第535話 "狂気"乱舞

 人目が少ない狭い路地裏に場所を移し、プリュイの配下から事の詳細を全て訊き出した。


 話は至ってシンプル。

 事前にプリュイから犯人は精神操作を得意としていることを教えられていたため、付かず離れずの距離を保って監視を行っていたものの、いつの間にか対象の姿を見失ってしまったという話だった。


「奴が使っていた馬車もろとも姿を見失ってしまいました……。誠に申し訳ございません」


 プリュイの配下は少年のような見た目をしているからか、彼から謝られると罪悪感が凄い。年齢的には間違いなく向こうの方が年上なのだろうが、ミスを責める気など微塵も起きなかった。


 だが、プリュイだけは違う。

 何度も頭を下げ続ける配下に対して激励や慰めの言葉を掛けたりなどはしなかった。


「――次はない。必ずや見つけ出せ、良いな?」


 鋭い眼光が少年を射抜く。

 無慈悲なまでに冷たい眼差しを向けられた少年はその小さな身体を微かに震わせる。


「も、もちろんでございます」


「ならばもう良い、行け」


 もう顔も見たくないとばかりに配下を手で追い払おうとするプリュイに、俺とディアがほぼ同時に待ったを掛けていた。


「待ってほしい」「ちょっと待って」


 思わずハモってしまい、ややぎこちなくなりつつも視線だけで発言権を譲り合う。そして無言でのやり取りの結果、ディアが口を開いた。


「ほんの少しだけだけど貴方の魔力に淀みのようなものが見える。多分だけどそれは精神操作……ううん、軽微な思考誘導を受けた痕跡だと思う」


「……ディア、それってあれッスよね!? 犯人が得意としているそれッスよね!?」


 興奮しているせいか、リーナの言葉はかなり抽象的で意味がわかりづらいものになっていたが、彼女の言いたいことは理解できる。

 つまり何が言いたいのかというと、プリュイの配下が追跡していたその人物こそが犯人である可能性が極めて高くなったということだ。


 容疑者から犯人へ。

 ほぼ二人まで絞れていたとはいえ、この差は計り知れないほど大きい。加えて、その犯人が近くにいるであろうことも俺たちに取ってはプラスの要素になるだろう。

 もし犯人が遠く離れた地や国外に逃亡をしていれば俺たちにはもうどうすることもできなかった。だが、国内に――それも近くにいるとなれば、まだ間に合う。

 洗脳された人々を解放し、戦争を止められるかもしれない。


 嬉々とした様子のリーナをそのままに、ディアは話を続ける。


「植え付けられた魔力はもうほとんど消えかかってるみたいだから、このまま放置しても大丈夫だよ。ところで、思考誘導を受けた心当たりはない?」


「心当たりとまではいきませんが、対象を見失ったのは歌劇場を後にしたタイミングでした」


「だったらその時が濃厚なのかな。付かず離れずって言ってたから、歌劇場でもそれなりに距離は取ってたんだよね?」


「対象は二階席に、私は一階席の端で目立たないようにしてはいたのですが……」


 少年の証言通りならば、犯人は尾行に気付き少年に思考誘導を行ったのか、もしくは歌劇場にいる者全てに思考誘導を行ったのか、二つに一つだ。

 しかし、もし犯人が本当に尾行に気付いていたのならば思考誘導程度に留めておく理由がない。少年が持つ抵抗力に敵わなかったというのならば話は別だが、『神眼リヴィール・アイ』で少年の情報を覗き見た限り、そのようなスキルを持っている様子はない。


 ともなれば、答えは必然的に絞られてくる。

 おそらく犯人はプリュイの配下たちの尾行に気付いてはいない。少年が思考誘導に掛かってしまったのは、犯人が歌劇場全体に精神操作系統スキルを使ったことで偶然巻き込まれてしまったと見るべきだろう。


