第425話 小休止
「これで依頼は完了ということでよろしいでしょうか?」
俺たちは八日をかけ、ようやくモルバリ伯爵邸へと戻ってきていた。
当然、負傷者ゼロ、荷馬車も積み荷も無事だ。
崩落事故事故のせいで俺が当初想定していた日数よりも一日遅い到着となってしまったものの、ほぼ完璧な護衛を行えたと言えるだろう。
フラムやアリシア、それとロザリーさんには帰宅が遅れたことを後で謝らなければならないが、確かな収穫は得た。朗報を届けることができそうで何よりである。
それはともかくとして、ちょっとした問題が残っていた。それはプリュイだ。
俺の独断で『義賊』を見逃がしてからというもの、プリュイはへそを曲げ続けている。大暴れしなかっただけまだマシかもしれないが、そのおかげで帰路の護衛はほぼ俺とディアだけで行う羽目に。幸いなことに俺とディアで対処不可能な場面は訪れなかったためどうにかなったが、後でディアを労ってあげなければ面目が立たないだろう。
モルバリ伯爵は庭にズラリと並ぶ荷馬車を見て満足げに頷く。その際に若干、頬がひきつっているような気がしたが気のせいだろうか。
「……十日はかかると思っていたが、随分と早く戻ってこれたのだな」
「ええ、何とかこうして無事に。盗賊から夜襲を受けたりなどしましたが、道中は比較的穏やかに進むことができましたので」
整備された街道沿いの魔物は仕事が少ない冒険者によって狩られていたのか、その安全性はラバール王国よりも遥かに上だった。『義賊』という存在を警戒しないのであれば、かなり楽な依頼だったと言えるだろう。
「……『義賊』ではなく、本当にただの盗賊だったのだな?」
真偽を見定めるかのような鋭い視線を受ける。
その様子から、なんとなくだがモルバリ伯爵の問いの意味するところがわかった。
おそらくモルバリ伯爵はこう思っているに違いない。
――自分は『義賊』の標的にされているのではないか、と。
それは脛に傷を持っている者にしか思い浮かばない発想だ。
少なからずモルバリ伯爵は悪事を働いているという認識を持っているのだろう。だからこそ俺に『義賊』に襲われたのか否かを訊いてきたに違いない。
その点を考えると、俺たち『雫』は悪徳貴族と呼ばれているであろうモルバリ伯爵の片棒を担いだとも言えなくはない。
例えそれが依頼であったとしても、モルバリ伯爵から被害を受けている人たちにとってしてみれば同じ穴の狢。怨まれようと何も言い繕うことはできない。
そう思われても仕方がないことをしたとはいえ、それでは面白くないこともまた確か。
もう『義賊』に襲われることはないとモルバリ伯爵が高を括り、調子づくことを抑止するためにも俺はその問いに対し、不敵に答えることにした。
「さあ? それはどうでしょう? 『義賊』の正体を誰も知らない以上、明確に違うと言い切ることはできませんから。なので大変申し訳ないですが、そうかもしれないし、違うかもしれない。私からはそう答える他ありません」
この程度の言葉でモルバリ伯爵が悪事をやめるとは到底思えないが、何も言わないよりはマシなはず。何はともあれ今後の『義賊』の動き次第にはなると思うが、少なくとも俺たちの仕事はこれまでだ。
「……フンッ、まあいい。依頼は無事に果たされたのだ、預かっていた金貨百枚と報酬を渡そう。おいっ」
「――はっ」
その一声でモルバリ伯爵の後ろで控えていた使用人が俺たちに近寄り、担保として預けていた金貨がどっしりと詰まった袋と、護衛依頼の報酬である金貨三枚を手渡してきた。
預けていた袋をその場で開き、袋の中を掻き分けながらざっと金貨の枚数を数え、確認を終える。
「預けていた金貨は返ってきましたし、報酬も確かにいただきました。では、私共はこれにて――」
これで傭兵ごっこは終わりだ。
暫くは留学生としての日々を送りながらカタリーナ王女からの連絡を待つのみ。向こうからコンタクトを取ってくるような気配がなければこちらから出向くまでだが、果たしてどうなることやら……。
