第415話 凍結世界

 『――させないっ』。フードを被った少女のその一言を訊いた瞬間、クリスタは確信に至る。


(この声……。やっぱりこの二人はコースケくんとディアちゃんで間違いないみたいだね)


 コースケ、ディア、フラム。

 拳を交えたくないと思っていた最筆頭の人たちが二人も目の前にいる状況にクリスタは軽い目眩を覚える。

 二人の実力は未知数。わかっていることといえば、二人が二人とも底知れぬ実力を持っているであろうという推測のみ。

 唯一の救いがあるとすれば、フラムの姿が見えないことだ。

 何故この二人が傭兵団『雫』と名乗っているのかはわからないが、少なくとも『雫』にはフラムの影はない。その代わりにドワーフの血を持つと思われる背丈の低い者が一人いたが、フラムよりも厄介な存在である可能性は低いだろう。

 とはいえ、状況は芳しくはない。

 最悪の一歩手前。もし素顔を晒してしまえば、たちまち正体が白日の下に晒されてしまう危険性を孕んでいる。


(正体を知られる訳にはいかないし、ここは慎重に――)


 そう思っていた矢先だった。ディアの口からその言葉が飛び出てきたのは。


「貴女の相手はわたしだよ、クリスタ」


(――ッ!)


 呼吸が止まる。

 身体は硬直し、まるで金縛りにあったかのような感覚がクリスタを襲う。


 その後に続いたディアの言葉は耳に入って来なかった。

 驚き、焦り、恐怖、そして怒り。

 様々な感情がクリスタの心の中を支配し、埋め尽くしていく。


(どうしてどうしてどうしてどうしてどうして……)


 頭の中で延々とそんな言葉が流れ続ける。

 カルロッタが作り出した仮面によって、素性が露呈する可能性はほぼ皆無だった。声を変えるばかりか、鑑定系統スキルへの対策も万全。にもかかわらず、ディアは『クリスタ』という名前を声に出した。

 それは揺さぶりなどではなく、確信に満ちたもの。疑惑ではなく確信した言葉だった。


 茫然自失するクリスタ。

 その間にオルバーと紅介の勝負には決着がつこうとしていた。


(ふざけん……な!)


 その光景をぼんやりと眺めていたクリスタの視界が急速に怒りで赤く染まっていく。

 そしてクリスタは内に怒りの炎を滾らせ、後先考えずに枯れ木から飛び降り、ディアに話し掛けていた。


「クリスタ? キサマハ、イッタイ、ナニヲ――」


 僅かな希望にすがりつき、白を切ろうとしたクリスタだったが、ディアに一刀両断、物の見事に切り捨てられる。


「とぼけても無駄。わたしの目は誤魔化せない」


「……」


 クリスタの希望は潰えた。


「『義賊』に貴女が加わっていただったなんて思ってもいなかった。けど、これで『義賊』に関する手掛かりは掴んだも同然。例え貴女たちがこの場から逃げたとしても、わたしたち『雫』からはもう逃げられない」


 怒りが沸々と増していき、そして爆発する。


「――ダマレ」


「黙らない。わたしたちには目的があるから」


「――ダマレ、ダマレ、ダマレ!!」


 喉が裂けんとばかりの声量で怒りを発露させる。

 クリスタの怒りは正体を見破られた自分自身への情けなさと、そのせいで仲間たちに迷惑を掛けることになってしまったことに対するものだった。


 今さらここで逃げ出しても意味はない。

 クリスタという存在が『義賊』と呼ばれている集団に属していることが知られてしまった以上、逃げ場はなくなったも同然。

 ならば、クリスタにできることは煩わしい口を無理矢理にでも閉じさせることだけ。


 だが、数十秒と経たずクリスタはディアに敗れ、囚われの身となっていた。


(くそっ……)


