第529話 苦労人ロザリー

 王都から兵が出立し始め、一週間。

 この間にも西から王都を通り東へ向かう兵たちが続々と現れていた。

 兵が掲げる旗には所属先の貴族を示す家紋が細やかに刺繍されている。その家紋を誇らしげに掲げ、大勢の兵士が王都を闊歩する様はシュタルク帝国との戦争を忌避していた民衆に勇気と幻想を与えていた。


 今日もまた王都の大通りを闊歩する兵士たちに民衆から大きな声援が送られる。


「「マギア王国に勝利を!!」」


「「シュタルク帝国に正義の鉄槌を!!」」


 シュタルク帝国に怯えていた民衆の姿はもうほとんど残っていない。

 西から続々と集まってくるおびただしい数の兵士の姿を目にしたことで民衆は盲目的に信じてしまっていたのだ。


 ――シュタルク帝国に勝てる、と。


 中にはみすぼらしい装備の兵士も多く混ざっていた。

 だが、民衆を圧巻させるほどの兵数がその事実から目を背けさせる。


(声援によって兵の士気を上げると共に、その勇姿を見た民の不安を取り除く……。なかなかの策士がいるようですね)


 そんな光景を遠巻きに眺めていたロザリーは護衛という名の監視の目を掻い潜り、手元のメモ書きに家紋の意匠を簡潔に記録していく。


 表向きは買い出し。

 しかしその実態は市場調査兼貴族の動向調査であった。


 止まっていた足を動かし、ロザリーは使用人仲間と共に行きつけの商店に入る。


「いらっ……しゃいませ」


 顔馴染みとなった店主の顔がロザリーの後ろに立つ騎士の姿を見て固まる。

 以前までは友好的に接してくれていた店主だったが、騎士が付くようになってからというもの、どこかよそよそしい。

 だが、それも仕方がないこと。

 騎士とは謂わば過度な権力を持った治安部隊のようなもの。後ろめたいものがなかろうが、そのような存在が店内に入ってきたともなれば居心地が悪くなるのも当然だった。


 ロザリーはどこか気まずそうにしている店主に対し、特に気にするような素振りを見せず、愛想の良い仮面を顔に貼りつけ用件を伝える。


「脂が乗ったお肉を五キロほど。それと塩が切れそうなので、塩も頂けますか?」


「上質なファング・ボアが手に入りましたので、お肉の方はそちらでよろしいでしょうか?」


「ええ、それでお願い致します」


「それと塩なのですが……申し訳ございませんが、当店では現在品切れとなっております」


 店主が申し訳なさそうに頭を下げた。

 この店は上流階級の人間などの金持ちをターゲットとしており、豊富な品揃えが特徴となっている。抱えている商品の数も他の商店と比べると圧倒的。

 ロザリーはこれまで散々この店を利用してきていたが、品切れと言われたのは初めての経験だった。


「品切れとは珍しいですね。入荷のご予定は?」


「それが……このご時世ということもありまして、入荷の見通しが全く立っておらず……」


 店主の視線が一瞬騎士に向けられる。

 その視線が意味するところは軍事需要の他にはあり得ない。


(塩は肉の保存によく用いられますし、陳列棚には赤身肉が置かれていない。これはいよいよ本格的に……)


「では本日はお肉だけを」


「畏まりました」


 以前より三割ほど高くなった肉の代金を支払い、ロザリー一行は店を後にする。

 その時、今日一の大歓声が王都のあちこちから上がった。


「「フレーデン公爵、万歳!!」」


「「シュタルク帝国に報復を!!」」


 その声が向けられた先には、最愛の一人娘を亡き者とされたフレーデン公爵家の家紋が高々と掲げられていた。


(兵の数と装備の質を見る限り、流石は公爵家。これまで目にしてきた中でも群を抜いていますね)


 この戦争に最も熱を注いでいるのがフレーデン公爵家であることは周知されている。

 その気合いの入りようは伊達ではなく、お抱えの騎士から末端の兵士まで皆が皆、一級品の装備を身に纏っていた。

 中でも最も注目を集めていたのは緋色のローブを纏った集団。

 無手の者や杖を持ったその集団は、フレーデン公爵家が持つ最強の戦力――魔法師部隊であった。


 魔法先進国であるマギア王国に於いては魔法師が最も注目と尊敬を集める。

 そんな魔法師をどれだけ抱えられるのか。

 貴族社会に於いて、お抱えの魔法師の質とその数がそのまま社会的地位や信用に繋がると言っても過言ではないほどであった。

 そしてフレーデン公爵家はその名に恥じないほどの……いや、それ以上の強大で強力な魔法師を多く抱えていたのである。


 だが、ロザリーは魔法師部隊に目をやるだけで興味がないとばかりに頭の中では全く別のことを考えていた。


(公爵ともあろう立場の家が出兵するには些か早すぎます。普通ならば比較的安全な後方で軍を構えられる地位にあるはず。なのに動いたと言うことは、娘の仇を討つために先陣を切るつもりなのか、或いは――王家ではなくフレーデン公爵家が全体の指揮を取るのでしょうか)