そんなことを考えながらモルバリ伯爵の屋敷を後にしようと後ろを振り返った瞬間、モルバリ伯爵から思いもよらぬ提案を受ける。
「――待て。其方らに提案がある。ワシの……モルバリ家専属の傭兵にならぬか?」
真剣な表情を浮かべているつもりなのだろうが、欲に溺れた濁った瞳の輝きが隠しきれていない。
金と権力、そして『雫』という武力装置を手に入れたい。そんな邪な思惑が見てとれる。
そんな奴の下で仕えたいと思えるはずもなし。俺は振り返らずにきっぱりと断りを入れる。
「お断りします。誰にも仕えるつもりはございませんので。それではさようなら。『義賊』に襲われないようお気をつけ下さい」
不機嫌過ぎて石像になりかけているプリュイの腕を引き、俺たちはモルバリ伯爵の屋敷を後にした。
こうして俺たち『雫』の最初で最後の依頼は、無事に達成したのであった。
モルバリ伯爵邸を後にしてから暫く歩き、路地裏に入った俺たちは人目を憚り、そこでローブを脱ぎ、着替えを済ませていた。
「ふぅ……。とりあえず、お疲れ様。二人とも体調は大丈夫?」
一週間ちょいの仕事だったとはいえ、歩いた距離はかなりのもの。それに加え、護衛という依頼の性質上、常に気を張っていなければならなかったため、いくら体力に自信があったとしてもそれなりに疲れているのではないかと思っての言葉だった。
「わたしは大丈夫だよ。どちらかと言うと、疲れよりも美味しい料理を食べたいって気持ちの方が大きいかも」
そう言ったディアの顔色は確かに悪くはない。きめ細かい肌に、艶のある銀色の髪は健在。虚勢を張っている様子もなさそうだ。
「よし、わかった。今度慰労会を兼ねて美味しい料理をご馳走するよ。手料理は振る舞えないけどね」
手料理を振る舞いたい気持ちは山々だが、残念ながら俺の料理スキルはたかが知れている。俺にできることは精々美味しい料理を提供してくれるお店を探すことくらいだろう。
いつか機会があれば、料理が上手くなるようなスキルを手に入れるというのも面白いかもしれないが、それはまたの機会だ。
「うん、期待しとくね。それより、こうすけ……」
ディアの可憐な笑顔が萎み、苦いものへと変わっていく。その視線の先には、むすっと頬を膨らませているプリュイの姿があった。
不機嫌だが、不気味なほど大人しいプリュイ。その様子は嵐の前の静けさを思わせる。
「……プリュイ?」
「……」
呼び掛けても視線すら合わせてもらえない。
言うまでもなくお冠のようだ。
「えーっと……プリュイさん? プリュイ様?」
「……」
プリュイの眼前で手を振ってみても反応はなし。完全に無視を決め込んでいる模様。
対応に困った俺に加勢すべく、ディアがプリュイに話し掛ける。
「プリュイが怒る気持ちはわかるよ。仕方なかったとはいえ、ずっと探してた相手を逃がすことになっちゃったから。でも……」
そこでディアは言葉を切り、プリュイの前まで歩み寄る。
そして目線を合わせるためにしゃがむと、ディアはマリンブルーの髪を優しく撫でながら言葉を続けた。
「絶対にこうすけが何とかしてくれる。だからもう少し待ってあげて? こうすけを信じてあげてほしいの」
ディアはそう言いながら微笑んだ。
その笑みは全てを優しく包み込み、見た者を魅了する。けれども魔性とは違う、心が休まるような笑みだった。
「……うむ」
竜族のプリュイとて、その微笑みには逆らえなかったようだ。
ディアの笑みとその紅い瞳に引き寄せられたプリュイは急にしおらしくなり、頬を仄かに赤く染めながらコクりと頷いた。
「わたしを、こうすけを信じてくれてありがとう。それじゃあ帰ろっか?」
俺とプリュイは天上の微笑に目を奪われ、その後ろ姿をただ茫然とついていった。
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