第558話 忍び寄る影
シュタルク帝国軍よりも一足早くモルバリ伯爵領東部に到着した『義賊』だったが、避難誘導は困難を極めた。
ここら一体の山々は開発が進められ、緑が貧しい鉱山ばかり。
採掘の邪魔になる木々の多くが伐採されていたことにより、隠密行動には不向きな土地柄だったのである。
「……あまり長居はできそうにないな。奴等が到着する前に避難民を集い、迅速に撤収する。イクセル、目星をつけている村は何ヵ所だ?」
まず大まかな方針をカイサが定め、イクセルがその方針に合わせて行動計画を調整する。これまで何度と繰り返してきた光景だ。
「東部だけで三ヶ所。働き盛りの領民のほとんどは鉱山都市タールに集められているらしく、点在する村には老人ばかりが取り残されているようです」
「老人ばかりの村が三ヶ所か。荷造りをさせてやる時間的な余裕はないし、避難民が集まるとは思えないな……」
老人ほど住み慣れた土地からなかなか離れようとしないことは、これまでの経験上わかっている。ましてや娘や息子、または孫が別の地で働かされ、その帰りをいつかいつかと待っているともなれば、どうしても腰が重くなってしまうだろうことは明白だった。
「それでもやるしかない、か。――行くぞ」
ある程度予想していたことだったとはいえ、避難民の集まりは非常に悪かった。
人口二百から五百程度の村を四時間掛けて三ヶ所回り、集まったのはたったの三十人弱。
人の命を時間効率で計算するなど憚れる行為かもしれないが、多くの人々を助けたいという想いが強い彼らにとって、この四時間が痛手だったことは否定できない。
加えて、この辺り一帯は高低差が激しい山岳地帯。どこを歩くにしろ傾斜が厳しく、避難民たちの足腰に重大なダメージを負わせていた。
クリスタが先頭に立ち、幾度と後ろを振り返りながら避難民に対して励ますように明るい声を掛けながら、ゆっくりと禿げ山を登っていく。
体力の限界を迎えた者にはオルバーが肩や背中を貸すことで、半ば強引に足を進めさせていく。
そんな二人の頑張る背中を見つめながら、カイサが地図を片手に持ちながら隣を歩くイクセルに声を掛ける。
「避難民の移送が終わったら次は鉱山都市タールに向かうのか?」
「もちろんです。モルバリ伯爵領の民はタールに集中していますので。それにタールさえ抜けてしまえば身を隠せる場所が増えますから」
これまで彼ら『義賊』は村や小さな町で避難民を集ったことこそあれど、都市――それも領内一の大都市で避難民を集ったことはなかった。
成功するか否かは未知数。
領主であるモルバリ伯爵の怒りを買うような事態に発展しかねないが、もしうまくいけば数千数万の民を集めることができる。
多くの人々を救いたいと考えるイクセルとしては是が非でも訪れたい場所の一つだ。
しかし、一つ問題があった。
「相手は伯爵だ。いくら私がロブネル侯爵家の次期当主とはいえ、現当主であるモルバリ伯爵に口を出せる立場にはない。ましてやモルバリ伯爵は常日頃から働き手を欲している。そう簡単に労働力である民草を手放すとは思えないな」
「承知しているつもりです。呼び掛けるだけ呼び掛けて、後は個人個人の自主性に任せる。そうすれば角が立つことは然程ないでしょう。先生……いえ、カイサ・ロブネル侯爵様、頼りにしてますよ」
「おい、最後の一言でお前の魂胆が丸見えだ。ったく、面倒事を私に全部押しつけるつもりか……」
軽い冗談を交えながら近くの転移門を目指し、彼らは足を進めていく。
――その背中を遠くから見られているとも知らずに。
――――――
「ん? もしや……あれが例の鼠とやらか?」
イクセルたち『義賊』が登る山から二つ離れた一際高い山の頂上にその男はいた。
