第570話 不十分な証拠

 この世界の人間にほとんど無神論者がいないように、竜族に於いてもそれは同じだった。いや、むしろ神の存在を知っているからこそ、無神論者になれるはずがないのだ。


 まるで自らを神の使徒だと言わんばかりの地竜王アース・ロードの言葉をフラムが鼻で笑い飛ばす。


「笑わせてくれる。アレは神であって神などではない。狂い、堕落し、厄災を撒き散らした神の成れの果て、とでも言うべき存在だ」


 言うまでもなく『アレ』とはアーテのことだ。

 フラムがアーテを忌み嫌っているのは、何も紅介やディアの仲間だからというわけではない。無論、嫌う一つの要素にはなり得るが、過去を、歴史を、その目で見てきた者にとって、アーテはこの世界の癌でしかないという認識を持っている者が大多数だろう。

 事実、地竜族以外でアーテの傘下に加わった竜族がいないことからも、この認識が竜族の間で共通のものとなっていることは言うまでもない。


 この共通認識を、常識を当て嵌めて考えてみると、フラムの中にふとした疑問が浮かび上がる。


「地竜族の連中は貴様の戯言に納得し、理解を示し、シュタルク帝国に下ったのか?」


 いくら王が示した方針だからといってそれに全員が頷くかと問われれば答えは否だ。竜族の社会も人間のそれと何ら変わりはない。全員が王の言葉に首を縦に振るわけではなく、異論や反論を唱える者が一定数ながら存在する。ましてや王が示した方針が正気とは思えない常識外のものともなれば、反対の声が上がると考えた方が自然だろう。


 フラムの当然の疑問に対し、地竜王は口角を大きく吊り上げ、立派な髭を撫でた。


「なわけあるまいて。お前さんの言うとおり、大半の者には老いぼれの戯言だと思われているじゃろうな。儂としても従わせるつもりもなければ、付き合わせるつもりもない。その辺りは各々の自由意志に任せておるわい。それに、おそらく儂が地竜王として居られるのも時間の問題じゃろう。じゃが、それでよい。長きに渡り、儂は王としてその責務を全うしてきたつもりじゃ。後のことは息子か娘に任せ、これから儂は儂の信ずる道を進ませてもらうつもりじゃよ」


 何とはなしにそう語った地竜王の言葉はフラムにとってこれ以上ないほど貴重な情報だった。

 無論、その言葉を全て鵜呑みにするわけではない。しかし、もし今の話が本当であるならば、此度の一件は地竜王とその一部の取り巻きの暴走であり、地竜族全てがシュタルク帝国に下ったわけではないということに他ならない。


(ふむ……どうやら地竜族との全面戦争は避けられそうだな)

 

 もし仮に火・水・風を司る竜族VS地竜族という構造になった場合、まず間違いなく前者が勝利する。それは炎竜族単体で地竜族とぶつかったとしても結果は同じだろう。

 しかし、苛烈を極める戦いになることは必至。この世界そのものを破壊しうる規模の戦争になってしまう。


 竜の約定を破った者に制裁を下す。

 その結果、人類を戦禍に巻き込み、絶滅に追い込んでしまっては本末転倒もいいところだ。だが、竜の約定を破った者が極少数であるならば、やりようはいくらでもある。


 例えば今ここで――。


 そこまで考えたところでフラムはふと我に返り、頭の中から過激な妄想を追い出す。

 何せ、地竜王とその右腕であるドレックはまだ人に手を出していないとのことだ。侵略戦争に直接的な加担をした証拠がない。

 ドレックに関しては『義賊』を殺そうとしていたこともあり、やや強引ながらも有罪として罰せられるだろうが、それでも竜の約定にある侵略戦争への加担を問えるかどうかは微妙なラインだ。


 もし今ここでフラムの独断と偏見で地竜王とドレックを断罪してしまった場合、果たしてどうなるだろうか。

 おそらくバラバラなりかけているはずの地竜族が一丸となり、フラムに非難声明を、或いは炎竜族に宣戦布告をしてきても何らおかしくはない。

 求心力が低下してきているとはいえ、目の前にいる男は未だ地の竜族を統べる地竜王なのだ。王が殺されたともなれば、地竜族が黙っているはずがない。


(業腹だが、決定的な証拠がない以上、今ここでこいつらを始末するのは得策ではないか。一度、他の竜王たちと話し合いの場を設ける必要があるな……)


 フラムは心の中で大きく舌を打つ。

 人間の国家にしろ、竜族にしろ、戦うには大義名分が必要不可欠。シュタルク帝国と行動を共にしていたという程度では大義名分としては弱すぎし、いくらでも言い逃れができてしまうだろう。


