第568話 生け捕り

 山頂からフラムへの正確無比な援護射撃を繰り返すプリュイ。

 極限まで圧縮した水の矢を氷神弓エーギル・ロセットで放ち、遠くへ遠くへと逃げ続けるドレックを容赦なく撃ち抜く。

 だが、ドレックの足は止まらない。手を、足を、身体をオリハルコンに置き換えていくことでプリュイの強力な一射をもってしても完全な破壊には至らなくなってきていた。


「もう少し威力を上げるか? んー……だが、これ以上となるとババアまで巻き込みかねんしな……」


 一度手を休め、悩まし気な声を上げて考え込む。

 まだまだ全力とは程遠い。しかし、これ以上の威力ともなれば、フラムを巻き込むだけではなく一帯の地形そのものを破壊しかねない危険性があった。

 中でも恐ろしいのは、フラムを巻き込んでしまったパターンだろう。考えたくもないが、もし仮にプリュイの一撃でフラムに怪我を(掠り傷程度でも)負わせてしまった場合、何かしらのお叱りが待っていることはほぼ間違いない。小言で済むのならまだしも、ゲンコツが落とされる可能性も十分にあるのだ。そんなリスクを背負ってまでフラムを援護してやろうとは流石のプリュイでも思わないし、思えなかった。


「うーん……どうしたものか。……お?」


 手を止めて考え込んでいるその最中、プリュイの卓越した視力が、山頂を目掛けて懸命に走る『義賊』たちの姿を捉える。

 周囲にはプリュイからすれば塵芥レベルの魔物が彼らを襲おうと今か今かと機を窺っている。


「くっくっく……。これは好都合だっ!」


 幸運が舞い込んできたことで思わず笑みが零れてしまう。

 これは大義名分を得るチャンスだ。

 多少苦しい言い訳に聞こえてしまうかもしれないが、彼らを助けるために援護射撃をやめざるを得なかったと言えば、いくら暴君フラムでも何も言えないだろう。それに後数分もすれば標的は射線が通らない山向こうまで行ってくれるはず。そうなれば本格的にプリュイの出番は無くなり、晴れて自由を勝ち取ることができる。


 狙いをドレックから『義賊』の周囲に跋扈する魔物たちに変え、圧縮した水の矢を連射する。


 プリュイの矢の前では木々など何の障壁にもなりはしない。

 一射につき、複数体の魔物を瞬く間に葬り去ったプリュイは満足げな表情を浮かべ、そして声を張り、手をこれでもかとばかりにぶんぶんと振る。


「――おーい! こっちだ、こっちに来い!」


 彼ら『義賊』を狙う魔物はプリュイの手によって全て撃滅した。

 手持ち無沙汰になったプリュイは『いなくなっててくれ』と祈りつつ、ドレックとそれを追うフラムのいる方向に視線を送る。


「……ん?」


 プリュイが待機している山よりも小さい山の頂上付近に二人はいた。そのことはどうでもいい。あと一発援護射撃をしてやれば文句は言われないだろう。

 だが、その山の更にその奥――山というには些か小さい禿げた丘の上に、自然物とは異なるであろう複数の点をプリュイの目が捉えた。


「あれは……人か?」


 援護射撃を忘れ、目を細めて複数の点を凝視する。

 その点は確かに動いていた。正確な数はわからないが、ざっと五十から百程度はいるだろう。しかも、あろうことかフラムたちの進行方向とぶつかるように動いていた。


「あああっ! くそっ!」

 

 心底面倒だった。だが、このまま見過ごすわけにもいかず、プリュイは氷神弓を抱え、『義賊』たちとすれ違う形で走った。


――――――――


(……面倒な)


 背中を追い掛けながらフラムは心の中で愚痴を零す。

 ドレックが足をついた途端、地面が大量の水気を含んだかのように泥濘ぬかるみと化す。それに対し、フラムは泥濘んだ地面の水分を熱で飛ばし、地を固めてドレックを追いかけなければならない。


 それはちょっとした小細工に過ぎない。だが、その小細工が厄介なことに活きている。

 ここまでドレックが捕まらなかったのは、この小細工が一つの要因となっていた。

 しかし、ドレックが未だに捕まっていないのはそれだけが理由ではない。もっと別の大きな要因があったのだ。


 それは――フラムにドレックを殺す意思がなかったからに他ならない。


 地竜族のNo.2であるドレックは貴重な情報源だ。まずは捕らえ、地竜族がフラムの予想通りシュタルク帝国に与しているかどうかを先に聞き出さなければならない。殺すのは情報を洗いざらい全て吐き出させ、竜の約定を破っていることを確認したその後だ。

