第564話 流星

 転移門を潜り抜けた先は暗い洞窟の中だった。

 肌に纏わりつくジメジメ感と、何かが腐敗したようなすえた臭いが鼻を刺激し、不快指数を上昇させる。


 フラムの肩に担がれていたアクセルは激しく揺さぶられたことによる目眩と吐き気に襲われながらも、ゴツゴツとした地面をふらつきながら歩き、フラムとプリュイを連れて洞窟の外に出た。


 木々の隙間から零れる眩しい日の光が目を刺激する。

 アクセルは何かを探すように目を細めながら周囲を見渡し、そして肩を落とした。


「いない、か……」


 アクセルたちが転移した先は、モルバリ伯爵領の北部に位置する山間部。耳を澄ませば遠くから小川のせせらぎが聴こえてくる自然豊かな森の中だった。


 モルバリ伯爵領の東部から北西に逃走したイクセルたちやカイサが無事に逃げ延びていたとしたら、この転移門に来るのではないかとアクセルは読んでいたが、結果は見ての通り空振り。人影もなければ、戦った痕跡すらない。即ち『義賊』たちはここに辿り着いていないということを示していた。


「フラムさん、周囲に人の気配は?」


「ないぞ。魔物なら、うじゃうじゃいるようだが」


 人の出入りがほとんどないということもあり、魔物にとってここは楽園のような土地になっていた。冒険者が激減したことも魔物の増加に拍車をかけていたことは言うまでもない。


(既にモルバリ伯爵領を抜けた? それとも……)


 頭を振って嫌な想像を追い払う。

 殺されたはずがない。仲間たちはきっと今も何処かで生きているはずだと自分自身を信じ込ませる。そうしなければアクセルは正気を保っていられなかった。


「……南に向かいましょう。僕についてきて下さい」


―――――――――


(まずい、まずい、まずい、まずい、まずいッ!!)


 執事服の青年は焦りに焦っていた。

 鼠を見つけてから既に丸一日が経過している。もし逃げられたと上に知られれば、叱責は免れない。直属の上司である中年の男であれば、小馬鹿にしながらも笑って許してもらえるだろうが、同じ《四武神アレーズ》のエルフからはどんな罵詈雑言が飛んでくるかわかったものではない。

 烈火の如く罵られ、無能の烙印を押されてしまうだろう。

 別に叱責を受けるだけならば、どうだっていい。だが、見下されることだけは我慢ならない。プライドが許さない。


 焦りが膨れ上がると共に、怒りが、殺意が、沸々とこみ上げてくる。


(――殺す。泣いて命乞いをされようが、絶対に殺す)


