第573話 離反
俺は夢の中にいた。
人も物も音も何もない真っ白な世界で夢の中の俺は浮かんでいた。
何となくわかっていることは、ここが夢の中だということだけ。
身体が動かない。
足も手も指先さえ動かせず、微睡む意識の中、ただ真っ白な世界でぷかぷかと浮かんでいる。
身体が酷く熱い。
痛みはないが、不快感が常に付き纏っていた。
心臓が激しく鼓動し続けている。
俺の意志とは関係なしに全身へ血液を巡らせるために心臓が動き続けているのだろうか。
ふと、静寂を破る少女の声が聴こえてくる。
それは聴いたことのある声だった。
『神の欠片たる
俺が知っている自由気ままで悪戯心に溢れたラフィーラの声ではなかった。
その声には抑揚がなく、無機質で感情が見えてこない。まるで連絡事項を伝えるためだけに発したかのような温かみのない声だった。
『半神化の完了まで残り二〇〇時間。覚醒まで残り一七〇時間――』
そこでぷつんとラフィーラの声が途切れ、そして俺は夢の中で目を閉じた。
――――――――
シュタルク帝国軍は破竹の勢いで進軍を続けていた。
レド山脈を文字通り潜り抜け、手始めにオルソン侯爵領を占領。その後、シュタルク帝国軍はオルソン侯爵領を足掛かりにマギア王国東部全てをその手中に収めていた。
開戦からのこの短期間でマギア王国の約二十五パーセントもの国土を占領した形である。
シュタルク帝国軍全体の優秀さや屈強さなどの質の高さが迅速な占領を可能としたのは言うまでもないが、長きに渡りマギア王国に根を張っていたガイストの尽力無しではこうまで上手く事が進むことはなかっただろうことは間違いない。
それに加え、この神速とも言えるほどの侵略と占領を可能としたのは、ひとえにシュタルク帝国軍が一般市民に一切手を出さなかったのが大きな要因となっていた。
抗わなければ殺されることも、私財を奪われることもない。無論、ある程度の行動制限などの不自由こそ多少あるものの、一定の安全が保障されているともなれば、相当の愛国者でもない限り、抵抗しようと考える者はいなかった。
占領下に置かれた大多数の民衆はシュタルク帝国軍を甘んじて受け入れるばかりか、時には歓迎していたのだ。
特に悪政を敷いていた貴族の領民たちはシュタルク帝国軍を大いに歓迎した。その最たる例がモルバリ伯爵領の鉱山都市タールで強制労働をさせられていた者たちだ。
鉱石を採掘するために集められ、過酷な労働を強いられていたタールの市民は、シュタルク帝国軍の投降の呼び掛けにより、半信半疑ながらも比較的あっさりと門を開き、都市を明け渡したのである。
領主であるモルバリ伯爵が王都に滞在したままであったことも、容易に都市を明け渡すことになった要因の一つとなっていた。
加えて、モルバリ伯爵に人望が無かったことも大きい。
金で雇っていた私兵団も自分の命惜しさに抵抗を見せるどころか、装備を捨てて民衆に紛れる有様であった。
ドレックの行方を追っていた《
「豊富な資源が採れるこの地を被害ゼロで押さえられたのはクソデケェ。なぁ? テメエもそう思うだろう? ドレック」
明らかな作り笑いを浮かべるエルフの美女。だが、その眼は全く笑っていなかった。今にもドレックを眼力だけで殺さんとばかりに睨みつけていた。
だが、その怒りは当然のものだ。鉱山都市タールは開戦前から目をつけていた重要拠点。豊富な鉱物資源を採掘できるこの地を占領下に置くことは計画の一つとして事前に組み込まれたものであった。
そのようなマギア王国にとっても重要な地を《四武神》の力もなしに、しかも無抵抗かつ被害ゼロで手に入れられたのは幸運以外の何物でもないだろう。
雑兵の命など基本的にどうでもいいと思っている節があるエルフの美女だが、そんな彼女でも無意味な犠牲を好むはずがない。犠牲の数だけ自身の悪評価へ繋がってしまうからだ。
「そ、そうですね……ははっ」
作り笑いとわかっていながらも、笑顔には笑顔を、とぎこちない笑み返す。
「そう言えば……テメエは私に借りを作ったよなぁ? それも私の名誉に傷がついたかもしれねぇほどのクソデカい借りを、よぉ」
(助けて欲しいなんて一言も言ってないし、実際助けられたわけでもないんだけど……。まぁ、そんなこと口が裂けても言えないけどさ……)
