第562話 一時の幸福
フラムの命を受けたイグニスとロザリーは、半日以上経っても戻らない紅介たちを迎えに行くべく、白銀の城に向かった。
しかし、そんな二人を待ち受けていたのはガイストが構築した人払いの結界である。
城全体に張り巡らされたその結界に、いち早く気付いたのはイグニスだった。不気味なほどに静まり返った白銀の城。軽く周囲を見渡して見ても人影はなく、また人の気配も感じられない。
誰の目から見ても異常な雰囲気。如何にイグニスが優れているとはいえ、不用意に立ち入ることは憚られる。ましてやロザリーを伴っているともなれば、慎重にならざるを得なかった。
イグニスは城内に入ることなく、意識だけを深く深く潜らせ、気配を探っていく。
城内にあった気配は七つ。気配を辿れたということは即ち、その者たちが生きているという証左に他ならない。
「まだコースケ様たちはお戦いになっているご様子。今、私共が不用意に立ち入れば足手まといにもなりかねませんし、ここは今暫く様子を窺うとしましょう」
それから約半日を経て、ようやく人払いの結界が解除される。
城内にいた気配が一つ減り、六つになったことでイグニスは紅介たちの勝利を確信。
安全を確認した二人は紅介たちを迎えるべく、玉座の間に向かい、そして今に至ったというわけである。
「お疲れのところ申し訳ございませんが、大至急屋敷にお戻りください。アクセル様がお待ちになられております」
「どうしてアクセルが……? 一体何が……」
胸騒ぎを覚えたカタリーナが眉を顰める。
今すぐにでも屋敷に戻り、真相を確かめたいという気持ちが心を埋め尽くしていくが、そうはいかない。
この国の現状、シュタルク帝国と戦争になった経緯等々、まだまだカタリーナには父であり国王であるアウグストに説明しなければならないことが山ほどあったからだ。
敗戦を認めるにしろ、徹底抗戦するにしろ、最終的な判断はアウグストに委ねられる。その判断材料となりうるものをアウグストが覚えていない以上、その責務は……義務は全てを知るカタリーナにかかっていると言っても過言ではない。
板挟みになるカタリーナ。
だが、彼女がそう長く悩むことはなかった。
「……悪いッスけど、私はここに残らせてもらうッス。この国の未来のためにも私にはやらなきゃならないことが沢山残ってるんで」
隣に立つ父親と床で静かに眠っている母親を交互に見つめる。
カタリーナの静かに……けれども熱く燃え盛る白銀の瞳と視線を交わしたアウグストは、疲弊し切った身体に活を入れ、力強く頷き返した。
カタリーナが城に残ることになったが、イグニスからしてみれば特に問題はない。そもそもの目的は紅介を呼び戻すことにある。異議を唱える必要すらも感じていなかった。
「マギア王国の現状を鑑みれば、カタリーナ王女殿下のご助力は必須でしょう。それに元より、私めはコースケ様をお連れしてくるようフラム様に命を受けただけにございます。カタリーナ王女殿下の行動を制限するつもりは毛頭ございません」
唯一、問題があるとすれば、当の紅介がディアの必死の看病も虚しく、意識不明になってしまっていたことだろう。
こればかりはイグニスにとっても予想外の出来事だった。
しかし、苦しそうに顔を顰めているものの、胸が上下していることから死んでいないことだけは確か。
全身をくまなく観察するが、外傷は一つも見当たらない。さらに付け加えると、紅介の看病をするディアのあまり焦っていないその様子から、命に別状はないのだろうとイグニスは一瞬のうちに判断していた。
(何はともあれ、ひとまずはコースケ様方をお屋敷にお連れするべきでしょうね。外もだいぶ騒がしくなってきたことですし……)
イグニスの探知スキルに城の中に雪崩れ込む数多の人の気配が引っ掛かっていた。
その気配の正体は人払いの結界によって追い払われていた者たちのもの。
汚染されていた精神がガイストが死亡したことによって浄化され、正常な思考力を取り戻した彼らは、危機に瀕しているであろう国王を救い出すべく、大慌てで馳せ参じたのである。
