第569話 相容れぬ竜王

 フラムの意識は全て迫りくる者たちに向けられていた。


 もはやドレックなど眼中にないと言わんばかりの態度。

 だが、それは油断でも慢心でもなかった。いくらドレックが身じろぎをしようが、フラムの力の前では無力。圧倒的な格の違いをまざまざと見せつけられる。


 しかし、それほどまでの隔絶した力量差を見せつけられてもドレックは己を恥じることも、不甲斐なさを感じることもなかった。

 誰にでも得手不得手はあるし、長所も短所もそれぞれ異なる。それだけのことだとあっさりと受け入れていた。

 純粋な力、身体能力、暴力的なまでの苛烈な攻撃力。それらはフラムに一日の長があるだろう。だが、こと防御力や耐久力に関しては負けていない。いや、遥かに優れているという自負がドレックにはあった。


 ――《王ノ盾》。

 それがドレックの二つ名。

 読んで字の如し、ドレックは地竜王アース・ロードの盾であり、壁だ。王を守ることに特化した生粋の壁役タンクなのである。

 故に、今ドレックがすべき仕事は耐えること、そして待つこと。


 大地を伝って足音が身体に響いてくる、鼓膜に届いてくる。

 微塵も気配を殺そうとしない自己主張の激しい足音がドレックに希望と憂鬱を抱かせる。


(あーあ。こんなみっともない姿を見られることになるなんて。絶対に馬鹿にされるだろうな……)


 抵抗をするのも馬鹿馬鹿しくなり、ドレックはフラムの腕から両手を放し、大の字になって地面に横たわる。だが、ドレックは笑っていた。




 フラムの探知圏内に引っ掛かった五十を上回る気配のうち、二つが先行してやってくる。いや、二つが先行したのではなく、他の大多数の気配は一定の距離を取りつつ、フラムを窺うように待機していた。


 迫りくる二つの内一つは気配を殺すどころかその存在感をあえて見せつけるかのように物々しい気配を放つ。

 自然豊かな森の香りの中に、フラムがよく知る土臭さが風に運ばれ、一つ増える。


「――来たか」


 フラムの言葉に応えるように木々の隙間から中年の男が姿を見せる。

 筋骨隆々な肉体。短い手足に、胸元まで伸びる野蛮な髭。

 その男はドワーフのような姿をしていた。だが、その男はドワーフではない、竜族だ。それもただの竜族ではなく、土を司る地竜族の王だった。


「久しいのう。若き火の王よ」


 男は自慢の髭を撫でながら、フラムに組み伏せられたドレックに目をやると、ニヤリと笑みを零す。


「なっっさけないのう。鼠狩りに行ったお前さんがまさか狩られる側に回っていたとは流石の儂でも思わなんだ。じゃが、少しは同情してやる。いくらなんでも相手が悪過ぎじゃ」


