第559話 鼠狩り

 切り立った崖の下。そこに『義賊』が目指す転移門が密かに設置されていた。


 崖下を覗き込みながらオルバーが仲間たちに提案を行う。


「もうここから飛び降りちまわねぇか? 三十人程度なら俺の力で運べるしよ」


 正規ルートを使って崖下に降りるには、四十分近くの時間を掛けて、ここからぐるりと遠回りをしなければならない。

 避難民がもし数百、数千という数だったならば、オルバーは何も言わずに大人しく正規ルートを使おうとしていた。

 しかし三十人程度なら、彼が持つ『重量操作』を避難民一人ひとりに使用することで怪我することなく崖下に飛び降りることができるため、大幅な時間短縮が可能となる。


 問題は崖下に飛び降りるという恐怖心と戦わなければならない避難民たち。

 いくら安全だと説明されても断崖絶壁から飛び降りられる者はそういないだろう。戦闘や身体能力の向上に特化したスキルを持っていない者であれば尚更だ。


 しかし、その問題もクリスタが持つ『瘴気創出マイアズマ』を使えば簡単にクリアできる。

 様々な毒を生成できるこのスキルを用いれば、眠らせることも、幻覚を見せることも、精神の安定を図ることも可能。

 ともなると、オルバーの提案を否定する理由は一つも見つからない。


「オルバー、クリスタ、頼んだ」


 リスクがないと判断したイクセルは早速クリスタに指示を送る。


 オルバーの提案はただ時間を短縮したいがためのものであった。

 だが、この提案が避難民たちの命運を分けることになるとはこの時、誰も思いもしていなかった。


「おうよ!」「あいあいさー♪」


 明るい返事と共に、まず動いたのはオルバーだった。


「これから全員に一時的に身体を軽くする魔法をかける。害はないし、すぐに終わるから二列に並んでじっとしててくれ」


 指示を拒めばどうなるかわからない。そういった不安もあり、避難民たちから反対の声は上がらなかった。


 二列に並んだ避難民たちの間をオルバーがゆっくりと歩く。

 その際、一人ひとりの肩をそっと手で触れ、『重量操作』を使用。避難民たちの体重を五十分の一にし、運びやすい状態を作った。


 オルバーの準備が完了したのを見届けたクリスタは、身体から無色透明なガスが発生させ、避難民たちの鼻先を掠めさせる。

 クリスタが選んだのは短時間深い眠りに誘う睡眠作用がある毒。

 ガスを一息吸い込んだ者からたちまち地面へと倒れ伏せ、最終的に立っていたのは『義賊』だけとなった。


「さてと、ちゃっちゃと運ぶとすっかねぇ」


 背中に一人、両腕に一人ずつ避難民を抱え込んだオルバーにカルロッタがジト目を向けて話し掛ける。


「……おい、私のことを忘れてはいないだろうな? ……私がこんな場所から飛び降りられるとでも?」


「いや、何で少し偉そうなんだよ……。ったく、後で俺がおぶってやるから待ってろ」


「……了解した」




 結局、カルロッタを除く五人で避難民全員を転移門の前まで運び終え、最後にオルバーがカルロッタを回収。

 そしてアクセルが転移門を起動し、ラバール王国の避難民受け入れ所付近の転移門に接続を完了させたその時だった。


「「――っ!?」」


 最初にその気配を感じ取ったのはカイサとアクセルだった。

 即座に二人は武器を腰から抜き、臨戦態勢を整える。


「あん? 急にどうしたんだ?」


 オルバーの危機感のない声に、カイサが苛立ち混じりの声で答える。


「――何か来る」


 対峙するまでもなく理解させられてしまう圧倒的な存在感。

 カイサとアクセルに続き、他の者たちもその気配を感じ取るや否や、自然と背筋を伸ばし、構える。


「来るぞっ」


 カイサの視線の先――つい今しがたまで自分たちがいた崖の上に、日の光を背に浴びたシルエットが姿を見せる。

 そして次の瞬間、人の形をしたそのシルエットが崖から飛び降りた。


 落下してくるまでに残された時間は僅か数秒。

 その数秒でカイサはアクセルに指示を出す。


「手荒になってもいい! 避難民を転移門に!」


 転移門の前で寝かされていた避難民。

 オルバーのスキルによって体重を五十分の一にしているとはいえ、その総重量は三十キロ以上にも及ぶ。

 一人ずつ運び出すにはあまりにも時間が足りていなかった。

 ともなれば、多少手荒な方法に頼るしか選択肢はない。


「すまない」


 届くことのない謝罪の言葉を述べながら、アクセルは魔法を発動。

 初歩的な土系統魔法を使用し、避難民が寝転ぶ地面を隆起させることによって避難民全員を黒い渦が巻く転移門の中へ強引に飛び込ませたのであった。


 頭上から影が迫ってくる中、アクセルは叫ぶ。


「――皆も早く!!」


 転移門に飛び込み、後は接続を切ってしまえば逃げ切れる。

 そう思ったのも束の間、突如として転移門はガラスが割れたかのような音と共に砕け散ってしまう。


「なっ……!」


 金属片が宙に舞う。

 門の形を失ったことで転移門はその機能ちからを失い、ラバール王国に繋がっていた空間は切断。修復不可能な状態まで破壊されてしまう。