このままこの場に留まれば、面倒事に巻き込まれることは必至。ただでさえ、半日以上無駄に時間を費やしてしまっているのだ。これ以上の遅れは致命傷にもなりかねないと判断したイグニスは、その場で恭しくアウグストに頭を下げた。
「どうやら陛下に忠誠を捧げる者たちがご到着したようです。誤解が生じてしまわぬよう私共はこれにて失礼を。ディア様、コースケ様は私めがお運び致します」
「……うん。お願い」
床に倒れ伏す紅介。その頭と膝の下に両腕を潜らせると、イグニスは重さをまるで感じさせない動きで軽々と持ち上げる。
「――それでは」
紅介を抱き抱えるイグニスを先頭に、ディア、プリュイ、ロザリーがその背中を追い、玉座の間から去っていった。
「あの者たちは一体……」
去り行く背中を見送ったアウグストが理解が追いつかないとばかりに呆然と独り言を漏らす。
「……くす。お父様、あの人たちは私の友達ッスよ」
呟きを拾い、自然と笑みを零す。
そしてカタリーナは胸を張って自慢気に、そして幸せそうにそう言い切った。
幸せな時間は長くは続かない。けれども、今だけはその幸福をしっかりと噛み締める――。
―――――――――
屋敷に戻るや否や、会議室と化していた食堂にベッドを設置。
未だ意識が戻らない紅介を柔らかなベッドで寝かせつつ、フラムが何も事情を知らないディアとプリュイにアクセルが屋敷に来た経緯を端的に説明した。
「――と、まぁそんなところだ。しかし、困ったぞ……。主に許可を得ようとも意識が戻らないとなると、どうしようもないな」
眉を顰め、やけに難しそうな表情を浮かべるフラムに、ディアが不思議そうに尋ねる。
「こうすけに何の許可を取ろうと思ってたの?」
「端的に言ってしまえば外出許可だな。それとアリシアの護衛を一時的に任せたいと思っていたのだが……」
フラムの言葉を訊き、ディアは表情にこそ出さなかったが、内心驚いていた。
外出許可に関しては特に思うところはなかった。ディアが驚いたのは一時的にとはいえ、エドガー国王と交わした『アリシアの護衛』という約束を破る――とはいかないまでも、人に任せようとしたことだった。
快楽主義的な一面を持っているフラムだが、その反面、非常に義理堅い性格の持ち主だ。
そんな義理堅いフラムが約束を、依頼を仲間ではあっても他人に任せようとするなど、ディアには俄には信じられなかったのである。
そこで、ふとディアは考える。
フラムがそうまでして外出をしようとしたのには何か深い理由があるのではないかと。
「どうしてそこまでして外出したいの? 何か事情があるのなら、わたしが代わるけど……」
ディアには紅介の看病という何事にも代え難い役割があるため、積極的に代わってあげようとまでは思わない……いや、そこまでの余裕が彼女にはなかった。
ほぼほぼ大丈夫だとは信じているが、万が一、紅介の容態が急変し、死に瀕した時にすぐ傍にいなければ取り返しがつかないことになりかねないからだ。
ガイストは倒した。確かに死んだ。
だが、だからといって誰からも襲撃を受けないという保証はどこにもない。
故にディアは悩みながらも消極的な提案を行ったのである。
不安の色を帯びたディアの眼差しと、明らかに乗り気ではないディアの言葉を訊きながらも、フラムはディアを頼ることにした。
「すまないが、代わってもらえるか? 一応、イグニスは置いていくつもりだ。はぁ……。全くもって面倒だが、私にはどうしても確認しなければならないことがあるのでな……」
「……確認しないといけないこと?」
約束を半ば反故にしてまでも確認しなければならないこととは一体何なのか。疑問は尽きない。
「うむ、どうやらシュタルク帝国に私の顔見知りが与している可能性があるのだ。もしそれが事実ならば、由々しき事態だ。早急に対処しなければ取り返しのつかないことになりかねない。――おい、プリュイ」
突然話を振られたプリュイは、その蒼い瞳を丸くして首を傾げる。
「お前にも付いてきてもらうぞ。――
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