第449話 泥沼

「罠、罠、罠……昨夜もまた罠だったではないかーっ!」


 机を叩き割らんとばかりに、ドンッと拳を叩きつけるプリュイ。怒りのあまり顔を真っ赤に染め、拳を震え上がらせていた。


 クラス替え試験を終え、早一週間。

 プリュイと『七賢人セブン・ウィザーズ』は、深夜に『賢者の部屋』を訪れ、緊急会議を開催していた。

 普段顔を見せることがないカルロッタも今回ばかりは招集されている。半ば強引に『意見が訊きたい』とカタリーナが呼び寄せた形だ。


「三件中、三件が罠。いくらなんでもおかしいッスね……」


 神妙な面持ちでカタリーナが語る。

 顔には明らかに疲労の色が残っていたが、それはここにいる誰もが同じ。

 連日連夜のように罠を仕掛けられ、逃亡する日々を送れば必然と肉体的にも精神的にも疲労は溜まっていく。


 中でもマルティナの顔色は異常だった。

 顔面は蒼白し、頭の中はぐちゃぐちゃ。肉体面もそうだが、特に精神状態は極めて酷く、今もこの場にこそいるものの、口を完全に閉ざしてうつ向き続けている。


 そう……マルティナは限界を迎えつつあったのだ。

 監視網を構築し、マギア王国全土の情報を集めるのがマルティナの役割。その役割の中には当然、罠を見抜く力も要求されている――否、彼女だけはそう思い込んでいたのだ。


 『対義賊』政策が施行され、初めて罠に掛かってしまったあの日以降、マルティナは自責の念に駆られ続けていた。


 ――『これ以上、皆からの信頼を失いたくない』。


 彼女はその一心で自身の疲労を省みず、能力をフル稼働。より一層監視網を強化し、名誉の挽回だけを考え続ける日々を送っていた。

 しかし、そんな彼女の努力は報われず、結果は散々なものに。

 名誉を挽回するどころか汚名をさらに被ることになり、精神状態は最悪。いつ倒れてもおかしくない状態にまで陥っていた。


「……ワタクシのせいで」


 消え入りそうなほどか細い声でマルティナが呟く。


「お前のせいじゃねえよ、気にすんなって」


「……」


 オルバーが不器用に笑いながら励ましの言葉を送る。

 だが、マルティナにとってはそんな優しい気遣いですら苦痛に感じてしまっていた。気遣いをさせてしまったということ自体が彼女を苦しめていたのだ。


 雰囲気は最悪。

 マルティナを責める者は誰一人としてこの場にはいなかったが、これ以上彼女に掛ける言葉が見つからないのもまた事実。今はそっとしておき、自ら立ち直ってくれることを祈ることしかできない。


 重苦しい雰囲気の中、冷静な口調でイクセルが状況整理を行う。


「手段はわからない。が、俺たちの行動が読まれているとみてまず間違いないだろう。それにここ一週間は失敗に失敗を重ねてきてしまった。冒険者が勢いづき、護衛依頼を受け始めるのも、もはや時間の問題だ。そうなれば俺たちだけで流通の管理をするのは難しくなってくるだろうな」


 今はまだ幸いなことに冒険者が活発に動き出したという情報は耳には入って来ていない。おそらくまだ様子見の状態なのだろう。

 だが、このまま『義賊』に対する脅威が薄れていけば冒険者たちは動き出す。これまで地道に築き上げてきた『義賊』の名――存在感だけでは冒険者の活動を止めることは難しくなっていくに違いないとイクセルは分析していた。


「うん、そうだね。ワタシもイクセルくんの言う通りだと思う。今後、冒険者がこぞって動き出しでもしたら、今のワタシたちには止める術がないんじゃないかな……」


 いつも明るくムードメーカー的な存在であるクリスタでさえ、現状に対して、そして未来に対して悲観的になっていた。

 精神的疲労の蓄積が彼女を悲観的な考えにさせているのかもしれないが、どちらにせよ『七賢人』が絶望的な状況に陥り始めているのは確かだった。


「……こうなったら妾たちの邪魔をする者共全てを殲滅してしまおう。一度、殺さぬ程度に痛め付けてやれば、奴らも簡単には手を出しては来れまい」


 暴力的で過激な意見がプリュイから飛び出す。

 これまでは罠だと判明した時点で逃げ出していたが、これからは不殺の掟を破らない範囲で徹底的に反撃を行うことで相手に恐怖心を植え付けようという算段だ。


「案外悪くない意見なんじゃねえか? 俺も逃げてばっかりはどうかと思ってたしな」


「むっ! 案外とはなんだっ! 案外とはっ!」


「あっ、悪い悪い。つい、な……ははは……」


 苦笑を浮かべながら平謝りするオルバーは意外なことにプリュイの案に乗っかった。戦わずして逃げるというのがオルバーの性に合わないという面もあったが、それ以上に鬱憤が溜まっていたがために賛同したのである。


