第416話 積怨

 緩やかに進む時の中をアクセルは疾走する。

 いつの間にか右手の中には氷で造られた半透明の刃を潰した剣が握られており、みるみる内にフードを目深に被った少女――プリュイとの距離を詰めていく。

 その間、プリュイは身動ぎ一つせず、ただぼんやりと迫り来るアクセルを見つめているだけだった。


 故にアクセルは読み違えてしまった。

 勘違いをしてしまった。

 彼女は術中に嵌まっているのだ、と。


 両者の距離が縮まり、暗がりの中でも視認し合える距離まで達し、アクセルは跳んだ。

 氷の剣を冬の夜空に掲げ、容赦なくプリュイの肩口目掛けてそれを振り下ろす。


 殺傷力こそないが、戦闘不能に追い込むには十分過ぎる威力を持った重い一撃。

 アクセル以外の物体の動きを緩慢にする『凍結世界フローズン・ワールド』によって、回避不可・防御不可の必中の一撃を繰り出した――はずだった。


 左肩に吸い込まれていく氷の剣。

 しかし、プリュイにその剣先が触れた途端、氷の剣は砕け散っていった。


「なかなかに面白い芸当だったが、無駄だ。妾に水系統魔法は効かぬ」


「――ッ!?」


 驚愕のあまり、声にならない叫びを上げるアクセル。

 そんなアクセルに小さき魔の手が迫る。


 プリュイの小さな手が隙を晒したアクセルの首根っこを掴みにかかったのだ。


「――フッ!」


 危険を察したアクセルは寸でのところで身体を捻り、それを回避。身体を捻った勢いを上手く利用し、プリュイの頭部目掛けて渾身の回し蹴りを放つ。


「おっと」


 わざとらしい声を上げながらもプリュイは伸ばしていた手を引っ込め、上半身を後ろに反らす。

 アクセルが放った渾身の回し蹴りはプリュイの頭をほんの僅かに掠めたが、ダメージを与えるまでには至らない。その代わりに体勢を立て直す時間を得ることには成功していた。


 プリュイを飛び越え、その背中越しに着地したアクセルは即座に振り向き、次の攻撃に備える。

 が、アクセルはその姿を見て固まってしまう。

 掠めた回し蹴りがフードを剥ぎ取り、その姿を露にしていたからだ。視線の先にはマリンブルーの髪を靡かせた美しき女児が蒼い瞳をアクセルに向けていた。


「コ、ドモ……」


 ドワーフでもハーフドワーフでもなく、人間。それも年端もいかない女児だと勘違いをしたアクセルは硬直してしまう。


「……ん? ぬおっ!? 妾の美貌が露になってしまっているではないか!?」


 何度も頭や顔をペタペタと触りながらフードが剥げていたことに大騒ぎするプリュイ。

 とはいえ、元よりプリュイは素顔が晒されようが晒されまいがどちらでも構わないと思っていた。ただ単に『それっぽい、格好良い』という子供染みた理由から自身のフード姿を気に入っていたに過ぎなかったのだ。


 慌ててフードを被り直そうとしたプリュイだったが、その手をピタリと途中で止め、口元に笑みを浮かべた。


「ふははははっ! 見られてしまったのなら仕方がない! ここで貴様らを捕らえ、口を封じるしかなかろう!」


 憎き『義賊』を目の前にし、大層ご機嫌になっていたプリュイは開き直って悪役を演じることに決める。多少調子に乗ったところで勝利は確実なのだ。ならば煽りに煽って、この日この時まで溜まりに溜まった鬱憤をぶつけてやろうと考えたのである。


「さあ、かかってくるがよい」


「……」


 挑発するように手招きをするプリュイに対し、アクセルは未だに事態が飲み込めないでいた。


(あり得ない、信じられない。どう見ても相手は人間の子供だ。それも十二にも満たないだろう幼児。だけど、この子の実力は子供のそれとは考えられないのもまた確か。それに僕の『凍結世界』でさえもこの子には何故か通じなかった。一体この子は何者なんだ……?)


