第555話 三つ目の神器

「――『疾風迅雷ゲイル・サンダー』」


 その言葉を合図に、俺たちは一斉に動き出す。


 誰よりも速く動き出したのは囮役を買って出たリーナだった。

 雷光を身に纏い、剣を片手にガイストを目掛けて駆ける。

 音を置き去りにしたリーナに立ちはだかったのは、『未来視』によって三秒先の未来を観測したアウグスト国王。

 真っ向から迎え撃つべく、大切な一人娘に向けて何の躊躇もなく金色に鈍く輝く大剣を構える。


 これで完全にアウグスト国王の意識はリーナに向けられた。

 残すは二人。

 玉座の肘掛けにもたれ掛かり、今にも息絶えそうなガイストと、それを守るエステル王妃だけ。


 リーナに追従する形でその背中を追いかけながら、プリュイが心底つまらなそうに呟く。


「……譲ってやる」


 脚に力を込めたプリュイは床を踏み砕き、風を切り裂き、さらに加速する。瞬く間にリーナに追い付くと、アウグスト国王には目もくれずエステル王妃に襲いかかる。


 リーナとアウグスト国王が、プリュイとエステル王妃がぶつかるその寸前、俺は並走するディアの右手を左手で掴み、『空間操者スペース・オペレイト』を発動。

 直後、繋いだディアの手のひらから熱が伝わり、大量の魔力が俺の身体に流れ込み、空っぽになりかけていた魔力が瞬く間に補充されていく。


 そしてガイストの頭上に転移した俺は紅蓮を握る右手に力を籠めた。


 この瞬間、三人同時制圧の条件が整う。


 アウグスト国王とエステル王妃のことは完全に二人に任せ、俺はガイスト一人に集中する。


 リーナの心を救うためにも、マギア王国のためにも、ここは絶対にミスが許されない場面。

 一撃で確実にガイストを仕留め、その手中に落ちたリーナの両親を解放しなければならない。


 頭上に転移した俺とディアの気配を感じてか、ガイストは身体を反らして俺たちを見上げる。

 ガイストからしてみれば絶体絶命の危機的状況。

 にもかかわらず、俺たちを見上げたその顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。


「――行って!」


 繋いでいた手を離したディアが俺の背中に向けて風系統魔法を発動。

 暖かな風を背に受けた俺は落下速度を上昇させ、一気にガイストへと迫り、そして……。




「……」


 抵抗されることなく、『致命のクリティカル一撃・ブロー』を付与した紅蓮が玉座もろともガイストの胸を貫いた。

 ガイストの胸からは大量の血飛沫が上がり、俺の全身を赤く染めていく。


 俺は紅蓮を胸から引き抜き、刃に付着した血液を払い拭い直ぐに油断することなくガイストを観察する。


 ガイストは目を開け、口元に笑みを湛えたままピクリとも動かない。

 右目に嵌めていたモノクルは血溜まりの上に落ちた衝撃で透明なガラスにひびを入れていた。


「終わった……のか?」


 あまりにも呆気ない幕引きに現実感がまるで湧いてこない。

 だが、間違いなくガイストは死んだ。俺が殺したのだ。

 その証拠にアーテによって創造された神造器兵であるガイストの身体の一部は黒い霧となり、今にもその原形からだを失おうとしている。


「うっ……。ここは……? 私は……何を……」


「お、お父様……?」


 すぐ近くからアウグスト国王のものと思われる男性の声と涙ぐんだリーナの声が聞こえてくる。


「今は眠っているが、こちらも大丈夫そうだぞ」


 その声に反応し、横目で様子を見てみると、プリュイの小さな身体に抱き抱えられる形でエステル王妃は眠りについていた。

 確信するにはまだ早いが、きっとこの分なら二人は無事助かったとみて良いだろう。


「うん、本当に良かった……。こうすけは大丈夫?」


 ホッと安堵の息を吐いたディアから声を掛けられる。

 その声に反応しようとした、その時だった。突如として俺の身体に異変が生じ始めた。


 ――ドクンッ。


 心臓が音を立てて跳ねる。

 身体は急速に激しい倦怠感と共に熱を帯び始め、意識を霞ませていく。さらに追い討ちをかけるかのように激しい眼痛と目眩が俺を襲う。


