第473話 冬空の影に

 時刻は午前二時をもうすぐ迎えようとしていた。


 予定よりも一時間も早く小都市クヴァルテールに到着した俺とディアは、想像していたよりもやけに静まり返った薄暗い街中を歩き回り、この都市一番と思われる宿屋を訪ね、一室を借りて寛いでいるところであった。


 高級な宿なだけあって室内は広く、造りもしっかりとしている。

 部屋の扉は鉄製。無骨ながらも分厚い鉄の扉には鍵が二重に施されており、セキュリティ面もバッチリ。

 しかもトイレや風呂も完備されているため、あとは食料さえあれば何日でも生活できるほど充実した部屋となっている。


 ただし、食事なしで一泊金貨二枚(約二十万円)。

 大都市の最高級宿並の価格となっており、正直言ってぼったくり感が否めない価格設定だった。


 思わぬ出費になってしまったが、ここは仕方がないと割り切る他ない。

 実のところ、フラムを呼び出すだけであれば上級アドバンススキル『召喚魔法』を使用すれば済む話なのだが、拠点があった方が何かと便利だと考え、こうして宿を借りることにしたのである。


 ひとまず風呂場にゲートを設置することにする。

 もし俺たちが部屋を留守にしている間に宿屋の従業員が訪ねてきたとしても、風呂場までは覗いて来ないだろうと考えてのことだ。風呂場の照明を点けておけば、なおのこと安心だろう。


 パパっとゲートを設置し終えた俺は、ディアに一言残してからゲートを潜り、王都ヴィンテルにある屋敷の自室へと転移。そして俺の部屋で待機していたフラムを連れて宿へと再び転移をした。


「ほう、なかなか良い部屋ではないか」


 部屋をぐるりと見渡したフラムが満足そうに頷くと、そのままソファーへとダイブしていた。


「そこそこ高くついたけどね。そうそう、プリュイはどうしてた?」


「あいつなら大慌てしながら、つい今しがた屋敷を抜け出していったぞ。大方、遅刻しそうにでもなったのだろう」


「そう言えば、二時に集合するって言ってたもんね」


 苦笑いをしながらそう付け加えたディアの視線の先では、大型の時計が二時を過ぎたことを針で示していた。


「プリュイが遅刻したせいで予定が狂った、なんてことにならなきゃいいけど……」


 手紙には詳細こそ書かれていなかったが、作戦決行の時刻はおそらく手紙に書かれていた通り、午前三時を予定しているはず。プリュイのせいで時間がずれ込むなんてことになれば、俺たちとしては向こうの動きに合わせることが難しくなってしまう。


 大事な場面で遅刻したであろうプリュイに呆れながらも、俺は俺たち『紅』がこの後にすべきことについて話していく。


「作戦内容も標的も訊かされてない俺たちができることと言うと……見回りくらいかな?」


 圧倒的に情報が不足している。

 イクセルが俺たちに求めていることは『裏切り者の特定、または裏切り者の有無』にあることは理解しているが、『七賢人セブン・ウィザーズ』の動向が全くわからない以上、打てる手が全くと言っていいほど思い付かないのが現状だ。

 そもそものところ、容疑者最筆頭のマルティナが今作戦に参加しているのかもわからないため、今の俺たちにできることはこの街――小都市クヴァルテールを巡回することくらいだ。


「うん、そうだね。そう言えば、この街に来てから思ってたことがあるんだけど、なんだか妙に静か過ぎる気がする。小都市っていうくらいだから、もっと賑わってても良さそうなものだけど……」


「ん? そうなのか? 主よ」


「ああ、言われてみれば確かにそうかもしれない」


 小都市クヴァルテールに到着した時に抱いた第一印象は『静寂』だった。

 時間が時間ということもあり、到着した当初は特に何も思うところは無かったのだが、ディアに今言われてみて改めて思い直す。

 辺境の田舎町ならいざ知らず、ここは小規模ながらも都市なのだ。露店はもちろんのこと、夜に客を集める酒場すら開いている様子がなかったのは些か不自然だと言えるだろう。


 しかしながら、この宿屋を含めた周囲一帯には人の気配が確かにあった。

 つまるところ、何者かの手によって人払いされているわけではなさそうだ。外を出歩く人がほとんどいなかったのは偶然……もしくは夜間に活動する者が少ない都市である可能性も否定はできないだろう。


