第563話 竜の約定

 ――地竜族モグラ狩り。

 その言葉の意味するところを、狩るべき理由を、プリュイは履き違えたりはしなかった。


 水竜族に『人を殺してはならない』という掟があるように、他の竜族……いや、竜族全体で定まられた掟が、約定が存在する。

 その約定とは――『人族に対する過度な干渉を行わないこと』という極めて曖昧なもの。


 捉えようによっては人里に下り、人間と関わり合いを持つだけでもその約定に抵触しかねないが、竜族全体で定めたこの約定はそこまで厳格なものではない。

 プリュイ率いる水竜族が海賊紛いのことを以前行っていたように、人間と接触し、金品を奪う程度のことで咎められることはないし、またフラムのように相手が異世界人でこそあれど、人間を主とし、付き従うことも特段問題視されることではなかった。


 では、『過度な干渉』とは何を指すのか。

 それは人族の国家に下り、竜族が人族の戦争の道具となることである。


 とはいえ、この約定はもはや形骸化されて久しい。長きに渡り、破られてこなかった約定は今となってはある種、暗黙のルールのような曖昧なものとなっていたことは否定できない。


 竜族とはプライドが高い生き物だ。

 動物や魔物、そして人間も含め、それらを総じて下等生物であると認識している。そのことから、そもそも人間に関わり合いを持つ者など、竜族の中でも変わり者しかないと言っても過言ではないだろう。


 そんな変わり者の一人であるフラムは約定を持ち出し、プリュイを引き連れ、地竜族に制裁を行おうとしていた。


 フラムもフラムで紅介に付き従い、多少なりともラバール王国に肩入れしているのだ。一見すると、シュタルク帝国に下っているであろう地竜族を罰する資格が彼女にはないように思える。


 しかし、フラムと件の地竜族には決定的な違いがあった。

 確かにフラムはこれまで幾度と紅介とディアと共にラバール王国に肩入れをしている。だが、戦争――それも国境を変えうるような侵略戦争に加担したことは一度たりともなかった。


 反王派貴族による内乱に関しても、あくまでも防衛に手を貸しただけであり、今ある人族の国家の姿を変えようとしたことはない。

 言葉遊びのような言い分にも聞こえなくはないが、防衛とはつまり守ること。自分の身を、果ては自分の生活圏を守るための参戦は竜族が取り決めた約定には引っ掛からないのだ。


 だが、侵攻・侵略戦争にその言い分は通用しない。

 人類の生存圏を脅かすだけではなく、世界すらも滅ぼしかねない危険性を孕んでいる。そして何より、人族の国家を介した各竜族の全面戦争にまで発展してしまいかねないからだ。


 火・水・土・風。それぞれを司る竜族の均衡を保ち、そして世界の秩序を守るためにも、この約定は遥か太古に各竜王の同意のもと、結ばれた。

 約定を破らんとする存在を炎竜王ファイア・ロードであるフラムが見過せるはずがないのも当然だろう。




 フラムに半ば強引に連れ去られる形でプリュイ、そしてアクセルは屋敷を飛び出した。


「転移門に案内してもらうぞ。場所はどこだ?」


 宛もなく王都を駆け始めたフラムが後ろを走るアクセルに転移門の場所を問う。


「に、西に三時間ほど走った場所に……」


 慌ててそう答えたアクセルは内心、激しく混乱していた。

 それもそのはず、何故急に協力してくれる気になったのかがアクセルにはイマイチ理解出来ていなかったのだ。

 話の流れを訊いた限り、『義賊』を襲った執事服の青年がフラムの顔見知りの可能性があるということはわかっている。

 しかし、だ。フラムが纏う雰囲気は顔見知りに向けるそれではなかった。暴力的なまでの殺意と憤怒。声色も表情も普段と何ら変わりないように見えるが、フラムの一挙一動にアクセルは恐怖を感じてしまっていた。


「――三十分だ。三十分で向かうぞ」


「流石にそれは……」


 約一日近い貴重な時間を浪費してしまった反面、空っぽになっていたアクセルの魔力の大部分は回復していた。

 怪我も治してもらったのだ。十割とはいかないまでも、八割近いほど体調は整っている。三時間程度の距離であれば息を切らすことなく走破できるだろう。

 しかし、物事には限度がある。仮に万全の状態だったとしても、フラムが言う三十分という短い時間では転移門まで辿り着けない。

 ましてや転移門の先に件の敵がいるかもしれないのだ。仲間のことを想うと急がなければならないが、移動のためだけに魔力を使い果たしてしまっては本末転倒もいいところだろう。


