第481話 呼応

 途端、ここまで静観を続けていたフラムの雰囲気ががらりと変わる。

 呆れと怒りの感情がない交ぜになった雰囲気を醸し出し始めたあたり、明らかに不機嫌なご様子だ。


「……馬鹿が」


 小さくそう呟いたフラムの視線の先では、痺れを切らしたのであろうプリュイが大男に突貫する光景が繰り広げられていた。


「主、それにディアよ。私はあの馬鹿を助けに行ってくる。その間に二人は七賢人小娘たちを助けてやってくれ」


 あまりにも唐突過ぎるフラムの提案に、一瞬躊躇してしまいそうになるが、逼迫した状況下で話し合っている時間はないと考え直し、俺とディアは素直に頷いた。


「わかった。カタリーナ王女たちを都市の外に逃がしたらすぐに戻ってくる。それまでプリュイのことは任せた」


「うむ、任されよう。だが、主たちの出番はないとは思うがな」


 そう言ったフラムの表情には確かな自信が窺えた。

 もしかしら俺たちが戻ってくる頃には戦いが終わっているなんてことも十分に考えられる。


「頑張ってね、フラム。こうすけ、わたしたちも行こう」


「ああ」


 こうして俺たち『紅』は二手に分かれ、救出に向かうことにしたのであった。


―――――――――


 苛立ちが限界突破したプリュイは近接戦を挑むべくランナルとの距離を詰める。


 体格差は関係ない。魔法が駄目なら力で捩じ伏せるだけ。


 その小さな身体とは裏腹にプリュイに秘められた力は有象無象の竜族が相手ならば、容易に圧倒することができただろう。


 しかし、今回は相手が悪かった。

 ランナルは『二つ名』持ち。しかも防御に、肉体強化に特化した地竜族の『二つ名』持ちともなれば、その内包された力は水竜王の娘たるプリュイをも上回る。


 瞬きを許さぬほどの速度で詰め寄ったプリュイは、勢いそのままに右の拳を振り翳す。


 狙いは胸。

 一撃で心臓を抉り抜き、死合に終止符を打たんと、プリュイはランナルの懐に潜り込み、地面を強く踏み込んだ。


 ランナルは即座に戦斧を手放し、両手を空にする。

 そして胸部を守るように腕をクロスさせるが、プリュイの拳が胸に到達する方が先だった。


(――もらったっ!)


 ランナルの腕を掻い潜って胸に吸い込まれていく自分の拳を目にしたプリュイは、引き延ばされた時間感覚の中で勝利を確信する。


 が、拳が胸を穿つ直前、プリュイは己が失策を悟る。


 ランナルの口元に浮かんだ笑みと、クロスさせようとしていた両腕がプリュイを包み込まんとばかりに後方へ回されていることに気付いて。


(しまっ――)