「うーん……部屋の中であれこれと考えても無駄か。とりあえず外に出てみようか」


 部屋は三階にある。

 窓から飛び降りることもできるが、その様子を誰に見られるかわからないため、宿屋の屋上へと俺たちは転移したのであった。




 屋上に積もった雪を踏み締めながら高所から都市を見下ろす。

 一定の間隔でポツリポツリと都市には街灯が設置されているものの、全ての光を吸い込むような真っ暗な夜空と、空から降り頻る雪が俺の視界を遮る。


「時間も時間だし、天気も最悪の一歩手前ともなれば、人通りが少ないのも仕方ないかもしれないね」


 呼吸をする度に白い吐息が口から漏れ出る。

 スキルの力によって寒さを感じることはないが、白い吐息を見るまでもなく氷点下に達しているだろうことは明らかだった。


 やはり、この悪天候の中では人がいないのも当然……そう思っていた矢先のことだった。


「ん……? あれは……」


 俺の視界に飛び込んで来たのは街灯とは違う灯り。

 ゆらゆらと風に揺れる赤い灯りが列をなし移動する姿を俺の瞳が捉える。


 俺の声でディアとフラムもその不自然な灯りに気が付いたのか、目を細めながらじっくりと観察をし始める。


「兵士……かな?」


 疑問系になってしまうのも無理はない。

 松明らしきものを持って移動する彼らの装備は防寒具に包まれているせいで、俺たちのいる場所からはよく見えなかったからだ。

 しかし、統一された防寒具を着ているところから察するに、ただの民間人や冒険者の類いではないに違いない。

 ディアが言ったとおり、兵士だと見るのが妥当だろう。


「どうやら都市の西に向かっているようだな。主よ、ついて行ってみるか?」


 その数は、ざっと数えただけでも百を超えている。

 こんな夜更けに、それもこの悪天候の中を百をも超える兵士が何の目的も無しに移動するとはとてもじゃないが思えない。


「そうだね。後をつけるのは危険だし、ここは先回りをしようか」


 俺たちは常闇にその身を隠し、兵士の列が目指す都市の西へ向かったのであった。




 小都市クヴァルテールを囲う高い石壁をくり貫いたかのように設けられた西門には当然のように門番が立っている。そのため、先回りに成功した俺たちは西門付近の高所に陣取り、兵士の列を待つことにした。


 あと十分もしないうちに兵士の列が西門に到着する、というにもかかわらずフラムの視線は地上ではなく、その真逆……大粒の雪が舞い落ちてくる冬の夜空へと向けられていた。


「フラム、どうしたの?」


 心ここに有らずと言うべきか、眼下に近付きつつある兵士たちにまるで興味を持たないフラムに疑問を持ったのか、ディアが声を掛ける。


 フラムはディアの声に応じる。だが、その視線は空に固定されたままだった。


「なに、こっちのことは気にするな。ディアはディアの務めを、主は主の務めを果たしてくれ。私は私の務めを果たす。無論、サボっているわけではないから心配しなくていいぞ」


「「……?」」


 俺とディアは目を合わせて首を傾げたものの、この場はフラムを信じて、それ以上追及することはなかった。


 次いでとばかりにフラムを真似るように空を見上げてみる。

 当たり前だが、空は星明かり一つ覗かせない分厚い雲に覆われており、目を開け続けるのも一苦労するほどの大雪が絶え間なく降り注いでくる。


 雪を避けるために手をかざして夜空を見上げるが、それでも特にこれといったものは何も見つからないし、見えない。


 遠くから雪を踏み締める足音が徐々に聴こえてきたこともあり、俺は視線を空から地上に戻そうとした――その時だった。


「――見つけたぞ」


 フラムの金色の瞳が冬の空に隠れていた『』を見つけたのであった。

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