第471話 憤怒の炎

 その後はイクセルと俺たち『紅』だけでトントン拍子で話が進み、まだ詳細な日程は決まっていないものの、次回の『義賊』活動に俺たち『紅』が影から参加することに決まった。


 俺たちの主な役割は監視。

 イクセルとカタリーナ王女を全面的に信用することを前提とし、活動中の他の『七賢人セブン・ウィザーズ』の動向を密かに探るというものだ。

 メインターゲットは当然、マルティナだ。他のメンバーに関しては念のためといった感じの保険のようなものに過ぎない。


 ちなみにだが、この場では告げなかったものの、俺はプリュイにも協力をしてもらうつもりでいた。

 気付かれないよう影ながらに全ての動向を探るのは流石に無理がある。そのため、外部からだけではなく内部からも探りをいれるためにもプリュイの協力が必要だと考えたのだ。


 では、何故プリュイなのか……という話なのだが、それは極めて単純な理由だ。『七賢人』の誰よりもプリュイが裏切り者である可能性が低いと思ってのことに過ぎない。

 プリュイの実力やその背景を考えれば、裏切り者である可能性や精神汚染を受けていることはないと言い切ってもいいだろう。それに加え、もしプリュイが精神汚染を受けていたとしても、プリュイと旧知の仲?であるフラムがその変化に気付かないはずがない。そういった要素を総合すると、プリュイは極めて信用が置ける人物だと言えるだろう。


 ただし、問題がないとは言いきれないのが残念なところだ。

 明らかにプリュイの性格は工作や隠密行動の類いに向いていない。なんだかんだしっかりしているフラムとは違い、プリュイのそれ(言動や性格)は完全に天然ものだ。

 慎重に慎重を重ねなければならない場面で、果たしてプリュイはしっかりと己の役割を全うしてくれるのか。それが不安で仕方がないのだが、そこは信じるしかないだろう。


 結局、その日は今後の予定だけを話し合ってお開きとなった。

 終始茫然自失していたカタリーナ王女の様子は少々気掛かりではあったが、カタリーナ王女のフォローはイクセルに任せることにし、俺たちは一足先に家路についたのであった。


―――――――――――


 紅介たちがイクセルの家を後にし、部屋に残ったのはイクセルとカタリーナの二人だけとなる。

 当然ながら甘ったるい空気が二人の間に流れることはない。ただただ重苦しい空気だけが部屋の中を満たしていた。


「どうしたんだ、リーナ」


 重苦しい空気に耐えかね、イクセルがカタリーナの様子を窺う。


「……別に」


 瞳には覇気が感じられず、相変わらずまるで死人のように青ざめた表情をしているカタリーナからの反応は薄い。いつものカタリーナはそこにはいなかった。


「別に、って様子じゃないだろう……。俺としてはかなり有意義な時間を過ごせたと思っているんだが、リーナは違ったのか? 確かに差し出した情報はかなりのものだ。弱味を握られてしまったと考えても仕方がないかもしれない。だが、俺たちを取り巻く事態は深刻だ。彼らの力を借りずして解決できないほどにだ。それでもリーナは後悔しているのか?」


 他国の人間に差し出すにはあまりにも危うい情報であったことは確かだ。

 シュタルク帝国を牽制し合うという意味では、ラバール王国とマギア王国は非公式ながらも同盟関係にあると言っても過言ではない。

 しかし、だ。正式な同盟関係にないにもかかわらず自国の情報を差し出してしまうのはあまりにも大きなリスクだった。

 マギア王国とシュタルク帝国の戦争が実現してしまった際に、両国の間隙を縫う形でラバール王国がマギア王国に攻め入る可能性だって否定できない。

 例えラバール王国の国王とマギア王国の王妃が姉弟の関係にあっても、それが抑止力になるとは限らないのだ。ラバール王国の国王が情に絆されやすい人物であっても、その周りまでもがそうであるとも限らない。