 ――コツン。

 半球状の鋼鉄の檻に弱々しく拳を叩きつけたクリスタは力なくそう呟きを溢した。


――――――――――


 一方その頃、プリュイは獰猛な笑みを湛え、アクセルとマルティナの二人と激しい戦闘を繰り広げていた。

 とはいえ、それは一方的な戦い。しかし、苦戦を強いられていたのは攻勢に回っているアクセルとマルティナだった。

 プリュイに限っては仇敵を目の前にして戦いそのものを楽しんでさえいたのである。


「この程度の攻撃で妾を傷つけられるとでも?」


 四方八方から氷の槍が何処からともなく現れ、プリュイを貫かんとばかりに飛び交ってくる。

 だが、プリュイはその氷槍の悉くを触れもせずに打ち砕いていく。


「妾に水系統魔法とは、な。片腹痛いぞ」


 水を司る竜族であるプリュイにとって、人間如きが使う水系統魔法に後れを取ることはない。

 水を操ることなどプリュイからしてみれば呼吸をするのとほぼ同義。例えその水が他者が操るものであってもだ。


 氷槍を全て打ち砕いたプリュイに待っていたのは、白い鳥の群れ。

 その数は百羽以上。

 爆薬から作られた白い鳥は音を置き去りにし、幼児のような小さな身体を目掛けて飛んでいく。

 そして、白い鳥はプリュイに近付くにつれ、その身体を風船のように膨らませ、爆発――しなかった。氷像になり、地へと墜ちていったのだ。


「くくっ……わっはっはっ! 火薬臭でバレバレだぞ? さあ、次だ! もっと来るがいい! 妾に傷一つでもつけられたならば、逃がしてやってもいいぞ? できれば、の話だがな!」


 上機嫌に高笑いをあげるプリュイ。

 対してアクセルとマルティナは木々の影に身を隠し、その姿を眺めていた。


――――――――――


(なるほど、結構強いね。舐めてかかったら逆に僕たちがやられてしまいそうだ)


 氷槍を打ち砕かれても尚、焦ることも気落ちすることなく『七賢人』第二席アクセル・クルームは極めて冷静にプリュイをそう分析していた。


 アクセルはヴォルヴァ魔法学院で最強の名を欲しいがままにしているカタリーナにやや隠れがちになっているが、その実力は超一級。女子生徒に持て囃されるに相応しい確かな実力を持っている。

 単純な一対一の戦闘ではカタリーナには一歩及ばないものの、それはカタリーナが例外的な強さを持っているからであり、一つ下の第三席クリスタと比較すると、二人の実力の差は隔絶していた。


 その強さ故にアクセルは仲間たちから厚い信頼を寄せられている。

 参謀役のイクセルが戦力バランスを考え、カタリーナとアクセルを離したのもそういった理由からであった。


『ど、どうしますの!?』


 アクセル、マルティナ共に攻撃は不発。

 慌てふためきながら必死にハンドシグナルを送るマルティナに対し、アクセルは落ち着くように促す。


『大丈夫さ。僕に任せて』


 柔らかな笑みを浮かべるアクセル。

 仮面のせいでその表情はマルティナには見えなかったが、安心感を与えるにはハンドシグナルだけで十分だった。


『それじゃあ行ってくるよ。マルティナは巻き込まれないように離れておいてほしい』


『わ、わかりましたわ』


 彼我の距離、およそ五十メートル。

 こちらの位置は完全に把握されているようだが、関係ないとばかりにアクセルは一気にその距離を詰めていく。

 そしてアクセルは、彼が持つ切り札――伝説級レジェンドスキル『凍結世界フローズン・ワールド』を発動した。


 途端、アクセルを取り巻く周囲の時間が緩やかになっていく。

 空から舞い落ちる雪はなかなか地面まで辿り着けない。

 その落下速度は元の十分の一以下となっていた。


 まるで時間が徐々に凍りついていくかのような世界はアクセルによって生み出されていたのだ。

 時が、物質が減速した世界をアクセルは高速で駆けていく。

 この凍りつつある世界で唯一何の制限も受けないのは『凍結世界』を使用したアクセルのみ。


 アクセルが持つ伝説級スキル『凍結世界』は、時間さえも凍結させているかのように錯覚させる。

 その能力の効果は、スキル使用者を除く領域内のエネルギー減速。

 効果範囲と減速量は使用者の魔力量に依存し、対象となるものは運動エネルギー、位置エネルギーなど多岐に渡る強力なスキルであった。


(悪いけど、骨の一本や二本は頂戴するよ)


 水系統スキルの派生であるアクセルの『凍結世界』が、水を司る竜族プリュイに牙を剥こうとしていた――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る