 ディアが話し終えたタイミングを見計らって俺は切り込んだ。今、俺たちが最も必要としている情報を得るために。


「俺からも一ついいかな? そいつの――犯人の名前を教えてほしい」


 そう訊いた途端、少年の顔がどこか誇らしげなものへと変わっていく。


「はいっ! 標的の名は『ガイスト』。その者は僕のでも視ることができないスキルを所持していました」


 プリュイの配下たちが犯人の名を掴んでいたことに、場所を忘れて思わず歓喜しそうになる。

 が、しかし……。


「……ん?? もう一度、もう一度訊かせてもらっても良いッスか?」


「はっ、はい。『ガイスト』です」


 リーナが聞き返した理由は一つしか思い当たらない。

 『ガイスト』――その名前に心当たりが一切無かったからだ。


「ガイスト……ガイスト……ガイスト……」


 リーナは何とか記憶を掘り起こそうと頑張っているようだが、おそらくその名前が浮かんでくることはないだろう。


 だが、俺とディアは違う。

 無論、ガイストという名に心当たりがあるわけではない。


 それでも俺たちは知っている。

 犯人がアーテの配下であることを。

 そして偽名を使っているであろうことを。


 名前に心当たりがないとなれば、次に訊くべき質問は決まったも同然だった。


「性別や年齢、他にも容姿やこれといった特徴とかがあれば教えてもらえるかな?」


「性別は男。年齢は……申し訳ございません、おそらく若いとしか。容姿に関しても特にこれといったものは……」


 少年が竜族ということもあってか、人間の年齢や容姿の差異などに疎いのだろう。特に年齢に関しては長命の竜族からしてみれば一年も十年も百年も誤差の範囲内としか思えないに違いない。


 ここに来て雲行きがだいぶ怪しくなってくる。

 犯人の本名を知ることができただけでも大きな手掛かりとも言えるが、それだけではあまりにも惜しい。


「髪型や服装でも何でもいい。知っていることがあればどんな些細なことでも教えてほしい」


 手柄を立ててくれた相手に無茶を言っていることも、意地汚い要求をしていることも十分理解している。それでも俺は貪欲に手掛かりを求めた。


 そして……。


「ええっと……――あっ、そういえば眼鏡を! 右目に眼鏡のような物をつけていました!」


 少年が捻り出してくれた手掛かりは何物にも代え難い極めて貴重な情報だったらしい。

 その情報を訊いた瞬間、リーナが腹ではなく頭を抱えて邪悪に嗤ったのだから。


「あはっ――あははははっ! 右目にモノクル! あははっ! そうか、ラーシュ・オルソン! あいつがお父様を、お母様を、マルティナを、そしてこの国を弄んだ全ての元凶だったんスね!」


 リーナの狂った嗤い声が狭い路地裏に反響する。

 憤怒・憎悪・悲壮・後悔・空虚……そして殺意。

 ありとあらゆる負の感情が混ざり合い、それらに心を支配されたリーナの声に当てられたプリュイまでもが、抑え込んでいた殺意を露にさせる。


「――全配下に伝えよ。ガイスト……ラーシュ・オルソンなる者を徹底的に探し出し妾に報告せよと。その際、絶対に手を出すでないぞ――奴は妾がこの手で殺す」


「しょ、承知致しました」


 蒼眼に籠められた迸る殺意からまるで逃れるように少年は一目散にこの場から去って行ってしまった。


「……こうすけ、どうする?」


 二人がこうなってしまった以上、いつ暴走をしてもおかしくはない。

 この都市で捜索を続けるにしろ、冷静さを欠いた二人を連れて回るのはあまりにも危険だ。ここは一旦、二人を屋敷に連れ戻した方がいいだろう。


 二人には聴こえないよう細心の注意を払い、ディアに耳打ちをする。


「二人を屋敷に帰らせるためにも、一度都市の外に出て近場にゲートを設置して帰ろうか」


「……うん、わたしもそうした方がいいと思ってた」


「もういないとは思うけど念のために二人を帰したあと、俺とディアの二人でこの都市を回ってみよう。フラムにプリュイを押しつける形になって申し訳ないけど……」


 この最悪とも呼べる状態のプリュイを制御できるのはフラムをおいて他にはいないし、何より今の二人には少し冷静になる時間が必要だ。

 もしラーシュことガイストを今この場で見つけたとしても冷静さを欠いた二人では俺とディアの足手まといにしかならないことは明白。プリュイに限って言えば、破壊の限りを尽くす災厄にもなりかねない。




 この日、俺たちはプリュイの配下から極めて重要な情報を入手した。だが結局その後、ガイストの消息は掴めず終い。

 俺たちは情報だけを持ったまま、再び足踏みをすることになってしまうのであった。

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