(ドレックだけなら『義賊』を殺させておけば報復という名目で始末できたかもな。惜しいことを……ふっ、主たちに怒られてしまうか)


 フラムの冷酷な一面が顔を覗かせかけたが、紅介とディアの顔を思い浮かべることで踏み留まる。


 何はともあれ、情報を得た。

 いつまでも睨み合っていてもきりがないし、時間の無駄だ。今後は地竜王周辺の動向を探り、証拠を集め、状況次第では然るべき対応をしなければならない。


 フラムは最後に脅しをかける。いや、この場合、執行猶予を与えたと言うべきだろうか。


「最後にもう一度だけ言っておくぞ。この国に――マギア王国に手を出さず、今すぐシュタルク帝国軍を抜けろ。もしこのままシュタルク帝国に与したまま私の前に姿を見せて見ろ。その時は竜の約定に則り――貴様らを断罪する」


「――がーっはっはっはっ! それはそれは怖いのう。身体が震えてきてしまうわい」


 豪快に笑う地竜王を横目で見ていたドレックが呆れてため息を漏らす。その間にフラムは風のようにこの場から去って消えていた。




 フラムが姿を消し、数分後。森の茂みの中から事の成り行きを見守っていたエルフの美女が地竜王たちのもとに姿を見せ、そして開口一番、怒鳴りつけた。


「――このっ、クソ無能共がっ! 鼠を逃しただけじゃ飽き足らずクソ厄介な奴まで引っ張ってきやがって!」


 怒声が森の中に響くことはなかった。

 フラムの耳を気にしたエルフが怒声を上げる前に遮音の結界を周囲に張っていたからだ。


「あははは……まさか炎竜王ファイア・ロードが出てくるなんて聞かされてなかったもんで。すんませんでしたね」


 ドレックは乾いた笑いを上げて言い訳をすると共に、遠回しに抗議を行う。

 当然の権利だ。ドレックはフラムがこの国にいるという情報を一切聞かされていなかった。『義賊』に逃げられた件に関しては一定の落ち度が自分にあったことは認めつつも、それ以上に情報の欠落という重大な落ち度がそちらにもあったのではないかと遠回しに訴えたのである。


 だが、エルフの美女が意に介することはなかった。


「わざわざ私がテメエに説明してやる義理も義務もねぇだろうが。で、クソジジイ、私は戦うなと言ったよな? あれはどういうつもりだ?」


「あんなもんは軽い挨拶みたいなものじゃし、そう目くじらを立てることでもあるまいて。それに、あやつは今すぐ儂を殺そうとまでは思ってなかったはずじゃ。物凄い殺気を放っていたがのう」


 地竜王は反省の色を見せるでもなく、どこか楽しげにそう語る。武者震いする身体を懸命に抑えながら。


「約定を破った確たる証拠がなかったから、ですよね? 貴方様が《四武神アレーズ》の一人だと知られていなくてホッとしましたよ、俺は」


 そう――フラムは一つ大きな勘違いをしていた。

 フラムは地竜王を含む一部の地竜族がシュタルク帝国に与し始めたのがここ数ヶ月のことだと勝手に思い込んでいたのである。

 だが、それも仕方がない話だった。フラムが地竜族を見掛け、敵対するようになったのは紅介と出会ってから。それまでは大して人間に興味を持ったこともなく、また人族の国家に対してもほぼ無知と言っても過言ではなかった。

 故に、シュタルク帝国が持つ最強戦力である《四武神》についても、その構成員についても、全く知り得ていなかったのだ。

 もしフラムが《四武神》の一人が地竜王だと知っていたら全く別の対応を取っていただろう。その場で殺し合いに発展していただろう。


「……チッ。それでどうすんだ、クソジジイ。炎竜王の警告に従っておめおめと逃げ出しとくか?」


「お前さんなら儂の性格を知っておるじゃろう?」


 地竜王の瞳が怪しげな光を宿す。

 答えなど最初から決まっている。そう言わんばかりの眼差しをエルフの美女に向けていた。


「こうなっちまったら戦闘禁止とはいかねぇか……。あー、クソ! 私とあの御方だけには面倒を掛けるんじゃねぇぞ。精々、竜王同士で勝手に殺し合ってろや」


「今回ばかりは儂に出番が回って来ないと思っておったが、やはり儂は持っているようじゃのう。幸運が舞い込んできよったわい」


 炎竜王と地竜王。

 二人の再会の日は、すぐそこまで迫っている。

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