第454話 移ろう思考

 盛大に開かれた晩餐会が終わりを告げ、クリストフとラーシュはその日の晩、密会を行っていた。


「――フレーデン公爵。例の件、お願い致しますね」


 暢気にワインが入ったグラスを片手で回し、香りを楽しむ余裕をみせるラーシュに対し、クリストフは悩ましげな表情をみせる。


「……もう暫しの間、考える時間をもらいたい。まずは陛下に確認を――」


「その必要はありませんし、時間の無駄ですよ。今この場での自分の発言は陛下のお言葉だと考えていただいて結構。あくまで自分は陛下の代理として、こうして各地を回らせていただいているのですから」


「しかし、だな……。陛下は……」


 ――『正気なのか』。


 そう疑ってやまないクリストフだったが、その言葉を口にすることはあまりにも不敬。到底口にすることなどできはしなかった。


「……いや、失礼。何でもない」


「陛下のお言葉を、悲願を達成するには、この国全ての貴族が一致団結しなければなりません。お分かりでしょう?」


「……ああ、もちろんだとも。それに、我がフレーデン公爵家はフレーリン王家を支えるために存在しているのだ。遥か遠く昔から、そして現在に至ってもその意志は脈々と引き継がれ続けている」


「でしたら答えは出たも同然ではありませんか。陛下の号令が下るその日に向け、何者にも悟られぬよう慎重に万全を期して備えておいて下さい」


 公爵と侯爵。

 この時、二人の立場は逆転していた。


 いくらクリストフが公爵といえども、国王アウグスト・ギア・フレーリンを後ろ楯にしたラーシュには逆らうことは難しい。それに『陛下の言葉』だと訊かされてしまえば、反論の余地はないに等しかった。


 こうなればクリストフに残された選択肢は限られてくる。

 ラーシュの言葉に嘘偽りがないか直々に国王アウグストのもとへ赴き、その意思を確認。その上で恭順の意を示すか、諌めるために動くか、選択肢は二つに一つである。


「……」


「沈黙、ですか。その様子だと、自分の言葉をまだ信じていただけていないようですね」


「貴族というものは誰しも疑り深い生き物だ。そしてそれは私とて同じ。己の目で見たものしか信じられないのだよ」


 クリストフの心は固まりつつあった。

 国王アウグストに直接問い合わせ、その真意を訊き、そしてその後の振る舞いを定めよう、と。


「やれやれ……本当に困った御方ですね」


 ラーシュはわざとらしいほどに首を左右に振り、肩を竦める。


「……なに? 貴様、私を愚弄するか!」


 あまりにも敬意がみられないラーシュの振る舞いに、クリストフは苛立ちを隠しきれず威圧する。

 だが、ラーシュはその程度の威圧で態度を変えるほど軟弱者ではなかった。


「愚弄などとはとんでもない。自分はただ、陛下のお言葉が貴方に伝わらなかったことを残念に思っているだけですよ」


「書状も無しに、何が陛下のお言葉だっ! 貴様が捏造をした可能性が捨てきれない以上、私がその言葉に耳を傾けることはないと知れ!」


 顔を真っ赤に染めたクリストフの拳によって、二人の間を挟むテーブルが強く叩きつけられる。

 その衝撃でテーブルの上に起きっぱなしになっていたクリストフのワイングラスが転げ落ち、絨毯に赤い染みを作っていく。


 激怒するクリストフとこれ以上の対話は不可能。そう判断したラーシュは椅子から立ち上がり、クリストフに手を差し伸べた。


「なんだ? その手は」


「すれ違いが起きてしまったようなので、和解の意味を込めて握手を、と」


「フンッ、何がすれ違いだ。そう仕向けたのは貴様であろう」


「いいえ、これはすれ違いです。このままでは自分は陛下にこのようにご報告しなければならなくなります。『陛下のお言葉をフレーデン公爵に伝えた。しかし良い返事がいただけなかった』と。残念ながら、そう報告せざるを得ないのですよ」