「お叱り、なら……後で受けます、んで……早くっ、助けてもらえませ――えっ?」


 呼吸すらままならなかった圧迫から突如解放され、ドレックは訳が分からず目を丸くさせる。一瞬、主人が、王が助けてくれたのかと思いきや、どうやら違ったらしい。

 ドレックが解放されたのは、単にフラムが彼への興味を失ったから――用済みになったからに他ならない。


 すると、腹の上から立ち上がったフラムは呆然としていたドレックをまるでサッカーボールのように蹴り上げる。


「邪魔だ、返すぞ」


 ゴンッという金属音を奏で、きりもみしながら宙を舞い、地竜王のもとまで飛んでいくが、途中で何とか体勢を立て直し、片膝をつきつつも着地に成功する。


「で、もう一人はどうした? 臭いから察するに地の者ではなさそうだが、貴様らの仲間なのだろう? 隠れてないで出て来るがいい」


 茂みの奥を睨みつけつつそう言い放ったフラムに言葉を返したのは地竜王だった。


「無駄じゃよ、出てこぬよ。あやつは儂が本気で戦わぬよう嫌々監視をしているだけに過ぎん。どうやらお前さんらと戦うつもりはないらしいぞい」


「監視? ふっ……人間に監視されるとは地に落ちたな」


 竜族の誇りを捨てたと見做したフラムが鼻で笑う。対して地竜王は嘲笑を軽く受け流すだけではなく、心底不思議そうな声色で問い掛ける。


「全く……どの口が言うか。つい今しがた訊いた話じゃが、お前さんとて人間を主として認め、付き従っておるんじゃろう? お前さんと儂とで何が違うというのじゃ?」


「――違い、だと? 耄碌したようだな、ジジイ。それすらもわからなくなってしまったのか?」


 フラムの視線がより一層鋭さを増す。そこには確かな怒りと殺意が含まれていた。だが、そんな視線を物ともせず、地竜王はわざとらしく呆ける。


「はて? 儂には皆目見当もつかぬのう。歳かもしれぬ……」


「ならば隠居でもしておけ。その方が余程この世界の役に立つ。竜の約定を忘れ、我ら竜族の、ひいてはこの世界の秩序を乱す老害がッ!!」


 その言葉を合図にフラムが立っていた地が爆ぜる。

 大量の土砂を巻き上げ踏み込み、両者の距離を瞬く間に潰す。

 炎を纏った拳が地竜王の顔面に吸い込まれていく。だが、フラムの拳が顔面を殴りつけることはなかった。


「――がーっはっはっはっ!! 血が滾ってくるのう、愉快だのう! やはり戦いは観ているだけではつまらぬ。己が戦ってなんぼじゃわい」


 フラムの拳は、いとも容易く地竜王のゴツゴツとした巌のような手のひらによって受け止められる。しかし、その余波は尋常ではなかった。

 衝撃波により、周囲一帯の木々が音を立てて薙ぎ倒されていく。地竜王の足元の地面には無数の罅が入り、さらには陥没までしていた。


 たった一度の挨拶代わり程度のやり取りで地形をも変えてしまう破壊力を伴った戦いは、そこから一層過熱していく。

 拳を受け止められたフラムは左足を軸に時計回りに一回転。拳同様、炎を纏った右足の踵で側頭部を打ち抜かんとする――が、それも地竜王の太く筋肉が発達した右腕で防がれてしまう。


 地竜王の空いた左手がフラムの首元に伸びる。

 すぐさま反応して足を引っ込め、鋼のような――いや、鋼そのものと化した手を叩くように打ち払うと、拳の連打に切り替え、攻勢を強めていく。


 一撃を放っては、それを止めてを二人は繰り返す。

 ドレックが入り込む余地はないし、当の本人も入り込もうとも思っていなかった。


 一分、二分とけたたましい音と焼け焦げた臭いを発しながら、ただひたすら拳を交え続ける。

 環境をも破壊しうる力で戦っているにもかかわらず、二人は汗一つ流すことなく涼しい顔をしていた。

 その最中、二人は平然とした口調で言葉を交わす。


「ジジイ、貴様はこの国に来て何人殺した?」


「言ったじゃろうに。戦いは観ているだけではつまらぬ、と。儂は此度の戦で手を出すことは基本的に禁じられておる。故に身体が疼いて疼いて仕方がなかったんじゃよ」


「まだ誰も殺してはいないということか。ならばまだ間に合う。今すぐにでも退け。我ら竜族が人間の侵略戦争の道具になることは断じて許されることではない。約定については貴様もわかっているはずだぞ」


「約定、約定と煩い奴じゃのう。昔から自由奔放だったお前さんにそう口酸っぱく言われると、何とも不思議な気分になってしまうわい。そもそも、竜の約定は遥か太古に定められしもの。今と比べ、人間が酷く弱く脆かった時代に交わしたものじゃ。神々が創造した人間という種に価値を見出し、種が絶滅しないように、とな。――じゃが、人間は強くなった。知恵が回るようになった。もはや竜の約定は時代にそぐわぬ無用の産物じゃよ。このまま儂ら竜族が人間の行く末を座して眺めていれば、いずれ人間は人間の手によって滅びてしまうじゃろう。そして、それを儂は良しとはせん。――逆に問おう。竜の約定の本質を考えれば、人種が絶滅しないよう調整するのも儂らの役目とは言えぬかのう?」


「――戯言を。貴様はただ気持ちの赴くままにその力を振るいたいだけだろうが。少なくとも私の目にはそのようにしか映らない。それに、人間の行く末は人間が選び、定めていくものだ。滅びに向かおうが、それらも含めて全て人間が決めること。我ら竜族の意思をそこに介入させるのは野暮であり、余計なお節介でしかない」


 スキルも何も使用していない純粋かつ強力な右ストレートをフラムが放ち、それをパシッと地竜王が受け止めたことで、ようやく拳の応戦が止まる。


「どうやら儂らは相容れぬ関係のようじゃのう」


「何を今更。若い私と年老いた貴様の価値観が合うとでも思っていたのか? それよりも訊かせろ。どうしてシュタルク帝国なのだ? 貴様の言うことに嘘偽りがなければ他の国でも良かったはずだ」


 そんなフラムの問いかけに対し、地竜王は一度白い歯を見せ、言った。


「――神がそれを望んだから、じゃよ」

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