第566話 九死

 掲げていた右腕は肉一片も残さず跡形もなく消え去り、後方では轟音を伴って地が爆ぜた。

 爆風が背中に当たる中、執事服の青年は顔色一つ変えずに後ろを振り向き、その余波を見届ける。

 新芽をつけていた木々は木っ端微塵となり、大地には巨大な穴が数百メートルにも及び、あいていた。


「先生を! 早くっ!」


 オルバーの重量操作との相乗効果で爆風の余波により、幸運にも泥濘から抜け出した『義賊』たちは、完全に気を失ってしまったカイサを今もなお回転を続ける土の針から無理矢理引き抜き、青年と一定の距離を取る。そしてすぐさまイクセルが治癒を施し、カイサは意識こそ戻っていないものの、何とか一命を取りとめた。

 とはいえ、血を多く失い過ぎている。数分、数時間で快復することはなく、数日は寝たきりのままだろう。

 この危機的状況下に於いて、カイサという一流の魔法師を失ってしまったのは痛恨の極みだった。逃げ出すにしろ、カイサを抱えて逃げ切れるほど甘くはない。ともなると、『義賊』に残された唯一の希望は青年の腕を吹き飛ばした存在のみ。


 混乱極まる中、比較的冷静でいられたカルロッタが頭を巡らす。


(……アクセルが助けに来た? ……いや、アクセルがあの化け物を相手にあのような真似ができるとは思えない。……だとすると――)


 カルロッタの脳裏に浮かんだ実力者は四人。

 紅介、ディア、フラム、そしてプリュイの四人だった。


(……気を緩めるのはまだ早い。……が、どうしてだろうな。……これほどまでに安心感を覚えてしまうのは)




 一方、右腕を消し飛ばされた執事服の青年は現状の把握に脳のリソースの大半を費やしていた。


(いくら無警戒だったとはいえ、俺の腕をこうも簡単にもっていくなんて何者だ? 一体どんな手を使った?)


 状況から鑑みるに、火系統魔法の類いではないことは確か。風か、水か、土か、或いはどの系統にも属さない強力なスキルか。


 青年の肉体はその外見とは裏腹に、非常に高い防御力を誇っている。物理・魔法に問わず並の攻撃では傷一つつけられず、刃物でさえも寄せ付けない堅牢さがあった。

 だが、現実はどうだろうか。常人離れした青年の動体視力をもってしても視認できなかった神速の一撃で右腕をもっていかれてしまった。

 もし青年の右腕に直撃していなかったら、背後にできた大穴はより大きな穴となり、山の一部を消し飛ばしていたかもしれない。


 恐るべき威力だ。脅威と言ってもいい。

 今わかることは、未知の強敵が現れたであろうことのみ。


 青年は肩から先が無くなった右腕をみつめた。

 すると、肩の付け根から細胞が――いや、土が盛り上がり、右腕を形作る。そして土でできたゴツゴツとした右腕が淡い光を放つと瞬く間に土の姿から人の腕の姿へと変わっていった。


 肩を回し、手のひらを閉じては開き、感触を確かめる。

 失ったはずの右腕はまるで何事もなかったかのように青年の肩に定着し、破れてしまった執事服も完璧に元通りになっていた。


 そして青年は睨みつける。

 視線の先は『義賊』ではない。今となっては眼中にすらない。青年が睨みつけていたのは山の上――その頂上だった。

 青年が持つ探知系統スキルでは届かない千メートル以上離れた山の頂上にいるはずの敵をその優れた視力で捜索するが、人影は見つからない。

 鋭敏な嗅覚で捜索しようとも考えたが、横から吹く風の流れからしてそれも難しい。


(どうする……? 脅威度だけを考えれば山上にいる奴から先に殺るべきか? いや、まずは目の前にいる奴らをさっさと始末して――)


