第470話 微かな光明
「さっきカタリーナ王女……殿下のお父さんが『変わってしまった』って言ってたけど、どんな風に変わっちゃったのか訊いてもいい?」
ディアは最初の方にカタリーナ王女が口にしていた『変わってしまったお父様』というワードにどうやら引っ掛かりを覚えていたらしい。
他所の家庭の事情に、それも王家の事情に口を挟むことはなかなか憚れることだ。それでも尚、情報を欲したということはディアなりに何か思うところがあったのだろう。
カタリーナ王女の呼称にやや戸惑いを見せていたディアの口振りに、カタリーナ王女は『何を今さら』と言わんばかりに苦笑していた。
「あはは……敬称なんて要らないッスよ。カタリーナでもリーナでも好きに呼んでほしいッス」
「じゃあリーナって呼ばせてもらうね。それでどうなの?」
「話すと少し長くなるッスけど――」
そう言いながらもカタリーナ王女は父であるアウグスト国王との過去を語ってくれたのであった。
優しかった父の変貌。
受け入れがたい現実に、当時のカタリーナ王女は……いや、今もカタリーナ王女は苦しめられているに違いない。
親娘の絆が修復不可能なほどに砕け散ってしまっていることは、彼女が『義賊』として国家を敵に回しているところから察するに、もはやこれ以上訊くまでもないだろう。
「――と、まぁこんな感じッスかね。実は、私が調子を崩して倒れたのも、マルティナがあの時のお父様を彷彿させたから……なんていう恥ずかしい理由なんスよ」
端的に要所だけを掻い摘まんで全てを語り終えたカタリーナ王女は飄々とした態度を保ち続けていた。だが、無理をしていることは誰の目から見ても明らか。
唇は乾ききっており、顔の血色も芳しくない。
それでも俺たちに弱い部分を見せないよう努力している様は彼女の強さなのだろう。下手な同情をされないための予防線とも言えるかもしれないが。
ひとしきり話を訊き終え僅かな沈黙の後、ディアが眉を顰めて疑問を呈する。
それは俺の頭に過った疑問と全くと言っていいほど似かよった疑問であった。
「催眠、思考誘導、精神汚染……例を挙げるとキリがないけど、その可能性は追わなかったの?」
「えっ……?」
ディアの指摘に何故かカタリーナ王女はまるで想定外の問い掛けだったとばかりに驚嘆の声を漏らす。
茫然自失状態になってしまっているカタリーナ王女を置き去りにして、ディアは更なる追い討ちをかける。
「裏切り者の件だってそう。何らかのスキルで精神に干渉することで操られている可能性だって否定できない。もしかしたらリーナやイクセルだって気付かないうちに操られているなんてこともあるかもしれない。わたしだったら……ううん、普通ならまずはそういった考えに辿り着くんじゃないかな」
至極真っ当な意見だ。
今思えば、むしろそこに至らない方がおかしいと思えるほどである。
仲間の中から裏切り者が出たという発想よりも先に出て然るべきだ。しかし、その意見を真っ向からイクセルが否定した。
「正直に言えば俺もその可能性を追ったこともある。だが、催眠や精神汚染などの精神に影響を与えるスキルは、影響を受けた者の自我を稀薄にしたり、正常な思考能力を妨げてしまうことで、ろくに言葉を交わすこともできなくなるはずだ。それらを考慮すると、アウグスト国王陛下や今は正体がわからない裏切り者が精神汚染されているとは考えにくい。無論、軽い思考誘導程度であれば話は別だが、思考を反転させるほどの強大な力ともなれば、今言った条件に当てはまらないはずがないし、そもそも人格を塗り替えるほどの強力なスキルが存在するとは俺にはどうしても思えない」
一瞬、イクセルの言葉には説得力があると思ってしまう俺がいた。
現に、俺は過去に吸血鬼によって精神を支配された人々をこの目で見たことがあるからだ。
空虚な瞳に、思考力の低下、言葉を交わすことすらままない捕らわれた多くの人々。
最終的には吸血鬼を倒したことで捕らわれた人々は自我を取り戻すことに成功したわけなのだが、とにもかくにもあの時は苦労させられた苦い記憶が残っている。
確か、あの時の吸血鬼が使っていた力は
あのスキルも精神に影響を与えるスキルの一種に違いないだろう。イクセルが言う条件にもピッタリと当てはまる。
