第438話 来る日に備えて

 プリュイの件が粗方片付き、早くも数日が経った。


 今日も今日とて学院通い。

 ここ数日のSクラスは異様に出席率が高く、クラスメイトの大半がこれまで以上に授業に集中していた。その主因はおそらく『七賢人セブン・ウィザーズ』が勢揃いしていることと、月に一度行われるクラス替え試験の日が近付いてきているからだろう。


 退屈だが、平凡で平穏な日常も悪くはない。

 座学の授業中、上の空になってそんなことを俺は考えていた。


 昼休みの開始を告げる鐘が鳴る。


「――今日はここまでのようですね。予習と復習はしっかりと行うように」


 基礎魔法学を教える先生のその一言を皮切りに、教室内が途端に騒がしくなっていく。

 食堂へ駆け足で向かう者や友人とのお喋りに興じる者など、人によって様々。かくいう俺たちも勉強道具を片付けると、食堂へ向かうべく席を立っていた。


「ふぁ〜あ……よく寝た。さて、今日は何を食べようか。全くもって悩ましいな……」


 寝ぼけ眼を擦りながら神妙な面持ちで昼飯のことを考えるフラム。実技以外の授業中は基本的に寝てばかりだ。竜族はあまり睡眠を必要としないという話は一体どこへ行ったのだろうか……。


「ふふっ、学院の料理はどれも美味しいですから悩んでしまうのも無理はありませんね。私はクラス替え試験に備えて身体を作るためにも今日は肉料理にしようかと。私もフラム先生のような強靭な肉体を手に入れたいですから」


 本当にここ最近のフラムとアリシアの仲は良好そのもの。師弟関係を越えて仲睦まじい姉妹のようにすら見えてくるほどだ。

 アリシアがフラムに対して盲目的に尊敬していることは少々気掛かりだが、本人がそれで良いなら口を挟むほどのことではない。無論、行き過ぎるようなら歯止めを掛ける必要が出てくるかもしれないが、今のところはまあ大丈夫だろう。……たぶん。


「大丈夫かな、アリシア。フラムみたいにたくさん食べたら逆に身体を壊すんじゃ……」


 ディアはポツリと俺にだけ聞こえる声量で心配を口にする。ちょっと呆れている感じにも聞こえた気がしたが、気のせいだろう。


「ははは……確かに。まあ、アリシアはしっかり者だし、その辺は大丈夫なんじゃないかな?」


「だといいけど……」


 俺たちがそんな当たり障りのない話をしているうちに、二つの影が近付いてきていた。


「ご機嫌よう、アリシア。今から食堂に向かわれるのですか? もしよろしければ私たちもご一緒しても?」


「こうしてお話させていただくのは初めてですし、まずは簡単な自己紹介を。僕の名はアクセル・クルーム。気軽にアクセルとお呼びください、アリシア様」


 二つの影――それはカタリーナ王女とアクセルの二人だった。

 容姿端麗、学業優秀のヴォルヴァ魔法学院のNo.1とNo.2が揃っているともなれば、教室中の視線がこちらに集まってくるのも無理からぬ話だ。

 教室に残っているクラスメイトたちが聞き耳を立てている中、それらを気にする素振りを全く見せずにアリシアが明るい笑顔で返事をする。


「ご丁寧にありがとうございます。私はアリシア・ド・ラバールです。昼食をご一緒に、とのことですが、もちろん喜んで」




 場所を食堂へと移し、食事を取りながら談笑を交わす。

 場所を移動しても尚、周囲からの視線は途切れることはない。むしろ集まっている人が多い分、教室よりも多くの視線が注がれていた。

 とはいえ、そんな些細なことを気にしているのは俺くらいなものだ。ディアとフラムはマイペースを崩さず料理に舌鼓を打ち、アリシアとカタリーナ王女、そしてアクセルの三人は上流階級の人間らしく上品な振る舞いで料理と会話を楽しんでいる。