 直後、その男――執事服を身に纏った青年が彼ら『義賊』の前に姿を見せ、ため息を吐いた。


「はぁ〜……遅かったか。逃げられたなんて知られたら絶対に怒られるやつだ……。あー……本当に最悪だ……」


 執事服の青年にとって目の前にいる敵など眼中にはないとばかりに独り言を呟き、肩を落とす。

 一見、隙だらけのようにも見えるが、それはフェイク。

 気だるげな瞳をしていながらも、実際は虎視眈々と彼ら『義賊』の様子を窺っていた。


「……貴様、何者だ」


 執事服の青年が放つ雰囲気は明らかに強者のソレ。

 そもそも敵なのか味方なのかもはっきりとわかっていない中、カイサは牽制の意味も含めてそう訊ねる。


「え? 俺に訊いてます?」


 青年はそう返事をしたものの、その視線はカイサに向けられていなかった。


「……」


 カイサはコクリと頷き返し、固唾を呑んで執事服の青年の言葉を待つ。


「うーん、そうですねぇ……。――『鼠を狩る者』。そんなところですかね?」


 字面通りにその言葉を捉えるような愚か者は『義賊』の中には一人もいなかった。


 武器を握る手により一層力が加わる。

 目の前にいる男は敵なのだと、全員が理解していた。


(不思議なものだ。微塵も勝てる気がしてこないとはな……)


 戦って勝てるような相手ではないとカイサの本能が呼び掛けてくる。

 紅介、ディア、フラム。この三人を間近で見て来たからこそ、カイサは真の強者というものを知った。

 故に、目の前にいる青年も彼らと同類なのだと本能で理解することができていたのだ。


「鼠狩りなら余所でやってもらいたいものだな。無関係な私たちを巻き込まないでくれ」


 白を切り、この場を切り抜けようとするカイサだったが、現実はそう甘くはない。

 執事服の青年の言葉遣いがガラリと変わる。


「あー、そういうのはいらないから。お前たちが老人共を逃がしたところはこの目で確認してるんだよ。シュタルク帝国のモノを盗んだ罪はその身をもってしっかりと償ってもらう。因果応報ってやつだ。悪く思うなよ?」


 瞬間、執事服の青年から殺気が迸る。

 もしまだここに避難民がいたとしたら、その殺意の波動を受けただけで白目を剥いて気絶してしまっていただろう。それほどの圧が青年にはあった。


 このままこの場に留まり続ければ確実に殺される。

 誰一人として生きては帰れず、辺り一帯が血の海になるであろうことは想像に難くない。


 カイサは決断を迫られる。

 極小の可能性に賭けて全員で戦うか、それとも誰か一人でも生き残れるような道を作るか。選択肢は二つに一つしかない。


 そしてカイサが選んだのは……。


「この男は私が何とかする。その間にお前たちは逃げろ」


 国のためでも貴族としての矜持からでもなく、カイサは一人の教師として生徒を救う道を選んだ。

 この戦いの先に死が待ち受けていると理解していながらも、彼女は愛すべき生徒たちのためにその身を捧げる決心をした。


「そ、そんな……。先生だけを残して行くなんてできるわけないよ!!」


 激しく取り乱したクリスタの絶叫が木霊する。

 だが、この危機的状況下に於いては感情だけで行動するべきではないことは明らか。

 感情だけで動けば全員が死んでしまう。そうわかっているからこそ、冷静かつ非情な決断が求められる。


「……行くぞ。……私たちがここに居ても先生の邪魔になるだけだ」


 悪役とも言える役割を担ったのは他の誰でもなくカルロッタだった。

 研究者であり発明家でもある彼女だからこそ、冷徹かつ合理的な判断を下せたのだ。

 そんなカルロッタに続いたのはイクセルだった。


「……撤退する。先生……ご武運を」


 それだけを言い残し、イクセルはクリスタの腕を強引に掴むと脇目も振らずに一心不乱に走った。その後ろをカルロッタ、オルバーと続いていく。


 こうして残ったのはカイサとその場から一歩も動こうとしなかったアクセルの二人。

 カイサは執事服の青年から目を離さずにアクセルに問い掛ける。


「……どうして残った?」


「先生は初めから気付いていたんじゃないですか? 狙われてるのは僕だって」


「……」


 沈黙は肯定を意味していた。

 カイサが素性を訊き出そうと話し掛けた時から執事服の青年の視線はアクセルに固定されていたのだ。そしてそれは今もなお、続いていた。


「つまらない劇を観させられた気分だ。もう殺してもいいよな?」


 殺害予告に等しい言葉を掛けられながらもアクセルは笑って問い返す。

 仲間たちが少しでも遠くへ逃げるための時間を稼ぐために。


「どうして僕を狙うんだい? 恨みを買うようなことをした覚えはないんだけどな」


「視たところ転移を使えそうなのがお前だけだった。ならお前を殺せば、シュタルク帝国のモノを盗む鼠が消えるだろう? 理由はそれだけだ」


「ははっ。納得の理由だね、それは」


(……困ったな。鬼ごっこをするしかなさそうだ。でも逃げるのは結構得意な方なんだよね、僕は)


 こうして命懸けの追走劇が始まったのであった。

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