第561話 浮かび上がる正体
「――転移した先が偶然王都に近い場所だったから何とか自分の足で戻ってこれたものの、王都に設置してあった転移門は何者かの手によって壊されていたんだ」
「そんなことが……」
命からがらの撤退戦。
その概要を数十分もの時間を費やしてアリシアに説明をし終えたアクセルは貴公子然とした整った顔に影を落とす。
「僕は何とかこうして生き延びることができた。けど、仲間たちは違う。今も何処かで死にもの狂いで奴から逃げ続けているはずだ……」
悔しげに唇を噛み締めるアクセルにフラムは慰めの言葉を掛けるわけでもなく首を傾げる。
「ならば何故助けに行かない? 転移門とやらを使えるのはお前だけなのだろう? 私たちに助けを求める暇があるなら今すぐにでも転移門を使って仲間を助けに行けばいいだろうに」
フラムの言葉は痛烈ながらも至極真っ当な意見だと言わざるを得ない。
アクセルという獲物を逃してしまった以上、敵は間違いなくその矛先を変えてくるはず。
しかも転移門を使えるのはアクセルだけ。だからこそ彼は執拗なまでに狙われ続けたのだ。
転移門を扱える者がいなくなった。その事実を知っているのであれば、敵が次に狙う獲物は逃げる術を無くしたその仲間たちになるだろうことは想像に難くはない。
ともなれば、一刻の猶予も残されていない窮地に『義賊』は追い込まれたと言っても、もはや過言ではないだろう。
悠長にしている暇など残されていないとフラムが考えたのも至極当然だった。
だが、アクセルは万能ではない。
確かに『義賊』の中でもスキルの数という点では誰よりも多才で優秀だと言えるだろう。しかし、フラムが求めるハードルには届いていない。独力で仲間を救うほどの力を擁してはいなかった。
「……そうしたいのは山々さ。けど僕は探知系統スキルを持っていない。何の目印もない山の中から仲間を見つけるのは困難を通り越して不可能だ。だから僕は一度王都に戻ってきた。探知系統スキルを持っている人を、強い人を探し、そして協力を仰ぐために」
力の大小こそあれ、探知系統スキルを持っている者は然程珍しくはない。そこそこ賑わっている冒険者ギルドでスキル所有者を探せば、一人や二人くらい簡単に見つけられただろう。
しかし、マギア王国は今、深刻な冒険者不足に陥っていた。
主な原因は二つ。
一つは言うまでもなく、『義賊』が冒険者を排斥してしまったことにある。
戦争を起こさせまいと、武具や魔道具、武具の作製に使われる鉱石類を運ぶ悪徳貴族やそれらの貴族と太い繋がりを持つ商人の荷馬車を襲い続けたことで、その護衛にあっていた冒険者たちの依頼を妨害。数多の依頼を失敗に追い込んだことで冒険者たちの仕事を著しく減らしてしまった。
加えて、依頼の失敗にはペナルティが課せられることもあり、それを恐れた冒険者が活動の地を他国に移してしまったことも冒険者の減少に繋がっていたのだ。
この点に於いては自業自得。付けが回ってきたとも言えるだろう。
そしてもう一つの原因はマギア王国が今、戦争の真っ只中にあるということだった。
望んで国家間の戦争に巻き込まれたい、参加したいと思う冒険者は限りなく少ない。
冒険者が戦争に参加するか否かは自由意思に委ねられているものの、冒険者ギルドは全世界に向けて中立を謳っている組織だ。
そのため、例え戦争で今後の人生を左右するような怪我を冒険者が負ったとしても冒険者ギルドから補償などが出ることはない。むしろ厄介者として扱われるのが関の山だ。
故に、余程の愛国心や目が眩むような大金を積まれなければ冒険者が戦争に加担することはない。火の粉が己に降り注ぐ前に安全な国や場所に冒険者が流れていくのは自然な流れだった。
とはいえ、アクセルは元よりそこらの冒険者をあてにしてなどいなかった。
相手は圧倒的な強者。今回は運良く逃げきれたものの、もしもう一度同じ状況に陥ったとしたら確実に命を落としてしまう。そう断言できるほどの強者を相手に、並の冒険者を協力者として引き入れたとしても仲間たちを救うことは極めて難しい。それどころか足手まといにもなりかねない。
