第480話 『不撓不屈』

 戦斧を振り下ろすランナルに対し、プリュイはその場から動かず手を翳す。


 翳した手から現れたのは、青白く半透明な氷の盾。

 菱形をした分厚い氷の盾で、プリュイはランナルの鍛え抜かれた巨腕から振り下ろされた戦斧を受け止めようとしていた。

 が、しかし、戦斧と氷の盾が衝突しようとした瞬間、プリュイは小柄なその身を翻し、氷の盾だけをその場に残し横へ跳んだ。


 直感で回避を選んだプリュイの視線の先では、氷の盾があっさりと砕け散り、そのままの勢いで石畳を叩き割るランナルの姿があった。


「……躱したか。いい判断だ」


 相手を褒め称える余裕を見せるランナルに、プリュイは声こそ上げなかったが、着実に苛立ちを募らせていく。


 生半可な防御では防ぎ切れないその破壊力は、戦斧の力とランナルの力を併せて初めて本領を発揮する。

 いくらプリュイの魔法が優れていようが、所詮は氷に過ぎない。『二つ名』を持つほどの強者であるランナルの攻撃を受け止められるはずもなかったのである。


 戦斧を使うランナルに対して、プリュイは依然として素手のまま。懐に入れれば話は変わるかもしれないが、このまま近距離で戦い続けるのは些か危険だと判断したプリュイは方針を変更する。


 武器を持つ相手に素手だけで戦うのはプリュイといえども流石に分が悪い。

 プリュイは軽く舌打ちをし、ランナルから少し距離を取ると、魔法を攻撃的に使用した。


 伝説級レジェンドスキル『古竜魔法ドラゴン・フェイブル《水氷》』。


 上位に位置する水系統魔法の一つである『古竜魔法水氷』はその名の通り、竜族特有の魔法だ。

 言わずもがな、その威力・魔力効率は人間が扱える水系統魔法とは比較にもならない。


 ちなみに、つい先程守りに使った氷の盾もこの『古竜魔法水氷』を使用したものであった。

 プリュイは防御では通用しなかった魔法を攻撃に転用する。


「……街を壊さない程度の力で貴様をいたぶるには、これくらいがちょうど良いか」


 ランナルの聴覚をもってしても聞き取れないほどの小さな呟きを零しながら、プリュイは口元を吊り上げる。


 そうして現れたのは、プリュイの周囲を緩慢な動きで回る、直径ニ十センチにも満たない小さな水球の数々。

 一見すると、シャボン玉のようにふわふわと動き回るただの水球がランナルに脅威を与えることなど到底不可能なように思える。


 子供を楽しませるための大道芸やマジックの類いにしか見えない小さな水球。

 だが、それは見掛けだけ。その魔法の真髄はここからだった。


「――行け」


 プリュイの命令に従い、それまで緩慢な動きしか見せていなかった水球が高速で空高く舞い上がる。


 吹雪による視界不良により、水球の姿は夜の空に一瞬で消えていった。

 そして――空高く舞い上がった水球は上空で一つの塊となり、ランナルに牙を剥く。


 空から風を切り裂き、急速落下してきたのは超圧縮されて放たれた極細の水柱だった。


 極細の水のレーザーとも呼ぶべきそれはランナルの左肩を掠め、鮮血を散らす。


「……チッ、目測を誤ったか。なら次だ」


 悔しそうな台詞を吐いておきながら、プリュイは嗤っていた。ランナルに勝るとも劣らない邪悪な笑みを。


 実のところ、一発目は牽制の意味合いと多少の手加減がされていたのだ。

 だが二度、三度と絶え間無く連続して放たれる水のレーザーには容赦がまるでなかった。


 ランナルの視線は上空に釘付けとなり、風切り音と勘を頼りに躱していく。

 外れた水のレーザーは猛烈な勢いそのままに、けたたましい轟音と共に石畳を破砕し、地上に小さなクレーターを次々と生み出す。


 そして、ついにその時が訪れる。

 竜族であるランナルの身体能力をもってしても、躱し切ることはできなかった。

 なんとか二発は避けたが、そこまで。

 一発目の牽制を含め、四発目の攻撃がランナルに直撃したのだ。


 ドゴンッという鈍い衝撃音と土煙が上がる。

 ランナルの姿が土煙に飲み込まれても、プリュイはその手を止めることはない。

 最終的に二十発近くの水のレーザーが降り注いだところで、プリュイはようやく攻撃の手を休めたのであった。


「わーっはっはっはっ!」


 満面の笑みを浮かべたプリュイは腕を組みながら歓喜の雄叫び?を上げる。


 手応えは十分。

 万が一、止めを刺し切れていなかったとしても身体ぼろぼろ。死に体であることは間違いない。


 勝利を確信したプリュイは一頻り笑い声を上げた後、ゆっくりと振り返り、背後にいる仲間たちのもとへその足を一歩進める。


 だが――まだ終わってはいなかった。


「……つまらぬな。これで終いか?」


 その声にプリュイは足を止める。


「全く……しぶとい奴め。今一度馳走してやろうか?」


 声に反応して振り返ったプリュイの視線の先には、外套を含め、ありとあらゆる装備をぼろぼろにしたランナルの酷い姿があった。唯一まともに原型を留めていたのは、ランナルが召喚した戦斧のみ。

