第534話 慈悲と非情

 横薙ぎに払った剣がアリシアの身体に吸い込まれていく。

 あまりにも突然過ぎる出来事に専属騎士であるセレストは目を見開くだけで身体を動かせない。


 ――間に合わない。


 その刹那の間、セレストの脳裏を過ったのは血に染まったアリシアの姿だった。


 しかし、現実は違った。脳裏を過った悪夢は訪れなかった。


 甲高い金属音が響くや否や、騎士が振るった剣は真っ二つに折れ、空を舞う。

 アリシアを襲った一撃はフラムの前蹴りによって、いとも容易く弾かれていたのである。


 フラムのお陰で難を免れた――と思いきや、実際はフラムの手助けが無くともアリシアが怪我を負うことはなかった。

 剣が迫ったその瞬間、アリシアは羽のように軽々とその身を翻し、剣の間合いから逃れていた。日頃からフラムに鍛えられた成果が今この瞬間に発揮された形だ。


「ありがとうございます、フラム先生」


 焦りや恐怖といった感情をアリシアが抱くことは無かった。

 その証拠に、致命傷にもなりかねない一撃を受けそうになったにもかかわらず平然としている。フラムに礼を言うほどの余裕があった。


「なに、どうやら余計なお節介だったようだ」


「「……」」


 あまりにも悠長に会話する二人を余所に肝を冷やして顔を青ざめさせていたのは、専属騎士のセレストと剣を振るった男性騎士以外の騎士たちだった。

 マギア王国の騎士たちに限っては、思考が追い付かないほどの混乱状態に陥っている始末。剣が折れても尚、臨戦態勢を解こうとしない隊長の様子に愕然と目を見開くことしかできない。


 折れた剣を投げ捨てた男性騎士が再びアリシアに襲い掛かろうと腰を落とし、大きく一歩を踏み出す。

 だが、アリシアへの攻撃を二度も許すほどフラムは甘くはない。


「――邪魔だ」


 目にも止まらぬ速さで繰り出されたフラムの横蹴り。

 それをもろに食らい、前のめりになっていた騎士の身体が大きく横に飛ぶ。そして十メートル以上滞空し地面を跳ねた後、意識を失ったのかピクリとも動かなくなった。


「フラム先生、あの方は……」


 畏れ多くて誰も口にすることができなかった心配を、殺されかけたアリシアが行うという奇妙な光景が繰り広げられる。


「そこまで私は鬼じゃないぞ。操られているだけの人間を殺しはしない。それにあの剣に殺意は感じなかったしな。大方、アリシアに重傷を負わせることで自由に行動ができないようにしたかったのだろう。真逆の結果になってしまったがな」


