七章 マギア王国(下)
第427話 欠席
「十日も休んでいないのに、なんだか随分と久しぶりな気がしますね」
マギアの冬にしては珍しく晴れた空は、まるでアリシアの快復を祝っているかのように澄み渡っていた。
いつにも増して軽快な足取りで学院に向かうアリシア、そしてその後ろをついていく俺たち『紅』と、専属騎士のセレストさん。
ヴォルヴァ魔法学院のSクラスの証である黒のローブを纏う四人組(セレストさんもいるが)が歩いているともなれば、ある程度の注目を浴びてしまうことは避けられない。当然ながら、学院が近付くにつれ注目度は自然と増していく。
けれども、比較的小心者の部類に入るであろう俺を含めた全員が全員ともその視線を気にすることはなかった。
アリシアは王女という立場柄、視線には慣れきっている。ディアとフラムに限っては人の目を気にするほど肝は小さくはない。セレストさんに関しては完全に影に徹している。
そして俺はと言うと、別のことで頭がいっぱいで視線を気にする余裕がなかっただけであった。
今日は傭兵団『雫』として護衛依頼を終えてから初めての登校日。カタリーナ王女――ひいては『
顔を合わせたその時に一体何が起こるのか、あるいは何も起こらないのか。
俺と交わした約束を果たして彼女が守ってくれるのかどうかがどうしても気になって仕方がなかったのである。
ちなみにだが、『義賊』の正体が『七賢人』であったことは今のところアリシアには伏せていた。
フラムとロザリーさんに事の経緯を詳細に説明した結果、ロザリーさんから然るべき時が来るまではアリシアには内密にしてほしいと頼まれたからだ。
ロザリーさん曰く、まだ病み上がりということもあり、アリシアにはなるべく精神的な負担を掛けたくはないとのこと。
俺としては事前に知っていた方が余程ショックが少なくて済むのではないかと思ったのだが、ロザリーさんにはロザリーさんなりの思惑があるのかもしれないと納得し、結局俺はロザリーさんに言われるがまま、その指示に従うことにしたのであった。
とにもかくにも、俺の頭の中は『七賢人』のことでいっぱいいっぱい。視線を気にする余裕も、アリシアに気の利いた言葉を返す余裕もなかったのである。
そんな中、意外なことにフラムが率先してアリシアの話し相手を務め始めた。
「そうか? 私としてはもう少し休みたかったくらいだぞ」
「ふふっ、フラム先生の場合は勉強が嫌なだけではありませんか?」
「逆に訊くが、机に囓りついていて何が楽しいのだ? 頭を動かすよりも身体を動かした方が強くなれるぞ」
和やかに話す二人。
心なしか二人の距離が以前よりも縮まったように思えてならない。それは立ち位置的な意味ではなく、心の距離的な意味でだ。先生と生徒というよりかは姉と妹、もしくは歳の離れた友人といった感じだろうか。
気付けば俺は『七賢人』のことを考えるのをやめ、二人の話に耳を傾けていた。
「それはそうかもしれませんが、座学から学べることも多いですよ? 私がまだまだ未熟者だからかもしれませんが」
「いや、アリシアはよくやっている方だと思うぞ。あの調子ならば、次のクラス替え試験でもそれなりにやれるはずだ」
そう言いながら満足げに頷くフラム。何故かアリシアはアリシアで首を左右に振りながら謙遜をしていた。
あの調子とはどの調子のことなんだ、と俺が心の中でツッコミを入れていると、俺同様不思議に思ったのであろうディアが横から口を挟んだ。
「あの調子って?」
ディアがそう訊ねると、今まで影に徹していたセレストさんの整った顔が次第に苦々しく、そして困惑したものへと変わっていく。
そんなセレストさんとは対照的に、フラムとアリシアは明るい表情を浮かべながら事の顛末を語り始めた。
「なに、ディアたちがいない間に私が少しアリシアを鍛えてやっただけの話だ」
「はい、実は五日間ほどフラム先生に直接指導していただいたのです」
そう答えた二人の息はぴったりだった。
アリシアは疲労から体調不良になっていたにもかかわらず、熱が引くや否や早々に鍛練を行っていたとのことだ。