 格好だけ見れば、既にランナルは満身創痍。これ以上の戦闘行為は不可能に見えた。

 しかし、何故かプリュイはそんなランナルの姿を見て、嫌そうに眉を顰めた。


「面倒な。妾の攻撃を全て防いだとでもいうのか」


 ランナルは装備こそぼろぼろにしたものの、その身体には最初の一発で負わせられた肩の傷しか残っていなかったのである。


「言ったであろう。我が名は『不屈』のランナルだと。我が肉体は如何なる攻撃にも屈さぬ」


 そう言い放った、ボロ布から覗き見えるランナルの素肌は元の肌色からやや黒みがかった光沢のある鋼色に変色していた。


「スキル……いや、特性か?」


「如何にも」


 地竜族が持つ特性は『防御・耐性の強化』。

 そう……ランナルはスキルを使わずに地竜族が生まれながらに持つ特性だけでプリュイの攻撃を耐えきって見せたのである。


 『不屈』の名は伊達ではない。

 それにまだランナルは『不屈』と呼ばれているその力の一端すらプリュイには見せていなかった――。


「我が真髄を見せてやろう」




 それから形勢は一気にランナルへと傾いた。


 プリュイからしてみれば児戯にも等しい程度の低い土系統魔法と、鍛え抜かれた身体から繰り出される戦斧乱舞を前に、プリュイはとある理由から防戦一方を余儀なくされていたからだ。


 その理由とは、プリュイの攻撃の全てがランナルに全く通用しなくなったことにある。


 今となってはボロ布となった衣服にすら、攻撃が通らなくなっていた。


(ぐぬぬ……何故だ、何故!)


 プリュイの蒼眼は捉えていた。

 ありとあらゆる攻撃がランナルに直撃する寸前に弾かれるところを。

 だが、それが視えていてもプリュイには解決する手立てが見つからない。

 数で駄目なら質で、質で駄目なら数で。

 それを幾度と繰り返してもなお、解決の糸口が見えてこない。


 対してランナルは、ただひたすらに前進する。

 絶対的な防御力を全面に押し出すことで、プリュイにある選択を迫るために。

 そして己がスキルの弱点に気付かれないために。


 ――伝説級スキル『不撓不屈イモータル』。


 これがランナルの『二つ名』の由来となったスキルであり、切り札であった。


 その能力は謂わば――絶対防御。

 如何なる攻撃も退けることができる絶対的防御能力である。


 しかしながら、無敵というわけではない。

 この強力無比のスキルには制限と条件が課せられている。


 まずは制限だが、このスキルの効果範囲は身体の前部のみに限られているのだ。

 故に、背後にはこのスキルの効果は適用されておらず、頼れるのは己が肉体強度のみとなっている。

 とはいえランナルに限っていえば、この制限は無いに等しい。

 地竜族の特性である『防御・耐性の強化』を極限まで引き出すことにより、『不撓不屈』の効果範囲外の攻撃もランナルにはほとんど通じることはなく、耐え切ることが可能となっているからだ。


 そして次は条件について。これは至ってシンプルな条件だった。

 『後退しない』――ただそれだけである。


 その名の通り、不撓不屈……つまりは不退転を貫くことでスキルは効果を現す。


 これらの制限と条件をクリアすることでランナルは絶対的な防御力を手に入れているのだ。


 二人は既に『七賢人セブン・ウィザーズ』や兵士たちがいる場所からだいぶ離れ、路面に無数の戦跡を残しながら小都市クヴァルテールの中央付近にある広場まで戦場を移していた。


(全力さえ……全力さえ出せれば……。ええいっ、くそっ! 本当に苛々させてくれるっ!)


 ここに来てプリュイは街で戦いを始めてしまったことを後悔していた。

 全力を出せば現状を打破することができるかもしれない……いや、打破する確かな自信を彼女は持っていた。

 口では人間を殺そうが関係ない、と言っていたプリュイだが、その本心は別にあったのだ。

 敵対する兵士だけならいざ知らず、無関係な人間は巻き込めないという良識をプリュイは持ち合わせていたのである。


 事実、もしこの場に二人しかいなければ、プリュイは容易にランナルを倒せるだけの実力を持っていた。

 にもかかわらず、これだけの苦戦を強いられているのはプリュイが持つ良識が邪魔をしているからに他ならない。


 そしてついに、プリュイの苛立ちは限界に達する。


「魔法が駄目なら――!」


 プリュイは数ある選択肢の中から最悪なものを選んでしまう。


「……掛かったか」


 魔法戦から近接格闘戦に移るために近付いてきたプリュイの姿を確認したランナルは、暗い笑みを零さずにはいられなかった。

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