「はぁ……はぁ……。どう、して……」


 呼吸は乱れに乱れ、立っているのがやっと。

 視界は赤く染まり、世界が赤くぼやけて見える。


 それからそう時間が経たないうちに俺は限界を迎え、ついに膝をついてしまう。


「こ、こうすけっ!」


 ディアの慌てた声が遠くから聞こえてきた気がしたが、今の俺には返事をする余裕はなかった。


 突如として俺の身体を襲った異常。心当たりは一つしかない。

 それは対象の血液に触れることで任意のスキルをコピーすることができる、神ラフィーラから授かった規格外のスキル――『血の支配者ブラッド・ルーラー』だ。


 過去に一度、経験したことがあるから知っている。

 この異常の正体が『血の支配者』の暴走にあることを。


 だが、過去にマルセルから『魔力の支配者マジック・ルーラー』をコピーした時とは異なる点が一つあった。

 あの時とは違い、今回俺は『血の支配者』のコピー能力を受け入れていなかったのだ。


 『血の支配者』は血に触れることで半自動的に発動するスキルだが、コピーを受け入れるかどうかは俺の意思のもと決定される。

 拒むこともできるし、コピーするスキルを任意で選ぶことができた。


 しかし、今回だけは違った。

 俺の意思とは関係なしに『血の支配者』は、まるでスキルそのものが意思を持ったかのように、ガイストが持つ神話級ミソロジースキルを――『精神の支配者マインド・ルーラー』を求め、コピーしたのである。


 その結果、俺は強い反動を受け、身体に異常をきたしたのだ。

 自分の中の『何か』が書き換えられる感覚に恐怖を抱きながらも、俺には抗うことができなかった。


 一欠片の意識しか残っていない頭の中に文字が浮かび上がってくる。


 神話級スキル『精神の支配者』Lv7


 精神の……――。


 全ての情報が浮かび上がる前に、俺は意識を手放していた。


――――――――


 紅介が意識を失って間もなくして、玉座に残っていたガイストの亡骸は全て霧となって消え去っていた。


 倒れた紅介を仰向けに寝かせ、ディアは懸命に治癒魔法を施す。

 だが一向に紅介の意識が戻る気配がなく、途方に暮れていたその時、彼女は『それ』に気付く。

 空席となった玉座、その真ん中に拳大の輝きを失いかけた水晶が――神器が寂しげに置かれていることに。


「ごめん、少し待ってて。力を取り戻したらもしかしたら……」


 額に大粒の汗を浮かべ苦しみ続ける紅介を僅かな時間とはいえ、放置してしまうことに激しい罪悪感を抱きながらも、ディアは玉座に置かれていた神器を拾い、優しく包み込むように胸元に寄せる。


 すると、失いかけていた輝きを……いや、それ以上の神々しいほどの輝きを一度放った神器は、たちまちディアの身体の中に吸い込まれていった。


(これで三つ目。でも、思ったよりも力が戻って来ないのはどうして……?)


 残す神器は後二つ。

 五つに分けられたディアの力――神器をこれで三つ手に入れたというのに、彼女が本来持つ力の五割にも届いていなかった。

 となると、考えられる理由は限られてくる。


(残りの神器にわたしの力の大半が封じ込められている。それしか考えられない)


 今回取り戻した神器によってディアが獲得した力は少ない。

 紅介に負けず劣らずの身体能力と、『神眼リヴィール・アイ』を超える情報看破能力だけだった。


(今のわたしじゃどうすることもできない。……こうすけ)


 紅介が自力で快復するその時をじっと待つことしか彼女にはできなかった。


 だが、ただ待つことすらディアには――彼女たちには許されない。


――――――――――


「ご苦労様、ガイスト。よく最後の仕事をやり遂げてくれたわ。それと短い間だったけれど、貴方のお陰で少し刺激的な日々が送れたわよ」


 満足そうに微笑んだアーテは右目に嵌めていたモノクルを外し、コトリと音を立ててテーブルの上に置いた。


「さあ、最後の仕上げね。《四武神あの子たち》を邪魔する者はもういない。存分に暴れてらっしゃい」

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