占領した。ドーグが知る限りのマギア王国の現有戦力では実現不可能な速度だ。それは圧倒的な個がいる証左に他ならない。


(――ッ! 総指揮官たる私が臆病風に吹かれてどうする! 圧倒的な個が存在しようと、スキルには相性がある。火系統魔法が得意ならば水系統魔法が得意な者をぶつければいいだけの話だ。弱点を突き、不利をぶつける。戦いの基本通りに戦えば断じて敗けはしない!)


 ドーグが己を叱咤激励し、不安を取り払ったタイミングを見計らったかのように、伝令役の一人が人気ひとけの少ない天幕の中に慌てた様子で入ってくる。


「――ご報告致します! 斥候部隊がシュタルク帝国軍を捕捉したとのこと!」


「場所は?」


 部下の前で情けない姿は見せられない。

 ドーグはすぐさま姿勢を正し、鋭い眼光を伝令役に向けた。


 天幕の中央に置かれた巨大なテーブルのその中央。

 マギア王国全土を詳細に描いた地図の前に伝令役の青年が駆け寄り、ある一点を指で示す。


「数は推定ながら約八万。レーヴに向けて進軍していることはほぼ間違いないかと」


「まだレーヴ伯爵領には入っていないか。進軍速度にもよるが、最低でも三日は掛かる距離。……悪くないな」


 ドーグの独り言に近い言葉をヨナタンが拾う。


「ちと戦の準備を急がせねばならんが、十分に間に合う時間がある。さらに言うと、奴らの到着が遅れれば遅れるほど離反者が増えかねない。故に『悪くない』と言ったところであろう?」


 自慢気にニヤリと笑みを浮かべながらそう言い放ったヨナタンはドーグが考えていたことをピタリと当てていた。




 そして、その日から三日後。

 分厚く不気味な雲が空を覆い尽くす中、シュタルク帝国軍が決戦の地レーヴに到着したのであった。

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