 このままプリュイの意見に賛同するものが次々と現れる……かと思いきや、その後に続いたのは否定的な意見ばかりだった。


「僕は反対かな。正直、ここ最近は逃げてばかりでモヤモヤするところは確かにあるけど、だからといって国を相手にするのはまずいと思うんだ」


「俺もアクセルと概ね同意見だ。それに行動が読まれていることも考えると迂闊な行動は避けるべきだろう。より事態が悪化することも考えられる」


 アクセル、イクセルの順に否定的な意見が出てきた。

 どちらも慎重的な意見で、状況が好転する可能性を追うよりも悪化することを嫌ったのである。

 その後もクリスタとカタリーナまでもが慎重派に回り、結局のところプリュイの案は棄却されることとなった。


 案が棄却されて機嫌を損ねたのか、ムスッとするプリュイを放置し、話は進んでいく。

 積極的な行動は避けつつも、打開案を探すべく様々な意見が飛び交う。だが、どれもこれも全員が賛成できるような案はなく、話し合いは平行線の一途を辿る。


 八方塞がりだった。

 行動が読まれている原因がわからない以上、打てる手はもはや無し。この場にいる者の殆どがそう考え始めていた頃、これまで沈黙を貫き続け、魔道具を弄り倒していたカルロッタがおもむろに口を開いた。


「……原因の追及、まずはそれからだろうに。……それと当分の間、マルティナは休んだ方がいい。……少々根を詰めすぎているようだし、見ていて危なっかしいからな」


「――っ」


 カルロッタの『休んだ方がいい』という言葉にマルティナはピクリと身体を震わせる。そして誰にも見えない角度で深くうつ向くと、血が滲むほど唇を強く噛み締め、そのまま押し黙ってしまった。


「カルロッタ、マルティナは……」


 マルティナの様子を見てフォローに回ろうとしたカタリーナの言葉をカルロッタは遮り、言葉を続けた。


「……勘繰りすぎた。……私がマルティナを疑って『休め』と言ったと思われているようだが、断じて違う。……このままだとマルティナが壊れてしまう、ただそう思っただけだ」


 カルロッタの表情は相も変わらず無表情。彼女の感情や思惑がどこにあるのかがまるで見えてこない仏頂面に、カタリーナは若干の不安を抱きながらも頷いた。


「……確かに、そうッスね。マルティナの体調が心配なのは皆も同じ。暫くの間はマルティナにはゆっくりしてもらった方がいいッスね」


「ああ、そうした方がいいだろうな。だが、これで人手が減ってしまうのは避けられない。それにマルティナの能力が使えないとなると、標的を見つけることも難しくなるぞ」


 マルティナが休んだ場合に生じる問題をイクセルが提起する。

 非情だと思われるような発言ではあったが、イクセルを非難する声は上がらない。皆が皆、マルティナを失うことの大きさを理解していたからだ。


「……仕方がない、当面は私が手伝おう。……これまでマルティナには数々の実験に付き合ってもらった恩もある。……完璧に代役を務められはしないが、いないよりはマシだろう」


「たっ、確かに、それはありがたいが……」


 これまで一度として『義賊』としての活動に直接参加したことがなかったカルロッタが参加の意を示す。

 運動嫌いなカルロッタがこうして名乗りを上げたのはあまりにも意外感があり、冷静さを滅多に失わないイクセルでさえ、上手く言葉を返すことができなかった。


「……なら決まりだな。……足を引っ張るかもしれないが、よろしく頼む」


「あ、ああ……」



 こうしてマルティナに代わり、カルロッタが『義賊』としての活動に参加する運びとなった。

 ついでとばかりにカルロッタの提案で標的は冒険者ギルドを張り込むことで見つけることとし、その日は解散したのであった。

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