 つまりは未知。

 どう転ぶかはわからないが、弱味を握られてしまった事実は変えようがない。


 イクセルは王女としてのカタリーナが、今回の話し合いについて不満を抱いているのだと考え、そう問い掛けたのだった。

 しかし、そうではなかったことを知ることになる。


 低く暗い声音でポツポツとカタリーナ王女が語り始める。


「……そうじゃないんスよ。私は皆の見解を訊かされるまで気づけなかった、その考えに至らなかった。お父様が、仲間が、何らかの方法で精神に影響を及ぼされているかもしれないなんて可能性を全く追ってなかった……いや、追えなかったのかもしれないッスね……」


「……何が言いたい?」


 いまいち要領を得ないカタリーナの発言に、イクセルは眉を寄せる。それに対し、カタリーナ王女は草臥れた笑みを浮かべた。内に秘めた恐怖をひた隠すために。


「思ったんスよ。もしかしたら私も――精神が汚染されているんじゃないかって」


「……」


 イクセルは何も言い返すことができなかった。


 今思えば、カタリーナがその考えに至らなかったことがあまりにも不自然だった。『七賢人』の頭脳・参謀役としてイクセルはその任を預かっているが、学院の首席であるカタリーナもイクセルに勝るとも劣らない頭脳の持ち主なのだ。

 にもかかわらず、イクセルでさえ少し考えただけで簡単に思い至った回答にカタリーナが全く辿り着けていなかったことが不自然でならない。まるでその考えに至らないように思考誘導されているのではないかと思えてくるほどに。


 考えれば考えるほどカタリーナの言葉に現実味が帯びてくる。

 いくら考えても否定できるような材料はほぼ無かった。

 唯一否定できる材料があるとすれば、それは……。


「確か、リーナが持つ『鏡面世界ミラージュ』には幻術系統スキルに対する耐性を持っていたはずだ。近しい系統の精神系統スキルにも耐性があるんじゃないか……?」


 事実、イクセルの考えは正しい。

 細分化すると幻術系統スキルと精神系統スキルは分別されるのだが、幻術系統スキルは対象の精神に影響を及ぼし幻術を見せるという性質上、大元は同じ系統であるのだ。


 しかし、完全に自信を喪失していたカタリーナはイクセルの発言の一部を否定した。


「かもしれないッスけど、確実ではないッス。実際私は真っ先に疑うべきだったはずの精神汚染という結論に至れなかった。まあ、ただ単に私が馬鹿なだっただけならそれで良いんスけどね……。けど、どうしてもそうとは思えない。それに、もし本当にお父様の精神が汚染されていたとした場合、その術者は自我を失わさせずにお父様を操るなんて信じられないような芸当ができるんスよ? 相手のスキルが私の『鏡面世界』を上回っていたとしても、何ら不思議じゃないッスよ」


「……そう、だな」


 イクセルも同様の懸念を抱いていたのだ。

 そんなこともあり、カタリーナの不安を払拭させてあげられるような言葉を掛けてはあげられなかった。


 二人の間に流れていた重苦しい空気が更に重みを増していく。

 ここまで来ると、もはや痛みを感じてくるほどだった。


 歯を食いしばることしかできなくなっていたイクセルに、カタリーナは苦味を帯びた優しい笑みを向ける。


「気にしすぎてばかりいても仕方ないッスよね。――はいっ! 湿っぽい話はもうおしまいッスよ!」


 パンッと、強く両の手のひらを打ち付けると、カタリーナは荷物を纏め、イクセルの部屋の扉の前に移動する。

 そしてドアノブに手をかけたカタリーナは、最後に後ろを振り返り、イクセルに向けて微笑んだ。


「次の作戦も期待してるッスよ、私たちの頼れる参謀さん。じゃっ!」


「あ、ああ……。気をつけて帰れよ」


 ふいをつかれたイクセルはたじろぎながらも別れの挨拶を返す。

 ひらりと一度手を振り返したカタリーナは扉を開け、イクセルの部屋から外に一歩踏み出す。そしてカタリーナは、誰にも聞こえないほどの小さな声でこう呟き部屋を後にした。


「……次で絶対にケリをつけてみせる」


 儚く美しい白銀の瞳は怒りの炎で燃え盛っていた。

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