第556話 認識のズレ

「おい、コースケはどうしたのだ? まさか殺られたわけじゃないんだろう?」


 エステル王妃を床に寝かせ、手持ち無沙汰になっていたプリュイが介抱を続けるディアのもとまで近寄り、声を掛けた。


「大丈夫……だと思う。でも暫くは目を醒まさないかもしれない……」


 過去の経験から踏まえ、ディアは紅介の命に別状はないであろうことと、倒れた原因を理解していた。

 けれども不安は拭いきれず、歯切れが悪くなってしまう。

 前回は大丈夫だったからといって、今回も大丈夫である保証など何処にもない。

 万が一……いや、億が一、紅介が命を落とすような事態に陥ったその時、ディアは迷わず禁忌とも言える権能――蘇生魔法を使ってでも紅介の命を救ってみせると覚悟を決めていた。


 とはいえ、その禁忌の力は万能ではない。

 死者を蘇らせることができるタイムリミットは僅か十分前後。

 肉体から魂が剥がれてしまうその前に使用しなければならないという制限があるのだ。

 故にディアは紅介の傍からほとんど離れることなく、その様子を見守り続けていた。


 ぐぅ~……。


 戦いが終わっても尚、重苦しい雰囲気が漂う中、プリュイのお腹から空腹を知らせる悲鳴が轟く。


「おい、腹が減ったぞ」


 その程度のことで羞恥心を覚えるプリュイではない。

 意識を取り戻してそう時間が経っていないにもかかわらず、現状の把握に努めている国王アウグストと、マギア王国を取り巻く情勢を語るカタリーナを余所に、プリュイは音が鳴った腹を抑えながら物欲しげな顔をディアに向ける。


「食べ物ならこうすけのアイテムボックスの中に入ってると思う。ええっと……」


 ディア自身も喉の渇きと若干の空腹感を覚えていたこともあり、紅介の腰に巻かれているウエストポーチに手を伸ばす。

 だが、そこでディアの手がピタリと止まった。


「ん? どうしたのだ?」


「何でわたし……お腹が……?」


 元々神であるディアだが、その身体の構造は普通の人間と大差はない。封印されていたあの頃とは違い、喉は渇くし、お腹も減る。もちろん、睡眠欲だって彼女にはある。

 かといってフラムやプリュイのような大食漢ではない。

 そもそも、この戦いに臨む前に朝食は摂ったばかり。にもかかわらず喉の渇きだけならまだしも、ものの一時間程度で空腹を感じるはずがないのだ。


 違和感程度では収まらない。

 間違いなく今の状況はおかしいとディアは確信に至る。


「プリュイ、もっと近付いて」


「な、なんだっ!?」


 すぐ横に立っていたプリュイの腕をやや強引に引っ張り、顔と顔を近付けてその蒼眼を見つめる。

 よくわからない状況に困惑するプリュイを差し置き、瞳のその更に奥――循環する魔力を観察していく。


 そしてディアは見つける。

 今にも消え去ろうとしているガイストの魔力の残滓を。


「……間違いない。わたしたちはガイストから何らかの影響を受けていた」


 神妙な面持ちでそう告げたディアにプリュイがくだらないとばかりに反論する。


「妾たちが操られていたとでも? ふんっ、あり得んな。ガイストは死んだのだ。まさかこれが夢だとでも言うつもりか?」


「ううん、そうじゃない。ガイストを倒したのは現実。だけど、倒すまでの過程でわたしたちがガイストの力の影響下にあったことは間違いないよ」


 ディアのちからについてはプリュイも当然、承知していた。

 そんな眼を持つディアがここまで食い下がってくるともなれば、いくら操られた自覚がないプリュイであっても頷かざるを得ない。


「……で、妾たちは奴に何をされたのだ?」


「わたしの推測が間違ってなければ、たぶん――」


 ディアは答えにたどり着いていた。

 喉の渇き、空腹感、そして何故か一切の抵抗をすることなく……いや、抵抗する力を無くして倒されたガイスト。

 それらのピースがピタリと嵌まった結果、ディアは真実にたどり着いたのだ。


 だが、ディアの言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 推理を披露しようとしたその直前、玉座の間に見知った二人の男女が姿を現したからである。