 鼠を探す青年の足取りにもう迷いはなかった。

 獣でも魔物でもない、新しい人の足跡を見つけていた。後はこの足跡を辿って行けば必然と鼠のもとまで辿り着ける。


 地を蹴り、飛ぶように駆けていく。

 青年の身体から溢れる殺意の波動が魔物たちを退けていく。


 血を求める魔の手が『義賊』に届くまでそう時間は掛からない――。


―――――――――


 同じ場所で身を隠し続けるのにも限界があった。

 幾度と移動を繰り返しては、カルロッタが空から執事服の青年の位置を観測し、また移動する。

 そんなことを繰り返し続け、『義賊』はどうにか命を繋ぎ止めていた。


 魔の手は執事服の青年だけに限らない。人間よりも鋭敏な嗅覚を持った狼型の魔物が血肉を求め、『義賊』たちに忍び寄る。


「――!! ……魔物か」


 神経を擦り減らし周囲の警戒にあたっていたオルバーが大剣を構える。

 多少知能が高かろうが、所詮は魔物。かなり慎重に近付いてきたのだろうが、草木を踏み締める音を消すまで知恵が回っていなかった。


「五、六、七……ちっ、結構いやがるな」


 群れをなすタイプの魔物だったということもあり、身を隠す彼らをぐるりと取り囲むように十以上の魔物が配置につく。

 平時ならば、大した苦労もせずにオルバー一人だけで殲滅できただろう。

 だが、今この時に限って言えば、厄介極まりない相手だった。


 追手の青年の実力は未知数。

 戦闘音や魔物の血臭でこちらの位置を掴まれてしまうかもしれないという恐怖に怯えながら戦わなければならない。

 早期決着はもちろんのこと、物音を極限まで消す必要があるため、格下の魔物であろうと油断はできなかった。


「クリスタ、半分任せてもいいか?」


「りょーかい」


 傍らで待機していたクリスタに協力を仰ぎ、魔物に対処する。

 これまで魔物の処理は主にこの二人で行っていた。

 大剣を鈍器として扱えるオルバーと、無色透明かつ無臭の毒を操れるクリスタが他のメンバーに比べて適切に魔物を処理することができたからだ。


 今回もこれまで同様、可及的速やかに魔物を処理し、再度周囲の警戒にあたらなければならない。

 肉体的にも精神的にも疲労困憊であったが、二人は魔物の処理を行うため、身体に鞭を打ち動き出す。


 クリスタの毒が風下に流れると、それを吸い込んだ魔物は身体を僅かに痙攣させ、地に倒れる。

 脳まで作用する強い神経毒で瞬く間に魔物を殲滅。額に浮かんでいた嫌な汗を袖で拭い、ホッと一息つく。


 対してオルバーは重量操作を自身と大剣に施し、群れの一体に突撃を敢行。目にも留まらぬ速さで狼型の魔物を大剣で殴打し、その頭蓋を陥没させ、命を刈り取る。


 一体、二体と次々に魔物を処理していくオルバー。

 しかし、ラストの五体目に襲い掛かろうとしたその時だった。大きな誤算が生じる。


 狼型の魔物を統率していたのであろう一際大きな巨躯を持った魔物を目前としたタイミングで、それは動いた。

 鋭い牙が見え隠れしていた巨大な口を開けると、狼型の魔物は空を見上げ、そして吠えたのである。


「――ワオォォォォーン!!」


 鼓膜を破らんとばかりの天を貫く遠吠え。

 窮地に立った魔物が仲間を呼ぶために放たれた絶叫は、『義賊』たちを絶望の淵に立たせるには十分過ぎた。


「クソが――ッ!!」


 握り締めていた大剣を持ち替え、殴打から斬撃にシフト。

 大剣を振り下ろす刹那、重量操作で加重させた重い重い一撃で、叫び続けるその首を撥ね飛ばす。


 音が止み、血飛沫が上がる。錆びた鉄のような臭いが充満していく。


 魔物は殲滅した。だが、本当の戦いはここからだった。


 茂みからイクセルが飛び出すと、即座に指示を出す。


「ここから離れるぞ! 急げ!!」


 鬼気迫る表情で指示を飛ばし、撤退の準備を急がせる。

 そんな危機的状況の中、目を瞑り執事服の青年を空から監視していたカルロッタが酷く震えた声を漏らす。


「……ダ、ダメだ」


 絶望が入り混じったカルロッタの声がカイサの耳に届いたその時、恐れていた悪夢が現実になる。


「――上だ!!」


 真っ先に異変に気付いたのはカイサだった。

 その声に反応して全員が空を見上げる。すると、そこには無数の歪な丸い形をした物体が宙に浮かんでいた。


 最初に目にした時は豆粒程度の大きさだった。

 だが、次第にその物体は大きくなっていく。いや、大きくなっていったわけではなかった。遠近感に惑わされていただけで、元より巨大だったのだ。


 謂わば、それは明るい空に現れた流れ星。

 無数の岩石が流星となり、『義賊』目掛けて急速落下してくる。


 地形をも変えうる破壊力を伴った流星が『義賊』を襲う。

 木々の影に隠れても意味はない。木々ごと粉砕しうる破壊力を持っていることは火を見るより明らか。


 身を寄せ合うように『義賊』たちは一箇所に集まる。

 多少の風ではびくともしないであろう岩石に対して打てる手は少ない。クリスタの毒も、オルバーの重量操作も、カルロッタの知恵も、イクセルの治癒魔法も迫りくる岩石に対しては等しく無力。

 今この時に於いてはカイサの力だけが頼りだった。


 カイサは即座に重力魔法と『重力崩壊コラプサー』を発動。

 自身を含む『義賊』を対象外とし、無重力空間を形成。そして頭上には『重力崩壊』で生み出した黒点を展開し、流星に備える。


 次の瞬間、直径二十センチ程の岩石が銃弾のように襲い掛かった。


 腹の底まで響く轟音が森を支配する。

 空から急速落下してきた岩石は、地面を抉って無数の大穴をあけ、木々を薙ぎ倒す。


「ぐっ――!」


 地獄のような時間が数十秒ほど続いた後、徐々に土煙が晴れていく。


「おい! 大丈夫か!?」


 岩石の雨が止むや否や、カイサが慌てて安否を確認する。


「だ、大丈夫……」


「俺も……大丈夫です」


 クリスタとイクセルが顔を顰めながらそう答える。

 その声を訊いたカイサが胸を撫で下ろしたのも束の間、さらなる厄災が彼らに降り注ぐ。


 穴だらけになり、凹凸を作った地面が突如としてぬかるみ、そして沼となり、彼らの足を奪ったのである。


「な、なんだ!?」


 オルバーが気合で沼から抜け出そうと、必死に足を動かそうとするが、抜けるどころかどんどんと沈んでいく。


「やべぇ!!」


 オルバーは咄嗟の判断で重量操作を発動。全員の体重をゼロにすることで何とか沈みゆく身体を食い止めることに成功する。

 だが、膝下まで泥沼に嵌ったことで身動きが一切取れなくなってしまう。カイサが重力を反転させても、まるで泥沼が意思を持ったかのように彼らの足を掴んで離さない。


 そして、数分に渡って足掻いた後に、彼らが最も危惧していたその時が訪れてしまう。


 ――ザクッ、ザクッ。


 地面を踏み締める音が『義賊』の耳に飛び込んでくる。


 ――ザクッ、ザクッ、ザクッ。


 耳を澄ますまでもなかった。ハッキリとした足音が鼓膜を打ち、そして執事服を身に纏った青年が口元に邪悪な笑みを湛え、姿を見せる。


「――捕まえた」

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