「そういえば、クラス替え試験が近付いてきましたね。アリシアがSクラスに上がってからもうすぐ一ヶ月。クラスには馴染めてきましたか?」


「はい、お陰様で充実した学院生活を送ることができています。けれども、それが続くかどうかは次の試験次第。落第しないよう精一杯努力するつもりですが、正直なところ、不安は拭いきれません」


「ほぼ初対面の僕が言うのもなんですが、アリシア様ならきっと大丈夫ですよ。クラス替え試験なんて謳ってますが、実際に上のクラスへ上がれる者は本当に稀なのです。まぁ……前回の試験は例外中の例外が起こりましたけどね」


 三人は他愛もない話で盛り上がっているが、強烈な違和感がどうにもむず痒い。

 言うまでもなく違和感の正体はカタリーナ王女の言葉遣いだ。

 今は王女の仮面を被っているが、彼女の素顔を知れば知るほど王女に相応しい丁寧な言葉遣いが逆に気味が悪く聞こえてならない。何か悪巧みでも考えているのではないかと勘繰ってしまうほどだ。


 俺は注文した白身魚のムニエルを黙々と口に運びながらも、三人の会話に耳を傾け続ける。


「アクセルの言うとおりです。アリシアが持っている力を十全に出し切れば、必ず試験を乗り越えられると思います。とはいったものの、実は私も首席を維持することができるか不安でいっぱいなのですけどね」


 その時、カタリーナ王女の視線がチラッと俺に向けられた。

 それはほんの一瞬の出来事。対面して話しているアリシアでさえも気付けなかっただろう。


 その視線が意味するところは、何となくだが理解できた。

 大方、『試験で手を抜いてくれないか』といったところに違いない。


 クラス替え試験は実践形式で行われるため、やろうと思えば八百長に似たことは可能だ。

 勿論、バレれば停学……もしくは退学させられる危険性も孕んでいるが、やりようによってはバレることはまずないだろう。

 俺たちの本当の実力を知っている者は極僅か。身内であるアリシアを除けば、この学院では『七賢人』とカイサ先生くらいなものだ。

 そのカイサ先生も『七賢人』の支持者であることを考えると、試験で不正があったとしてもカイサ先生に摘発される心配は皆無に等しい。


 ともなれば案外、試験で手を抜くというのも悪いことではないかもしれないと俺は考えを改め直す。

 もし俺たちが試験で手を抜き、『七賢人』が今の地位を維持することができたならば、それは非常に大きな貸しとなるはずだ。

 今後カタリーナ王女と良好な関係を築き、距離を縮めておきたいと考えている俺としては、ここで貸しを作っておくのは悪い手ではない。

 無論、借りと相手が感じてくれなければ意味がない策になってしまうが、カタリーナ王女の計算高い性格を考えれば、まずその心配は必要ないだろう。


 ただし、この策に問題がないとは言い切れないのが、なんとも残念なところではある。

 アリシアに関しては良くも悪くも心配はしていない。

 現状のアリシアの実力を考えると『七賢人』に手が届くとは正直考えにくいからだ。彼女には何も説明せずとも全力で試験に臨んでもらうのが一番だろう。


 とすると、問題は誰になるのか。

 当然ながらディアではない、それはフラムだ。

 こと勝負事に限ると手加減というものを全く知らないのがフラムなのである。

 きちんと事前説明をしておけば、多少は手を抜いてくれるに違いない。だがしかし、フラムの手加減は手加減にならないということは、過去の経験からわかりきっている。

 悲しきかな、『ん? これでも手加減してやったのだが……』なんて言ってくるフラムの姿が容易に想像できてしまう。


 だがここで、またもや俺は考えを改める。

 フラムは手加減をしてくれないのではなく、できないのだ、と。

 であるならば、あとは簡単な話だ。

 手加減ができないのであれば、俺が手伝ってあげればいいだけのことだと。


 料理に舌鼓を打つ者、話に花を咲かせる者たちの中で俺は一人、試験について策を巡らせていたのであった。

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