心の中で愚痴を零しながらも今のドレックには頷くことしか許されていない。主である
ドレックの返事を待たずしてエルフの美女が言葉を続ける。
「――で、だ。優しい優しい私が、テメエに借りを返す機会を設けてやろうと思ってる。どうする?」
あたかも選択肢があるような台詞だったが、その本質を見誤るほどドレックは愚かではない。渋々ながらも頭を下げる。
「……是非ともその機会を俺に」
「テメエも知っての通り、ここら一帯は山だらけだ。十万弱の軍を率いるにはクソ面倒でクソ時間が掛かる地形をしてやがる。そこでテメエにはトンネルを作ってもらいたい。できるか? できるよなぁ?」
「王都に向かって掘ればいいんですよね!? はいはい、わかりましたよ! ああ、もう! 任せて下さいよ!」
「わかってるじゃねぇか。なら、さっさと行って来い」
やけくそ気味にそう声を張ったドレックは肩を落とし、鉱山都市タールから一人で離れていった。
かくして、地竜王とエルフの美女率いるシュタルク帝国軍はドレックの一時的な魔力と気力を犠牲に、その進軍速度を更に上げたのであった。
―――――――
その日、屋敷の食堂に集まっていたのは四人。ディア、フラム、イグニス、ロザリーの四人だ。
昼食を平らげたフラムが、ここ暫くこの場に姿を見せない紅介を心配し、言葉を零す。
「主は未だに目覚めず、か……」
フラムと地竜王が遭遇してから早三日。紅介は未だに意識を取り戻すことなく、深い眠りについていた。
「今はだいぶ落ち着いてきたけど、もう少し時間が掛かると思う」
発汗も呼吸の乱れもなくなり、顔色もかなり良くなってきた紅介の看病に一区切りをつけたディアが軽食を片手にそう答える。
地竜王と地竜族の一部がシュタルク帝国に与していることはその日のうちにフラムによって情報共有が行われていた。イグニスには勿論のこと、アリシアやロザリーにまでその情報は伝わっている。
そして現在、プリュイは屋敷を離れ、配下のもとへ。
地竜王の暴走を水竜族、ひいては
ちなみにだが、ラバール王国国王エドガーへの報告は既にロザリーの手によってその日のうちに済んでいた。
地竜族のこと、ガイストのこと、そしてエステル王妃とアウグスト国王のことも全て纏めて報告を完了させていた。
空いたティーカップに次々とロザリーが紅茶を注いでいると、突然フラムに声を掛けられる。
「そう言えば、エドガーに戻ってくるように言われなかったのか?」
「準備は整えていますが、今のところは撤退の指示は出ておりません。私たち臣下の者には情報収集に尽力せよ、とのこと。アリシア王女殿下に関しましては、おそらくフラム様を信用しておられるのでしょう」
「私を勝手に信用するのは構わないが、今回は相手が相手だ。もしもの時はゲートに押し込んででも帰すからな」
自信家のフラムであっても相手が竜族――それも同格の竜王ともなれば、油断はできない。一対一ならまだしも、誰かを守りながらの戦いは流石に厳しいものがあった。
「でも、こうすけが目覚めないとゲートが閉じられないから、この屋敷だけは何としてでもわたしたちで守らなくちゃ」
ゲートは転移門とは違い、常に空間と空間が接続・固定されているため、いちいち転移を行うのに魔力を注ぐ必要がない優れものだ。故に、紅介が意識を失っている今でもゲートを通ってラバール王国にある紅介たちの屋敷に帰ることができる。
しかしその一方、今回のように紅介の意識がない場合、それがデメリットとなってしまう。
開きっぱなしになっているゲートを閉じられるのはゲートを設置した紅介のみ。もし王都が戦場となり、シュタルク帝国軍がこの屋敷に雪崩込んできたとしても紅介が目覚めない限り、ゲートを閉じることはできず、最悪の場合そのまま悪用されてしまうことも十分考えられる。
ディアの危惧と危機意識は妥当なものだった。
「……ふむ、ゲートに押し込んだとしても、安全とは限らないということか。となると、アリシアには私の傍に居てもらった方が――」
あれこれとフラムが頭を悩ましているその時だった。
食堂の扉が申し訳無さそうにゆっくりと静かに開かれ、そこから一人のメイドが姿を見せる。
ロザリーが所属する『
「マギア王国に離反者多数……?」
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