「やはりフラム先生はお優しいのですね」


 ニコリと微笑むアリシアと、照れ臭そうにそっぽを向くフラム。そんな優しく温かな時間はすぐに破られることになる。


「貴様ら……これはどういうつもりだッ!」


 普段は温厚なセレストが声を震わせ吼える。

 アリシアを、己が守るべき主が殺されそうになったのだ。その怒りは尋常ではなかった。


「い、いや……私たちにも何が起きたのか……」


 セレストに睨まれながらもマギア王国の騎士たちは首を横に振って害意は無かったと否定する。

 その仕草により一層腹を立てるセレストだったが、ロザリーの介入によって一触即発の雰囲気が破られた。


「貴殿方にはアリシア王女殿下を害する意思、もしくはそれに類似する命令は一切受けていなかった。この認識に間違いはありますか?」


 隊長を失ったマギア王国の騎士たちは揃って頷くと、副隊長を名乗る一人の男性騎士が片膝をつき、頭を深く下げて謝罪した。


「大変申し訳ございません。如何なる罰をも受ける所存であります」


 謝罪に応じたのは被害者であり、ラバール王国側の代表でもあるアリシアだった。


「その謝罪、受け入れましょう。その代わり、何故このような蛮行に及んだのかお聞かせ下さい」


「隊長が……あの男が何故あのような行動に出たのか私にはわかりかねます。ですが、神に誓って私共に貴女様を害する意思はございませんっ!」


「アリシア王女殿下、意思はなくとも命じられている可能性はあるかと」


 嫌々やらされている可能性もあるのではないかとロザリーが横から進言をした。

 当然、そのような命令を受けた覚えがない騎士たちは血相を変えて強く否定する。


「――そ、そのようなことは!」


「では、貴殿方に下った命は如何なるものだったのでしょうか。お教え願います」


 ロザリーから追及を受けても尚、騎士として、そしてマギア王国に仕える者として、そう簡単に口を割ることはできない。それが監視対象であるならば尚のこと。

 もし口を割ってしまえば罰は免れない――が、既に剣は抜かれてしまった。


「……」


 思い悩む騎士にアリシアがとどめを……いや、手を差し伸ばす。


「他言は致しません。貴方が信じる神に誓いましょう」


 その一言が決定打となった。

 ラバール王国の王女に剣を抜いてしまった以上、もしアリシアがマギア王国に抗議を行えば騎士の地位を失うばかりか、最悪の場合、死罪となってしまう。

 故に、騎士たちはアリシアの慈悲にすがるしかなかった。たとえその後の一生、罪の意識を背負い続けることになろうとも。


「私共が上から命じられたのは監視……でございます。カタリーナ王女殿下の誘拐、そしてマギア王国に対する諜報の疑いがかけられておりますゆえ……」


「情報の提供に感謝を。これをもって私に対する傷害未遂事件を不問とします。それから我が国に対する自由の侵害をやめるよう上の者に伝えなさい。では、お引き取りを」


 極めて一方的な通告だったが、隊長を失った騎士たちには受け入れる他なし。未だ意識を失い続ける隊長を担ぎ、屋敷の門前に集まっていた騎士たちは大人しく退いていった。


「ふぅ……何だか少し疲れてしまいました……」


 そう零したアリシアの笑みには疲労の色が混ざっていた。

 明らかに笑顔を作っているアリシアの綺麗に梳かした金色の髪をフラムが優しく撫でる。


「よしよし、よく頑張ったな。流石に今日明日に動いてくるとは思えんし、暫くはゆっくりと休むがいい」


「ふふっ、やっぱりフラム先生はお優しいのですね」


「……さあな」


 そう言ってフラムは誤魔化した。


 フラムがその優しさを向ける先は限られている。

 元よりフラムは人間とは一線を画す存在であり、人という生物の生き死にに然したる興味も執着心もない。

 故にフラムがその優しさを向けるのは心を許した存在だけ。逆に言えば、それ以外のものがどのようになろうとフラムが心を痛めることはない。


 ――マギア王国がどうなろうと、それは変わらない。


 屋敷の中に戻る道すがら、フラムは雲一つない晴天を見上げる。


(無事に犯人を見つけられればいいが、正直言ってあまり期待はできないだろうな。主よ……近い未来に例え何が起きようとも悲しまないでくれ)


 フラムは雲一つない青空に、ただそう願った。


――――――――――


 アリシアが抗議を行った日から僅か二日で紅介たちは芸術都市テアーテルに到着した。


 最低限の休息と、最速での移動。

 紅介、ディア、プリュイの三人は持ち前の体力と魔法での移動の補助のお陰である程度の余裕を残していたが、カタリーナの疲労は色濃く残っていた。


 都市に入って暫くしても顔色は悪く、息は乱れたまま。平然としている三人をカタリーナは恨めしそうな眼差しで見つめる。


(ホンット、この人たちは化物ッスね……。何でこうケロリとできるんスか……)


 弱音は吐くまいとカタリーナは気合いを入れ、先頭を歩くプリュイについていく形でテアーテルを練り歩く。


 そして歩き続けること三十分が経とうかという頃、蒼髪の一人の少年が四人の前に現れるや否や深々と頭を下げ、こう言った。


「申し訳ございません、プリュイ様。対象を……見失いました」

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