 一人はメイド服を。そして一人は執事服を着ていた。

 執事服の男――イグニスが大袈裟なほど礼儀正しく深々と頭を下げ、ディアに声を掛ける。


「ディア様、ご無事のようで何よりでございます。丸一日ご連絡がなかったため、こうしてお迎えに参った次第でございます」


 イグニスの登場に真っ先に反応を示したのはプリュイだった。

 顔をこれでもかとばかりにしかめると、すぐに警戒心を隠そうともせずに鋭い視線を飛ばす。


「……『万能者イグニス』」


「そう警戒なさる必要はございませんよ、プリュイ様。我らが王フラム様と貴女様が協力関係にあることは既に聞き及んでおりますので」


 二人の間に緊張が走る。が、そんな空気はたちまち消え去ることに。

 突如現れたイグニスと、そしてメイド服の女性ことロザリーがこの場に姿を見せたことにより、近くで話し合っていたカタリーナとアウグストが合流を果たした。


「どうかしたんスか?」


 カタリーナは目を腫らし赤くさせていたものの、すっかりと涙は引っ込んでいた。いつもの調子(素の姿)で話に加わる。

 そして洗脳から解放されたアウグストは、ちらりと横目で床で眠るエステルの安否を確認するなり、深く謝罪した。


「おおよその顛末は娘から訊いた。……この度は誠に申し訳ない。皆に迷惑を掛けたばかりか、こうして救われた。この恩は必ず返させてもらいたい」


「「……」」


 アウグストに続く形でカタリーナも頭を下げるが、ガイストを倒した当事者である紅介は依然として意識を失ったまま。

 プリュイは言わずもがな、ディアもこの手のやり取りを苦手としている。

 結局誰からも謝罪に対する返答はなく、微妙な空気になりかけたところで頭を上げたカタリーナが切り込む。


「えーっと、それでイグニスさんとロザリーさんはどうしてここに? 聞き耳を立ててたわけじゃないッスけど、丸一日連絡がなかったとかなんとか。それってどういう意味ッスか?」


「……なるほど。どうやら認識にズレがあるようですね」


「……?」


 訳がわからないと首を傾げるカタリーナとは対照的に、イグニスは納得がいったとばかりに一人で何度か頷いてから、言葉を続ける。


「まずは端的に事実だけをお伝え致しましょう。皆様が屋敷から出立されてから既に丸一日が経過しております」


「……は?」「……ん??」


 カタリーナとプリュイから同時に声が漏れ出る。

 だが、ディアだけは違った。イグニスの話を訊き、自分の推測に間違いはなかったと確信する。


「……やっぱり。わたしたちはガイストの力で『時』を誤認識させられてたんだと思う」


「あはは……。いやいや、意味がわからないッスよ。『時』を誤認識させるだなんて。いくらなんでもそんなことできないッス……よね?」


「たぶん正確には体感時間を短くした。それも極めて短く。リーナも薄々気付いてるんじゃない? 喉の渇き、空腹感、あとは身体の疲れとか」


「それは……」


 あり得ない、信じられないと否定していたカタリーナだったが、ディアが指摘した全てが自分に当て嵌まっていると気付き、納得せざるを得なくなっていた。


 片やプリュイは否定するわけではなく純粋に疑問を口にする。


「体感時間を短くしたというならば、何故その間に隙だらけの妾たちに奴は攻撃を仕掛けてこなかったのだ? 絶好の機会だったはずだろうに」


「憶測でしかないけど、それはたぶんガイスト自身の体感時間もおかしくなってたんじゃないかな? じゃなきゃ、あれだけの怪我をしておいて手当てをしないだなんて考えられないから」


 事実、ディアの憶測は当たっていた。

 紅介の『魔力の支配者マジック・ルーラー』の魔力阻害から一時的に解放されるだけであれば『自強自傷オーバードライブ』を使用し、代償を払うだけで事足りた。


 しかし、そこから更に『魔力の支配者』によって個別に張られていた『対魔力結界』を突破し、紅介たちを『精神の支配者マインド・ルーラー』の影響下に置くには、魔力に指向性を与えずに持ちうる全魔力を放出し、かつ対象者の精神や思考をねじ曲げるような抵抗感を与えるものではなく、極めて単純な効果の精神操作しか『魔力の支配者』を突破する術がなかったのである。


 結果、ガイスト自身の体感時間も短くなり、紅介たちに攻撃することも負傷箇所を手当てすることもできず、瀕死状態に陥っていたのであった。


「ってことは、最後の最後まで私たちは奴の時間稼ぎに付き合わされていたってことッスか……」


「そうお考えになるのが妥当ではないでしょうか。それに、つい先程までこの城には人払いの結界のようなものが張られておりましたので。そのせいで皆様へのご報告が遅れてしまいました。ここからはロザリー様にお任せ致します」


 イグニスに急遽バトンを渡されたロザリーは改めて背筋を正し、落ち着いた口調でここに来た理由を告げる。


「お疲れのところ申し訳ございませんが、大至急屋敷にお戻りください。アクセル様がお待ちになられております」

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