彼女らしいと言えばらしい行動力なのだが、如何せん専属騎士のセレストさんや監督を任されているロザリーさんが不憫でならない。
現にセレストさんの困り果てた顔には『止めようとしたのですが……』と書いてあるように見える。
俺から言えることは一つだけ。『うちのフラムがごめんなさい』と……。
「ええっと……、ちゃんと疲れは取れた?」
まさかの返答にディアもやや困惑気味になっていた。
アリシアをじっと見つめ、顔色を確認している。
「フラム先生のお陰で間違いなく強くなれました」
「それは……良かったね?」
二人の会話はまるで噛み合ってなかったが、何はともあれアリシアが元気になったようで何よりだ。ややハイテンションで暴走気味になっている点は気になるが、元気がないよりはマシ。俺はそう考えることにして、思考を放棄したのであった。
ヴォルヴァ魔法学院の中央校舎五階にあるSクラスの教室に到着した俺たちは一塊になり、席に着く。
そして着席した俺はそれとなく周囲を見渡し、カタリーナ王女の姿を探していた。
しかし教室にはカタリーナ王女の姿はおろか、クリスタの姿もイクセルの姿もなし。襲撃を受けたあの日の夜に姿を見せなかった『七賢人』が一人、第六席のカルロッタの姿もどこにも見当たらない。
Sクラスの生徒に与えられる特権の一つに必要出席日数の緩和があるため、教室に多くの空席が目立っているのは然程不自然な光景ではないにしろ、俺が知る『七賢人』が誰一人として出席していないのはあまりにも不自然。
まだ始業の鐘が鳴るまでには十分以上時間が残っているとはいえ、この様子では欠席が濃厚だろう。
「もしかして、逃げられたのかな……」
隣に座るディアだけに聞こえる声で俺は不安を口にした。
心がモヤモヤと渦を巻く。
騙された、裏切られた、とはあまり思いたくはない。
ただし、あの時の俺の判断が間違っていたんじゃないかという不安だけはどうしても拭えなかったのだ。
彼女たちを捕らえることで生じるメリットとデメリットを天秤に掛け、俺は逃がすという選択を取った。いや、あの時はそうせざるを得なかった。
そして俺は、カタリーナ王女の本質は悪ではないと判断し、善意を押し付け恩を売ることで、彼女に再度話し合いの場を設けるよう約束を交わしたのだが、もしかしたら俺は彼女の本質を見誤ったのかもしれないと不安を覚え始めていたのである。
不安、後悔、疑心。
様々な負の感情が俺の心をかき乱す中、ディアが小さく優しい声で呟いた。
「焦る必要はないと思うよ。もう少し気長に待ってみよ?」
「……ああ、そうしてみるよ」
それから暫くして、始業の鐘が鳴る。
結局、彼女たちは――『七賢人』はその日、誰一人として姿を見せることはなかった。
だがその日の放課後、俺とディアはSクラス担任のカイサ・ロブネル先生に突然、呼び出されたのであった。
帰りの支度を済ませ、俺たち四人が教室を出ようとしたその時、カイサ先生が俺とディアを呼び止める。
「コースケ、ディア、ちょっといいか?」
何の感情も窺わせない素っ気のない一言。
しかしその手には、一通の手紙が大切そうにそっと握られていた。
「何でしょうか?」
呼び止められた手前、無視することはできない。
俺とディアだけが呼び止められた形だったが、アリシアとフラムもその足を止めた。
しかし……、
「悪いが、用があるのは二人だけだ。アリシアとフラムは席を外してくれ」
何の説明もなしに席を外せと言われ、大人しく下がるフラムではない。だが、フラムが異論を唱える前にアリシアが先に口を挟んだ。
「わかりました。では、失礼させていだきます」
アリシアが率先して教室を出ることで、フラムはアリシアを護衛すべく、その後をついて行かざるを得なくなる。
やや不満げな表情をしながらも、フラムは大人しくアリシアを追って教室を出ていった。
そして残されたのは俺とディア、そしてカイサ先生の三人だ。
「ここで話すのもあれだな……。移動する、ついてこい」
俺とディアはカイサ先生の背中を追い、教室を後にしたのであった。
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