分厚く鍛え上げられた肉体に立派な髭を生やした中年の男。低い背丈に短い手足を持つ中年の男の姿はまるでドワーフのようだった。
――《
シュタルク帝国が保有する最強の戦力。
その一人である中年の男は避難民を連れて山を登る『義賊』を発見した。
「もし誠であれば、これは面白くなりそうじゃのう。さて、まずは真偽を確かめると――」
ニヤリと笑いながら髭を撫で、山を駆け降りようとしていた中年の男の背中に声が掛けられる。
「――ちょっと待ったぁぁぁ!!」
「……なんじゃ? ちょうど今から面白くなりそうじゃったというのに」
後ろを振り向き、白けた眼差しを、息を切らして追いかけてきた執事服の男に向ける。
「『なんじゃ?』、じゃありませんよ! 勝手に軍を離れて何してるんですか!? 俺、言いましたよね? 貴方様は後・詰・め! 非常事を除き、戦闘行為は
軍に戻ってからのことを考え、憂鬱になる執事服の青年。
それもそのはず、主人である中年の男は無許可かつ独断で軍から離れ、我先にとこの地までやって来てしまったのである。
中年の男と同じ《四武神》であるエルフからの叱責は免れない。
罵声を浴びせられる程度ならまだマシな方だろう。最悪の場合、管理責任を問われ、主人に変わって鉄拳制裁を受けることになるかもしれない。想像するだけで憂鬱になってくるというものだ。
ため息が止まらない執事服の青年の肩を、中年の男が笑いながらバシバシと強く叩く。
「痛っ、痛っ! 何するんですか!?」
「がっはっはっ! 手柄を立てれば問題あるまいて。ほら、あそこを見てみろ」
中年の男が指を差した方向に目をやると、そこには三十人を超える人々が懸命に山を登っていく姿があった。
「……? あれがどうかしましたか?」
「察しが悪い奴よのう。老人を率いる若者たちの姿を見て何か思わんか?」
「シュタルク帝国軍から逃げてるだけなんじゃ……。――ああ、なるほど、そういうことですか」
ようやく思い至ったのか、執事服の青年は目を軽く見開き、山を登っていく人々の背を遠くから見つめる。
「あの黒装束たちが例の鼠なのではないかと貴方様は疑ってるわけですね?」
「どうじゃ? 面白そうじゃろう?」
「面白いか面白くないかは置いておくとして、我々の独断専行を正当化するにはもってこいかもしれません。怪しい影を見つけた、だから追った。少し苦しいですけど、そんなところですかね」
頭の中で筋書きを描き、検討していく。
(手ぶらで帰ったら何をされるかわかったもんじゃないし、手土産を持って帰って機嫌取っておくのが賢明か……。ああっ!! もう!)
やけくそ気味に頭を掻きむしり、執事服の青年は覚悟を決める。
「――やりますか」
覇気がなかった瞳に輝きが戻る。
纏う雰囲気がガラリと変わったのを見た中年の男が笑みを浮かべた。
「お前さんのそういう柔軟なところが好きじゃよ。はてさて、そうと決まれば早速――」
中年の男は首をボキボキと鳴らし、狩りの準備を整える――が、そこに至極冷静な声で待ったがかかる。
「え? 何一緒に行こうとしてるんですか? 俺が一人で行くに決まってるじゃないですか。というわけで貴方様はさっさと軍に戻ってください。早く帰らないとあの御方に怒られてしまうかもしれませんよ?」
「……お前さんのそういう空気が読めないところが嫌いじゃよ」
『あの御方』というワードを出されてしまえば、いくら《四武神》の一人とはいえ、我が儘を貫き通すことは難しい。
完全にやる気を削がれた中年の男は恨めしそうに、そして羨ましそうに執事服の青年を見送ることしかできなかった。
それから約二十分後、避難民を抱えた『義賊』はその背を襲われる。
《四武神》の臣下――執事服の青年によって――。
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