 時既に遅し。

 振り抜かれた全力の拳を止めることも、ランナルの腕から逃れる時間もプリュイには残されていなかった。


 拳が胸に到達する。

 だが、プリュイの拳は見えない強固な壁に遮られるように弾かれてしまう。

 全てを粉砕するはずだった拳があまりにもあっさりと弾かれたことにも動揺はあったが、差し迫るランナルの両腕から逃れる術がないことの動揺の方が上回っていた。


 とはいえ、このまま無抵抗のままでいるほどプリュイではない。

 全神経を研ぎ澄まし、刹那の中で魔法を発動させた。

 プリュイを基点に、全てを凍てつかせる極寒の冷気が放たれる。その冷気に触れれば最後、触れたもの全てを一瞬で凍結させ、氷像と化す極めて致死性の高い魔法である。


 しかし、プリュイの抵抗はランナルの『不撓不屈イモータル』と地竜族の特性に呆気なく防がれ虚しく終わる。


「――捕らえた。判断を誤ったな、水竜王の娘よ」


 抱きしめる……などという甘いものではない。

 半ば金属になっている鋼の巨腕に捕らえられたプリュイの身体はミシミシと音を立てて悲鳴を上げる。


「くっ、くそ、が……」


 蒼眼は死んではいなかった。

 プリュイは激しい痛みを耐えながら、きつくランナルを睨み付ける。


「この状況に置かれても気丈に振る舞うとは流石と言わざるを得んな。だが、終わりだ」


 ランナルはそう言い、更に締め付けの力を強めていく。

 胸が押し潰され、呼吸すらままならない。発動していた魔法も途切れ、プリュイに残された道はただ死を待つだけとなる。


 薄れゆく意識。

 その中でプリュイは最後まである者への怨嗟を唱え続けていた。


「あん、の……クソ、ババア……」


 プリュイの呟きを拾ったランナルは、その言葉に僅かな引っ掛かりを覚える。


「……何を言っている? 意識が混濁しているのか?」


 意味不明なプリュイの言葉に強烈な違和感と微かな悪寒を抱いたランナルは、無意識のうちにその腕の力を緩めた。


 その間隙に――プリュイは叫んだ。


「観ているのだろう!? 妾を助けよ!!」


 耳をつんざくプリュイの叫び。

 その叫びにランナルは眉をひそめ、そして気付く。


 大炎を想像させる焼き焦げた匂いを。


(この匂いは――)


 風に頼らずとも感じ取れるほどの近距離から突如として漂ってこの匂いを竜族であるランナルが嗅ぎ間違えるはずがなかった。


 匂いの正体は……フラムは暗がりからその姿を見せる。

 雪を踏みしめ、ゆっくりと、そして堂々としながら歩くフラム。その第一声はランナルを完全に無視をした形で、プリュイに向けられたものであった。


「抱き合っているようだが、その髭面の男がお前の好みなのか?」


 その言葉にプリュイは顔を赤面させ、足をばたつかせながら激しく抗議する。


「なわけあるかーっ! いいから早く妾を助けよ!」


 呆然としているランナルを差し置いて、フラムとプリュイが会話を続ける。


「……相変わらず生意気だな。地べたに頭を擦り付けて懇願するのが筋なんじゃないか?」


「うっさいわ、ボケっ! そもそもこの状態で頭を下げられるわけないだろうが! ばーか! ばーか!」


「はぁ……。助ける気が起きなくなってきたぞ……」


 プリュイのあまりの図々しさに頭痛を覚えたフラムは、頭を押さえながら大きなため息を吐く。


 余裕を取り戻しランナルの腕の中でじたばたと暴れ蠢くプリュイと、それに呆れ果てるフラム。

 そんな混沌とした状況下で唯一、沈黙を貫き続けて思考を巡らせていたのがランナルだった。

 ただし、その心は焦りや動揺、そして恐怖によって支配されていたのは言うまでもない。


(な、何故だ!? 何故あの御方がこの地に……!?)


 金属化した身体であるにもかかわらず、背中からは冷たい汗が止まらない。

 膝が震え、呼吸は激しく乱れていく。


 そんなランナルの酷く動揺した様子に気が付いたフラムはつまらなそうに鼻で笑う。


「ふっ……つまらんな。プリュイと戦っていた時の威勢の良い姿はどこにいったのだ?」


「……何故だ」


 ポツリとランナルが呟く。


「何故? 何のことだ?」


 首を傾げるフラムにランナルは言葉を続ける。


「何故、炎竜族の王たる貴女様がこのような場所におられるのだ!?」


 語気を強め、ランナルは叫んだ。

 それは恐怖から、絶望から来た慟哭だった。


「……声がデカい奴だな。私がどこに居ようと私の勝手だろう。貴様に指図される謂れはない。違うか?」


「……」


 属性は違えど相手は火を司る竜族の王。水竜王の娘であるだけのプリュイとは格が違う。ランナルが地竜族だといっても、他属性の竜王に頭が上がらないのは極めて自然なことであった。


