第426話 視察団
その日、マギア王国国王アウグスト・ギア・フレーリンの下には一人の青年が訪れていた。
「陛下、ご報告に参りました」
場所はアウグストの執務室。
執務室と呼ぶには些か派手すぎる華美な装飾が施されており、質実剛健とは真逆に位置するような造りになっている。
この執務室に入れる者は極一部の者たちに限られており、華美な部屋の内装とそこで執務をこなす国王陛下を前にすれば、極一部の限られた者たちでさえ、大なり小なり居心地の悪さを覚えてしまう。
しかし、内務大臣を務めるその青年は――ラーシュ・オルソンは違った。
寝癖なのか癖毛なのか判断がつかないボサボサな茶色い髪はそのままに、右の眼窩に嵌めたモノクルだけが唯一知的なイメージを抱かせる。国王を前にしていながら、そんな寝起きのような姿を見せるラーシュは物怖じすることを知らないし、その姿に対してアウグストも咎めるような真似はしない。
それは二人の信頼関係がしかと築かれている証左でもあった。
ラーシュは許可を得て執務室の中に足を踏み入れると、真っ直ぐとアウグストの前に向かい、手に持っていた書類を読み上げる。
「兵の振り分け及び、派兵地点の設定が完了致しました。後は陛下の一声で兵を動かせますが、如何なさいますか? 派兵予定地は――」
それは、貴族たちから苦情の声が上がり続けていた『義賊』への対応策として、以前アウグストがラーシュに頼んでいた一件にようやく目処が立ったという報告であった。
主要な街道や都市へ兵を配置・巡回させることで『義賊』からの被害を抑えるためにアウグスト自らが立案した策。しかしながら、神出鬼没の『義賊』への対応策としては不十分かつ、費用対効果が見込めない愚策であることは立案者であるアウグスト自身も、参謀役でもあるラーシュも十二分に理解をしていた。
にもかかわらずこのような自他共に認める愚策を採用したのは、貴族の不満を緩和するための方便に過ぎない。いくら愚策であろうとも『国が動いた』という事実があるだけでも、ある程度の効果は見込めると考えたのである。
ラーシュから具体的な兵の振り分け・配置案を訊き、アウグストは異議を唱えることなく鷹揚に頷いた。
「それで構わん。後の裁量は其方に一任する」
「かしこまりました。このまま進めさせて頂きます」
これで『義賊』に対する方針は定まった。
本題がこの件にあるのであれば話はここで終わりだが、アウグストはラーシュに退出を促すことはなかった。むしろここまでの話は前座だったと言わんばかりに表情を険しくさせ、ラーシュのモノクルの奥の瞳を覗き込んだ。
「……して、例の件の進捗状況はどうなっている?」
「例の件、でしょうか?」
ニコリと口元に笑みを浮かべながら、わざとらしくラーシュは首を傾げてみせる。
だが、アウグストはそんなふざけた態度を見せたラーシュを叱りつけるわけでもなく鼻で笑い飛ばした。
「フンッ……、いちいち惚けるでない」
「これはこれは失礼を。ここ暫くは陛下に馬車馬のように働かされましたので、ちょっとした意趣返しを、と思いまして」
目を細め、軽く舌を出すラーシュ。
国王に対する態度としては普通なら断じて許されるものではないが、アウグストからの信頼が厚いラーシュは例外。多少の皮肉や冗談が許される間柄にあった。
「冗談はこの辺にしておくとして、進捗状況はまずまずと言ったところかと。現在懸念すべき点としましては、物価の上昇が想定よりもやや早い傾向にあることでしょうか。商人たちが疑問を抱き始めている模様です」
「その点は仕方あるまい。『義賊』の被害による物流の影響も少なからずあるだろうが、それよりも『義賊』への対応を始めるにあたり、無駄に兵糧が必要となってしまったのだ。忌々しいが、今すぐに民から不満が出るほどではなかろう」
国王であるアウグストと内務大臣であるラーシュが主導となり、食料品に次いで武具、そして魔道具と買い集め始めたことで、ここ数週間で緩やかにだが、確かに物価は上昇していた。
今はまだ民の暮らしに大きな影響が出ない範囲で留めているため、急激に物価が上昇することはないが、商人たちの動向次第では何が起こるかわからない不安定な状況にあることもまた確か。
アウグストらは民から不満が噴出しないであろうラインを、そして商人の動向を見極めている最中だった。
「今後、どう転ぶかはまだわかりません。暫くは慎重に見極める必要があるでしょう。最悪の場合は貯めている国庫を開き、他国からの輸入などを検討する必要も……」
『国庫を開く』。
そのワードをラーシュが口にした瞬間、アウグストは我を忘れ、声を荒げた。妄執に取り憑かれたかのように。
「――ならん! それだけはならん!」
「……失礼致しました。そうならぬよう最善を尽くします」
これ以上アウグストを刺激しないためにも、この時だけはラーシュも態度を改めざるを得なかった。
暫しの沈黙の後、機嫌を損なったままではあったが、ある程度の冷静さを取り戻したアウグストがゆっくりと口を開く。
「……ラーシュよ、今も大層忙しくしておるとは思うが、真に多忙を極めるのはこれからであるぞ。心得ておるな?」
「勿論でございます。マギアの西から東へ馬のように――いえ、竜のように飛んでみせましょう」
ラーシュはアウグストの命を受け、翌週からマギア王国中を視察する予定になっていた。
各貴族が治める領地の治安や税収を内務大臣の地位にありながら一挙に調査し、時には内乱の気配など不穏な動きがないか、情況を査察する役割をも担うことになっていたのである。
途方もない激務であることは想像に難くない。
当然、数日で終わるような仕事量ではなく、一月から二月は王都を空けることになるだろう大仕事である。
アウグストの右腕とも呼べる働きを普段から見せるラーシュが何故ここまでの大役……もとい、激務を言い渡されたのか。
その理由はラーシュとアウグストのみが知る。
「任せたぞ」
「――はっ! お任せ下さい」
翌週、ラーシュは三百を超える人員を引き連れ、王都ヴィンテルを後にしたのであった。
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