 そのようなことを考えながら、ぼんやりと兵士たちの姿を見ていると、ロザリーの前をフードで顔を隠した怪しげな二人の男性が通り過ぎようとしていた。

 一人は大柄、もう一人は紅介と似た背格好の男性だった。


 ここは大混雑している大通り。

 人混みの中を大柄の男性は歩き辛そうにしており、しまいには人混みに押されロザリーに軽くぶつかってしまう。


「あっ、すんません」


「……? いえ、お気になさらず」


 フードの下から僅かに見えた、やや大人びている容姿と灰色の髪に、ロザリーは首を傾げながらジッと後ろ姿を見つめる。

 その消え行く背には大剣と思しきシルエットがローブの下に浮かび上がっていた。


(今のはオルバー様? 伝え聞いていた特徴と合致していたような気がしますが……)


 特徴は一致していた。だが、会ったこともない人物に確信が持てるはずもなく、ロザリーは消えてしまった背中を追うことはせず、屋敷に戻った。




 買い物を済ませ屋敷に戻ったロザリーを玄関口で出迎えたのは、メイド服に身を包んだプリュイだった。

 腕を組みながらどこか険しい表情をしていることからプリュイが苛立っているだろうことはすぐに察しがつく。


「……ようやく帰って来おったか」


 面ど……大変な人物に絡まれたことにため息を堪えつつ、ロザリーは言葉を返す。


「どうかされましたか?」


「いやなに、少し頼みがあってな」


 堪えていたため息が漏れそうになるが、ロザリーは一流のメイドでもある。何とか無表情を貫き、その後に続く言葉を待つ。


「少し野暮用があるのだ。故に妾に外出許可をくれ」


 監視の目が強化されたこともあり、プリュイは無許可での外出を紅介たちから(主にフラムから)固く禁じられていた。そのため、外出許可をロザリーに求めてきたのである。


「申し訳ございませんが、私の一存ではなんとも……。それに加え、理由もなしに外出許可が下りるとは到底思えません」


「む? 妾の格好をしかと見よ。メイド服だぞ? 買い出しとでも言えば許可は下りよう」


 プリュイの無茶振りにロザリーは激しい頭痛を感じながらも、両腕に抱えていた買い物袋をプリュイに見せつける。


「ご覧の通り、買い物は今しがた終えたばかりですので」


 普通の人間ならば、諦める場面だろう。

 しかしそこはプリュイ。彼女の辞書には『諦め』なんて言葉は載っていなかった。


「ならば買い忘れがあったとでも言えば良かろう」


「ですが、プリュイ様お一人でとなると……」



 ――『何を仕出かすかわからない』。

 いくら強心臓の持ち主とはいえ、その言葉を口にすることはロザリーでさえも躊躇われた。


「妾一人だと怪しまれるということか? だったらロザリーも付いて来るが良い。ならば問題はなかろう?」


 盛大な勘違いをしてくれたことにロザリーは安堵しつつも、それと同時に強制連行が決まった己の不幸を嘆く。


「……承知致しました。許可を取って参ります」




 ロザリー、プリュイ、そして監視の騎士三名という異例のメンバーで王都を練り歩く。

 行く宛ては不明。ロザリーに出来ることはフラフラと目的もなく歩いているように見えるプリュイに付いていくことだけだった。


 それから歩くこと約二十分。

 先頭を歩いていたプリュイが振り向くや否や、ロザリーに話し掛けた。


「もう良いぞ、妾の用事は終わったのでな」


 そう言ったプリュイの小さな左手には、いつの間にか紙切れのようなものが握られていた。


「では、あそこの商店に一度立ち寄ってから戻りましょうか」


 買い忘れという口実のもと外出許可を得た手前、手ぶらで帰るわけにはいかない。

 ロザリーは商店でいくつかの食材を購入し、帰途についた。




 訳のわからない用事に駆り出されたロザリーだったが、その日の夜、プリュイに連れ出されたことが無意味ではなく有益なものであったと知ることになる。

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