 それに何より炎竜族の王は他の竜王とは一線を画する。

 世襲制ではなく完全なる実力主義で決められた全竜族最強の王。そう認知されているのが炎竜族の王――つまりはフラムのことである。


「……だんまりか。ひとまず、その汚い手を離してもらおうか。一応プリュイは私の知り合いなんでな、目の前で殺されたら寝覚めが悪い」


「なっ!? 知り合いだと? 貴様は妾の宿敵ライバルだ! そこを履き違えてもらっては――」


「――黙れ」


「ふぁい……」


 フラムの一瞥でプリュイは一瞬でしおらしくなる。

 次にその厳しい視線は未だにプリュイを解放しようとしないランナルに向けられた。


「で、解放するつもりはないのか?」


 フラムの脅迫に屈したわけではなかったが、ランナルはプリュイを解放した。


 解放した理由は単純だった。

 炎竜王であるフラムとの戦いは避けられそうになく、プリュイを抱えたままでは戦いの邪魔になるからという理由で解放したに過ぎない。


(……相手は炎竜族の王。馬鹿正直に戦ったところで勝機はほぼ皆無。ならばここは逃げるしかあるまい)


 ランナルは『不撓不屈』という絶対的な防御能力を持ってはいたが、己の力を過信してはいなかった。


 戦斧を地面から拾い上げ、戦う姿勢ポーズを見せる。

 『不撓不屈』の特性上、逃亡する際には全く使えないスキルになるため、逃げ出す機会は慎重に見極めなければならない。

 故にランナルは、フラムと数手交えた後になんとか隙を生み出し、逃亡しようと画策していたのであった。


 しかし、現実はそう甘くはない。

 フラムの実力がランナルの想定を遥かに上回っていたことをこの後すぐに知ることになる。


「地の者よ、一つ訊かせろ。何故貴様は人間の世界に紛れ込んでいた? お前の意思でここにいるのか? それとも……」


 フラムの問い掛けをランナルは遮り、そして仕掛けた。


「いくら王とはいえ、貴女様にお教えする義理は――ない!」


 戦斧を大きく振りかぶり、ランナルはフラムを目掛けて突貫した。


 彼我の距離は十メートルにも満たない。

 だが、その距離はランナルにではなく、フラムによって瞬く間に縮められた。


 一歩、二歩とランナルが踏み込んだ瞬間、突如として背中に大きな衝撃と痛みが走る。


「――ガッ!」


 衝撃によってランナルは地面と水平に吹き飛ぶ。

 そして次の瞬間にはランナルの額は追尾してきたフラムの手によって地面に押さえつけられていた。


「――『不撓不屈』。貴様の自慢のスキルなのだろうが、背後さえ取ってしまえば無力。さあ、この状態の貴様に何ができる? 見せてみろ」


 フラムの挑発によって、ようやくランナルは吹っ切れる。

 相手が誰であろうが関係ない。邪魔する者は全て殺す、と。


「――舐めるな!」


 ランナルの叫びと共に虚空に無数の杭が現れる。

 金属製の鋭く尖った杭の先端が全てフラムに向けられ、そして自身諸とも貫かんとばかりに超高速で押し寄せた。


 しかし、無数の杭はフラムに触れる直前に、蒸発。

 フラムの注意を引き付けることもなく、あまりにもあっさりと消え去っていった。


「なっ……! あり、えん……」


 見なくてもその結果がわかってしまったランナルには呆然とすることしかできなかった。


「そんな粗末な攻撃が通用すると思っていたのなら片腹痛いぞ。で、貴様は誰の指示でここにいる? 命が惜しければさっさと吐くがいい」


 それは最後通牒だった。

 ランナルに情報か命か、そのどちらかを差し出せと迫る最後通牒であった。


 迫られた選択。

 窮地に追い込まれたランナルが選択したのは――命であった。


「最初に伝えたはずだ。教えることは何もない、とな。くくっ……あーはっはっはっ!!」


「そうか。ならば死ね」


 ランナルは燃え尽き灰になるまでフラムを嘲笑うかのように笑い続けたのであった。

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