 相手は超が付くほどの強敵なのだ。魔力切れの状態で戦うなど話にもならないし、それではただ殺されに行くようなもの。

 いくら協力者からの命令であろうと安易に頷けるはずがなかった。


 不安で神経をすり減らすアクセルとは対照的に、プリュイは何も問題はないとばかりに鷹揚に頷く。


「妾は構わんが、アクセルがついてこれるかは甚だ疑問だな。どうするのだ?」


 プリュイの問い掛けを訊いたフラムが急に足を止める。


「――うぉっ!? 急に止まるな! 危ないであろう!」


 頬を膨らませるプリュイを無視し、フラムは顔色を悪くしていたアクセルの目の前までゆっくりと近付き、そして……。


「えっ、ちょっ――!?」


「ジタバタするな。担ぎにくいだろう」


 まるで米俵を担ぐかのようにフラムはアクセルを右肩に乗せた。

 くの字になって肩にぶら下がるアクセルに、プリュイから哀れそうな眼差しが注がれるが、それだけ。止めようとする気配はない。


「よし、行くとするか。忠告しておくが、下手に喋らない方がいいぞ。舌を噛み切ってしまうかもしれないからな」


(喋らない方がいいって……。それじゃあ、どうやって案内すればいいのさ……)


 心の声を口にすることはなかった。できなかった。


 結局、反論できなかったアクセルはフラムに担がれたまま転移門まで移動を再開。

 移動の途中、激しく上下に揺られたことで猛烈な吐き気を催しながらも、フラムの言葉通りに僅か三十分弱で最寄りの転移門に到着したのであった。


―――――――――


 静寂に包まれた山の中。極限まで呼吸音を消し、気配を消し去る。

 心臓の音がやけに煩く聞こえてしまうのは、彼ら『義賊』の置かれた状況がそうさせていた。


 時間の経過と共にガリガリとすり減っていく精神。

 聴覚を、視覚を、嗅覚を限界まで研ぎ澄まし、周辺の安全を確認。そこまでして、ようやく彼らはホッと一息つくことができた。


「追手は近くにはいないようだ。この辺りで一度、休憩を挟もう」


 風の音で掻き消されそうなほどの小さな声でそう告げたイクセルは深い茂みの中にゆっくりと腰をおろす。

 彼らに休憩を取っている余裕などなかったが、それ以上に体力的にも精神的にも余裕が残されていなかった。


「……アクセル」


 憂いを帯びたカイサの呟きが風に流され消えていく。


 アクセルが命を賭して稼いだ三時間という時は無駄にはならなかった。

 著しく体力がないカルロッタの歩調に合わせて逃走していたこともあり、カイサは無事に合流。その後も遅々とした足取りで逃走していたにもかかわらず、今現在まで彼らが無事なのも、全てはアクセルが時間を稼いだお陰であった。


 追走劇を始めて丸一日が経過していた。

 しかし、追手は諦めるという言葉を知らないようだ。追手が未だに『義賊』を追い続けていることは、以前カルロッタがマルティナの代役をこなすために作製した鳥を模した『眼』を使い、判明している。


 目を瞑り、鳥と視覚を共有していたカルロッタが、追手の現在位置を確認。そして報告をする。


「……どうやらまだ諦めてはくれないらしいな。……今、奴は二十キロ以上離れた山中にいるが、油断はできない。……やや迷うような素振りを時折見せてはいるが、着実にこちらに向かって来ている」


 アクセルがいなければ転移門は使えない。

 だからといって、巻き込んでしまう可能性を考えると、街や村に逃げ込むこともできない。


 体力も、精神も、そして魔力も、底を尽きかけている。


 今の彼らにできることは息を殺し、逃げ続け、敵が諦めてくれることを待つことか、もしくはアクセルを信じ、いつか来るかもしれない助けを待つことしかできなかった。


 魔の手が先か、救いの手が先か。

 刻一刻と彼らの命運を分けるその時が迫る――。

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