しかし、だ。イクセルの言葉には説得力こそあったが、確定した情報ではないことを忘れてはならない。
イクセルの知識にそのような強力なスキルが存在しないというだけの話でしかないのだ。
何にだって例外は付き物。
書物や学院で習ったことだけが全てではない。専門家でも確認できていないスキルなんて山のようにあるだろう。
俺が持つ『
もしかしたら俺自身が常識を超えたスキルを持っているが故に、あっさりとこの結論に辿り着けただけなのかもしれない。そしてそれは元々は神であったディアと竜の王たるフラムも同じだろう。
真っ向から否定したイクセルにディアは首を左右に振ると、まるで子供を諭すかのように優しくこう言った。
「経験したことや知識にあるものだけが正解とは限らないよ? 誰にだって知らないことはある。神様だってそれは同じ。知らない、あり得ない、だから信じない。そんな風に拒絶してばかりだと、本来なら見えてくるはずのものが見えなくなっちゃうかもしれないよ」
「俺は無神論者だ。だが……確かにその通りかもしれないな」
ディアの言葉はあまりにも抽象的であり、かつ不確定要素ばかりを詰め込んだものに過ぎない。
にもかかわらず、その言葉には魅力があった。訴求力があった。
人ではなく神として口にしたであろうディアの言葉に、俺は神威のような不思議な何かを感じていた。
イクセルが簡単に頷いたのもそんな理由からなのかもしれない。
「ふぅ……気が遠くなってくるな。精神干渉の線を追うにしても、厄介なことには変わりない。術者も不明、解除方法も不明、おまけに仲間だけではなく自分まで疑わなければならなくなった。これでは人間不信に陥ってしまいそうになるな」
深いため息を吐き、途方に暮れるイクセル。
眼鏡の奥の瞳からはどこか諦めの色が浮かび上がってきているような気がしてならない。
しかし、俺たち『紅』は諦念とは逆――すなわち、光が見えてきていた。
「俺としては、ようやく目指すべき場所の道標が見えてきたーって感じがするけどね」
「うん、わたしも」
「うむ、そうだな。これで小難しいことを考えずに済む」
俺たち三人の気持ちは同じ方向に固まっていた。
未だに茫然自失しているカタリーナ王女と、諦めムードを漂わせ始めているイクセルとは違い、ポジティブな方向へと。
同時にディア、そしてフラムから視線が飛んで来る。
その視線が意味するところは、俺に発言を促しているつもりなのだろう。
俺は二人の意思を汲み取り、カタリーナ王女とイクセルに声をかける。
「全部の話を統合して考えれば、自ずと標的が見えてくるんじゃないかな? 何者かが精神への干渉を試みた、そう仮定するところから始めよう。まず確認すべきは干渉されているであろう人物の特定からだ。スキルの使用者を見つけ出すのは容易じゃなさそうだしね。で――だ、精神干渉を受けていそうな候補を考えると、二人の人物が浮かび上がってくる。一人はもちろん、アウグスト国王陛下だ。父親を間近で見てきたカタリーナ王女が『変わってしまった』って言うくらいだ、その信憑性は高いと見ていい。けど、相手は国王。おいそれと近付ける存在じゃないし、もしこの仮定が外れていた場合、取り返しがつかない事態になる恐れがある」
相手が国王ともなれば、不確定要素満載の憶測で被害者と断定し、接触するには危険すぎるし、もし精神に異常がなかった場合、いくらその娘であるカタリーナ王女がこちらについていようが、罪に問われかねない。
おまけにシュタルク帝国との戦争を企んでいるなんて秘事を俺たちが知っているともなれば、死罪……なんてことも十二分にあり得るだろう。
不確定要素で動くには相手が悪すぎると言わざるを得ない。
なら、どうするか。
答えは一つしかないだろう。
「――マルティナ・フレーデン。俺たちがまず確認すべき人物はマルティナだ」
目指すべき道標がようやく見えてきたことで俺はやや興奮気味になっていた。
正面に座るカタリーナ王女がごちゃ混ぜになった感情を押し殺していることにも気付かずに――。
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