 それは明らかな脅しだった。

 国王の威を借りたラーシュの物言いに、クリストフの怒りはますます高まっていく。


「……貴様、それは脅しか?」


 クリストフは差し伸ばされた手を見ることなく、ラーシュを強く睨み付ける。

 しかしラーシュは、その怒りが籠った視線すら意に介さない。


「勘違いなさらないで下さい。これは脅しではありませんよ。自分は陛下のお言葉をフレーデン公爵に伝えた。そしてフレーデン公爵は少し考える時間が欲しいと自分に返事をした。今日のところはそうしませんかと提案させていただいたまでのことです」


 つまるところラーシュが言いたかったのは、今の一連のやり取りを無かったことにしよう、というものだった。


 関係の悪化――その発端はラーシュの態度にあったことは明白だったが、この提案はクリストフにしてみても悪いものではない。

 一時的な激情に駆られてしまい、我を失ってしまったのは事実。フレーリン王家を支えるフレーデン公爵家の当主としてはあるまじき失態だった。

 もしこのやり取りがねじ曲げられ、国王アウグストに知られてしまえば、クリストフは――いや、フレーデン公爵家は国王からの信頼と信用を失いかねない恐れがある。

 それほどまでにラーシュという男は国王アウグストに気に入られた存在であるとクリストフは知っていたが故に、渋々ながらに差し伸ばされた手を握り返すことに決める。


「何もなかった。それで相違ないな?」


「はい、もちろんですとも」


 ニコリと不気味に笑うラーシュへの嫌悪感は未だ拭いきれていなかったが、クリストフは公爵としての矜持を持って大人の対応をみせる。

 差し伸ばされたラーシュの細い手を、簡単に壊れてしまう物を扱うように優しく握り返した――その時だった。


「――貴方の欲は何ですか?」


 唐突にラーシュが意味がわからないことを言い出したのである。

 そんなラーシュに対し、クリストフは何を思ったか自分の欲望を明け透けに口にした。


 ――意識が朦朧としていく中、力なき声で。


「私の……欲……? それは……フレーデン公爵家の……繁栄……」


「なるほど、貴方の欲はフレーデン公爵家の繁栄にあるのですね。ならば貴方は陛下のお言葉に従うべきでしょう。さすれば、貴方の望みは叶えられる」


「そうだ……な……」


 そう言い切った途端、クリストフは全身を脱力させ、半ば崩れ落ちるように椅子に腰を下ろした。瞼は閉じきっており、意識はない。


 そんな中、ラーシュは独り呟く。


「王家に忠誠を誓うフレーデン公爵ならば、とは思っていたのですが、最後まで首を縦に振ってはくれませんでしたか。こんなことなら最初からこうしておけば早かったですね」


 そう呟くと、ラーシュはワイングラスの中身を一気に飲み干した。その後、自分の席から離れると、意識を失っていたクリストフの肩を優しく揺らす。


「うっ……」


 ラーシュに肩を揺らされたことでクリストフの意識が覚醒していく。


「大丈夫ですか? 意識はありますか?」


「あ、ああ……大丈夫だ。おそらく立ち眩みでも起こしたのだろう」


 未だ頭に鈍痛が残っていたが、クリストフは肩を揺すり続けるラーシュに下がるよう手で合図を送る。


「それは良かった。ですが、あまり自分を驚かせないで下さい。もしフレーデン公爵に倒れられでもしたら……」


「心配は無用だ。私とてオルソン侯爵ほどでないにしろ、まだまだ若いと自負しているのでな」


 完全に意識を取り戻したクリストフの口調はつい先ほどまでと比べ、柔らかなものになっていた。


「とはいえ、無茶は禁物です。フレーデン公爵の体調も気になりますし、今日はこの辺りでお開きにしましょう。時間も時間ですしね」


 部屋に立て掛けられた時計に目をやると、時計の針は既に深夜一時を過ぎようとしていた。


「ならば、その言葉に甘えさせていただこう。今日はとても有意義な話し合いができた、感謝しよう」


「いえいえ、こちらこそ夜分遅くまで時間を割いていただき、本当にありがとうございました。それでは例の件、よろしくお願い致しますね」


「ああ、任せるがいい。陛下にもよろしく伝えていただきたい」


「もちろんですとも。それでは自分はこれで」


 別れの挨拶を済ました二人の表情は明るい。

 まるで先ほどの揉め事が無かったことになったかのように。




 そして朝日が昇り、ラーシュ・オルソン率いる視察団はクリストフに見送られ、フレーデン領を後にしたのであった。

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