アクセルが求めたのは広域探知スキルを持ちながら、執事服の青年に勝るとも劣らない実力者。
理想は果てしなく高かったが、幸運なことにその条件に合致しうる人物を彼は知っていた。だからこそ、アクセルはここに一縷の望みをかけて足を運んだのだ。
アクセルは丸まりかけていた背筋を伸ばし、席を立つ。そしてフラムの前で跪き、深く深く頭を下げる。
「戦ってくれ、倒してくれとは言いません。僕と共に仲間を捜索して頂けませんか」
身勝手で我が儘な願いであることはわかっている。
捉えようによっては『共に死地に立ってくれ』と言っているようなものだともアクセルは理解している。
それでも彼は、すがるしかなかった。
もし今、目の前に悪魔と呼ぶべき存在がいたのなら、アクセルは自分の命を代償にしてでもその存在と契約を結んでいただろう。
それほどの覚悟と強い意思が彼にはあった。
フラムは肘をつきながら椅子に座ったまま、アクセルのつむじを面倒臭そうにぼんやりと眺める。
いくら頭を下げられたところでフラムの心は微動だにしていなかった。
助けてやる義理もないし、メリットもない。むしろデメリットばかりが目立つ。
そもそものところフラムは聖人君子でもなければ、善人でもない。
敵か味方か、友か他人か、好奇心や快楽が満たせるのか、或いは、利があるのか。基本的には、これらを総合的に判断し、フラムは動くかどうかを決めている。
赤の他人に情に訴えかけられたとて、フラムからしてみればどうでもいいこと。相手にどう思われようが関係ない。
そしてアクセルはフラムにとって友でもなければ、味方でもない。そう――有象無象の一人でしかなかった。
故に、答えはとうに決まっていた。
固唾を呑んでアリシアがフラムとアクセルを交互にみつめている。だが、それだけで口を挟んで来る様子はない。
弟子であり、妹のように可愛がっているアリシアが声に出してまで『義賊』の救出を望むのであれば、まだ一考の余地はあっただろう。
しかし、それすらもないともなれば、どんなに頭を下げられても答えは一つしかない。
「悪いが他をあたって――ん……?」
断りを入れようとしたその時だった。
目の前で頭を下げるアクセルから微かに匂いが漂ってきたのである。
フラムの鋭敏な嗅覚をもってしても、この距離まで近付かなければ気付けなかったほどの微かな
フラムはこの匂いを知っていた。覚えていた。
「――イグニス」
手招きをするまでも、視線をやるまでもなく、イグニスはその一言で己が王の言葉の意図を全て汲み取り、静かに駆け寄った。そして鼻から軽く息を吸い込と、イグニスしては珍しく目を軽く見開き、驚きを露にした。
「これは……。ええ、間違いないかと」
フラムは自分の嗅覚に自信がなかったわけではなかったが、イグニスからも同意を得られたことで確信に至る。
土の匂い――これは地竜族のものである、と。
しかも、ただの地竜族ではない。
偏に地竜族の匂いと言っても千差万別、個体によって異なる匂いを発しているのだ。
そしてアクセルから微かに漂ってきた地竜族の匂いをフラムは知っていた。
つまり、フラムの記憶が正しければ、その匂いの持ち主とは過去にどこかで会ったことがあるという証左に他ならない。
フラムは火を司る竜族の王だ。
当然、地位の低い者は論外だ。相応の地位にある者しかフラムと顔を突き合わせることはできない。
そんなフラムがその匂いを知っている、覚えているともなれば、自ずと匂いの持ち主の姿が浮かび上がってくる。
「……何はともあれ、主の許可が必要か」
「?」
話の流れが全く掴めていなかったアクセルは、幸運が舞い込んで来ているとも知らずに首を傾げる。
「イグニス、主たちを迎えにいってくれ。もし戦いが終わっていないようなら加勢し、終わらせてこい」
「承知致しました」
「では、私が城内のご案内を」
幾度と白銀の城へ潜入した経験を持つロザリーが自ら案内役を買って出る。
こうしてイグニスはフラムの命を受け、ロザリーを伴い、白銀の城へ向かったのであった。
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