 しかし、逆に言えば約定を破ったことが判明したその時点でフラムはドレックを始末するつもりでいた。


 執事服を含め、全身のいたる所が鈍く金色に輝くオルハリコンと化したドレックはまるで銅像の様相で走り続ける。


 その手足を狙い、フラムは伝説級レジェンドスキル『灰燼パーガトリー・煉炎フレイム』を発動。

 全てを灰燼と帰す煉獄の炎がドレックの手足を包み込み、その身を灰とせんと襲い掛かる。


「あちっ、あちちち!」


 ふざけた声がフラムの耳に飛び込んでくる。だが、そんな声に反してドレックは熱さを感じさせない軽快な動きを披露し、走り続ける。

 炎に包まれた両の手足からはパラパラと灰が舞うが、それだけ。燃え、灰となった手足は何故か未だに原形を留めていた。


 単純なトリックだった。ドレックは燃え尽きた箇所から随時、再生を行っていただけに過ぎない。

 常人ではフラムの『灰燼煉炎』を前にそのような所業は不可能だが、ドレックの並外れた耐久力がそれを可能とさせていたのだ。


 やがて手足を包み込んでいた炎が鎮火する。

 そのお返しとばかりにドレックが逃げつつも攻勢に出た。

 追うフラムの四方八方から現れたのは砂鉄でできた黒い鞭。地面から無数の砂鉄が鞭状に形を成し、そして凶悪な鞭打がフラムを襲う。


「――失せろ」


 その言葉と同時にフラムの身体から熱波が放たれる。

 熱波は砂鉄の鞭を瞬時に溶かしドロドロの鉄へと変え、その勢いのまま大自然を燃やし尽くす。

 周囲数百メートルは緑を失い、灰色の世界に塗り替えられ、風に攫われた灰が虚しく青く晴れた空に舞っていった。


 思わず目を奪われそうになる異様な光景が広がる。そんな中でも二人の追走劇は続けられたままだった。


 そして、いよいよ山頂に辿り着く。

 まるで崖のような厳しい傾斜がドレックの眼前に広がるが、躊躇はなかった。一瞬の迷いもなく飛び降りる。


「よし、これで――」


 正体不明の遠距離攻撃からようやく逃れられると安堵したドレックの背中に、プリュイから今日一番の強烈な一撃が見舞われる。


「――カハッ!?」


 あまりの衝撃に金属の肺に溜まっていた空気が漏れ出る。しかも最悪なタイミング。足を地面から離していた瞬間の出来事だったこともあり、身体が宙を舞う。


 その隙きを見逃すフラムではなかった。

 宙に投げ出されたドレックに追従するように強く大地を蹴り上げ、ドレックの真上に位置取る。そして、フラムは空を蹴り、急速落下。仰向けで宙を舞っていたドレックの首を右手で掴むと、叩きつけるように地面へと落下していく。


 数百メートル落下した後、ドレックの背中が激しく地面へと叩きつけられる。

 既に肺の中の酸素は空っぽ。しかし、ドレックには呼吸をする暇さえ与えられない。

 馬乗りになり、顔を近づけたフラムは、より一層輝きを増した双眸でドレックの瞳を至近距離で見つめる。


「……」


 フラムは何も言わなかった。

 その代わり、オルハリコンに置き換えられたドレックの首がミシミシと音を立てて締め上げられる。


 これまで散々、人を小馬鹿にした態度を取り続けていたドレックの表情がここに来て初めて激しく歪む。

 眉間に皺を寄せ、奥歯を噛み締め、霞みつつある視界の中でフラムを強烈に睨みつける。


「――吐け」


 そこにいたのは紛れもなく暴力の化身だった。

 超硬度鉱物であるオリハルコンで首まわりの外皮を被っているにもかかわらず、まるで関係ないと言わんばかりの握力でドレックの首を締め上げる。


 人間より遥かに優れた肉体を持つ竜族といえども、これほどまでの力を持った存在は他にいないだろうと思わされてしまう。

 それでもドレックは諦めずに抵抗する。

 だが、動けない。フラムの右腕を両手で引き剥がそうとするが、ビクともしない。

 身体を捩り、足をバタつかせ、抵抗の意思を見せる。それらの一切合切を無視し、フラムが言葉を足した。


「貴様ら地の一族は、竜の約定を破るつもりか?」


 嘘を吐けば殺す。

 フラムの双眸がそう物語っていた。


 しかし、その程度の脅しでドレックは屈したりしない。

 口元に挑発的な笑みを浮かべ、フラムの瞳を睨み返す。


 ――ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ。


 右頬が強打され、金属音を奏でる。

 それでも笑みを浮かべ続けるドレックに対し、フラムが再び左腕を掲げた――その時だった。


 フラムの左腕がぴくりと止まる。


「面倒だが、これはこれで好都合か」


 超高速で移動する気配を捕捉したフラムはドレックから視線を外し、迫りくるその方向を睨みつけたのであった。

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