 そう僅かに逡巡している間に、が青年を目掛け、放たれる。

 日の光に反射したことで、きらりと一瞬輝いたのを青年は見逃さなかった。


 寸分の狂いもない正確無比な射撃。

 青年の眉間を狙って放たれたその神速の一撃は風を切り裂き、音を置き去りにし、青年の命を刈り取ろうと迫る。


「――チッ!!」


 防御は間に合わない。青年は身体を投げ出すように真横へと跳び、寸前のところでそれを回避。

 空を切った神速の一撃は地面に激突し、爆風を起こし、またもや大きく地形を変えた。


 爆風によって土煙が大きく舞い上がる。

 著しく視界が悪くなるが、青年にとってはむしろ好都合。少なくともこの土煙が晴れるまで狙われることはない。

 この間隙を縫って鼠を、敵を始末してしまえばいいと考えたのである。


 視界が悪くとも探知系統スキルがある限り、獲物を逃すことも、狙いを外すこともない。

 しかし、『義賊』たちは馬鹿ではなかった。土煙に乗じて彼らは避難していたのだ。

 地面を底なし沼に変える力、突如として牙を向いてくる鋭い土の針。それらを警戒し、意識を失ったカイサを抱きかかえながら、木の上から次の木へと次々に移動していたのである。それも山の頂上を目指して。


「手間取らせやがって――ッ」


 逃げる『義賊』たちの気配に、奥歯を強く噛み締め、拳を震わせる。

 視界が晴れてしまえば、また邪魔が入ってしまう。死を乞うほどに痛めつけ、絶望させる予定が崩れてしまうが、時間が残されていない以上、諦める他ない。最優先されるのは己の感情ではなく、命令なのだから。


 青年は探知系統スキルを使用し、『義賊』たちの進行方向及び、座標を特定。そして数百にも及ぶ拳大の鉄球を空に生み出した。


 本来ならば一つの巨大な岩石を頭上から叩きつけるだけでもよかった。だが、山頂にいる存在のことを考えると横槍が入ることは火を見るより明らか。ある程度の強度と撃ち落とせないほどの大量の的を用意することで確実に『義賊』を仕留めようと考えたのである。


 しかし、山頂にいる邪魔者は――プリュイは、青年の思惑を打ち砕くほどの、想定を遥かに上回るほどの天才的な弓の使い手だった。


 宙に無数の鉄球が浮かんだ瞬間、一筋の蒼い閃光が空を駆ける。一筋の閃光が鉄球に迫るにつれ、二つ、三つと次々と枝分かれしていき、しまいには空を駆ける無数の閃光と化した。


 上空で金属が砕ける甲高い音が連鎖していく。

 そして、三半規管を麻痺させるほどのけたたましい音が鳴り止んだ後には空に浮かんでいたはずの鉄球はその姿を一つも残さず消え去っていた。


「なに、が……」


 土煙はとうに晴れていた。

 留まり続けるのは危険だとわかっている。それでも青年は俄には信じられない光景を目の当たりにしたことで、空を見上げながら愕然と立ちつくしてしまう。


 そんな青年に、戦場には似つかわしくないほど楽観的過ぎる軽々しい声が掛けられる。


「どうだ? 見事なものだろう?」


 まるで自分の手柄のように語る女性の横からの声に、青年は――戦慄した。

 気がつけば呼吸は浅くなり、まるで金縛りにあったかのように身体が動かない。口の中が渇き、背中には冷たい汗が。執事服の下に来ていたシャツが肌に纏わりつく。


 かろうじて動いた眼球が、声が聞こえてきた方向にゆっくりと動き、その声の主の姿を瞳に映す。


 炎のような紅い髪。

 見た者に恐怖心を抱かせるほどの美しすぎる容姿。

 健康的な美を思わせる日に焼けた肌。

 獰猛に輝く黄金の双眸。


 その声を青年は知っていた。見るまでもなかった。それでも自分の目で確認するまでは信じられなかった。いや、信じたくなかったのだ。


炎竜王ファイア・ロード……」

 

 ここに来てようやく青年は己の許されざる失態を悟る。

 大炎を想起させる酷く焼け焦げた臭い。気付けたはずの気配。そのどちらも気付かず……いや、風向きと山頂にいる邪魔者によって、そう仕向けられていたのだと理解する。


 身体を硬直させる青年に対し、フラムは口元に笑みを浮かべ、そしてゆっくりと口を開く――。

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