 頭の中に無数に湧いてくる答えのない疑問を抱えながらアクセルは再度氷の剣を造り出し、ぎこちない動きで剣を構える。

 だが、その構えは誰の目から見ても戦う意志が籠められていなかった。

 当たり前のようにプリュイはアクセルに戦う意志がないことをすぐに見抜き、指摘する。


「ふははっ。さては貴様、戸惑っておるな? 妾の外見に、そして妾の圧倒的な力に」


「……」


 図星を突いたプリュイの問い掛けにアクセルは固く口を閉ざす。

 問い掛けを無視された形になったが、プリュイはそのまま上機嫌に言葉を続けた。


「貴様が妾を幼児だと思っていることは業腹ものだが、妾は今機嫌が良いからな、今回だけは許してやらんでもない。何せ、今日は記念すべき日となるのだ。妾たちの縄張りを荒らしに荒らした貴様ら『義賊』とやらをようやく捕らえることができるのだから――なッ!」


 そう言い放った途端、蒼い瞳が獰猛なものへと変貌する。

 次の瞬間には視界からプリュイの姿が消え去り、アクセルの腹部に強烈な痛みが襲いかかっていた。

 腹部に走った衝撃と共に身体は宙に浮き、そのまま十メートル以上吹き飛ばされ、大木に背を打つ。


「――カハッ」


 肺から空気が全て吐き出され、地面に尻をついた時にはアクセルの口元からは一筋の赤い液体が流れ出ていた。


 あまりの痛みに意識が朦朧とする中、アクセルは再び『凍結世界』を発動。全魔力を注ぎ込む勢いで発動した『凍結世界』は周囲一帯の自身を除く万物のエネルギーを減速させ、時間感覚を五十分の一以下にした。その名の通り、凍った世界が生まれたのだ。


 しかし、そんな世界の中でもプリュイは苦もなく悠々と動き出し、アクセルへと迫る。


「言ったであろうに。妾に水系統魔法は効かぬ、と。――砕け散れ」


 パリンッ。

 ガラスが割れたかのような音と共に、アクセルが生み出した『凍結世界』が崩壊する。


「――ナッ!?」


 アクセルが驚くのも無理はない。

 プリュイが持つ絶対的な水への支配能力がアクセルの生み出した世界そのものを凍り付かせ、いとも容易く粉砕してみせたのだ。


 人と竜。

 そこには簡単には覆せない圧倒的な力の差が存在する。

 ましてやプリュイは水を司る竜族。水系統に属するスキルでプリュイを上回ることなど、いくらアクセルが魔法の才に恵まれていようが土台不可能だったのだ。


 氷の剣が駄目ならと慌てて火系統魔法を発動し、炎の剣を造り出すが、時既に遅し。

 プリュイはアクセルの顔面を仮面ごと掴み、その小さな身体からは考えられないほどの力でそのまま地面へと叩きつけた。


「――くはっ!」


 プリュイの握力によって仮面は粉砕され、アクセルの生の声が漏れ出る。

 そしてアクセルは全身を強く叩きつけられた衝撃で意識を手放した。


 糸が切れた操り人形の如く、ぐったりと力なく雪が積もった地面へと倒れ伏したアクセルに対し、更なる追い討ちをかけるようにプリュイは胸ぐらを掴んでその身体を持ち上げる。


「どれどれ……、貴様の顔をこの眼に焼き付けておくとしようか」


 顔を近付けたプリュイはまじまじと割れた仮面とフードの隙間から覗き見えたアクセルの整った容姿と白銀の髪を観察していく。


 観察を続けること数十秒が経ち、プリュイは口元に小さく笑みを浮かべた。


(くくくっ……、ようやく釣れたか)


 馬鹿な奴だと思いながらも、計画通りに捕獲対象が向こうからやってきたことにプリュイは心の中でほくそ笑んだ。


「……ソノテヲ、ハナシナサイッ!」


 怒りにうち震えるマルティナのノイズ混じりの声がプリュイの耳に飛び込んでくる。

 頭上を見上げると、そこには星明かり以外の燃え滾る炎による明かりがプリュイを赤く照らしていた。


「良いのか? それを放てば、此奴まで巻き込んでしまうぞ?」


 見せびらかすように意識を失ったアクセルを持ち上げ、プリュイは口元に嘲笑を浮かべる。


「オダマリナサイ!」


 頭上には幾百もの炎の矢が宙に浮かび、その矢尻は全てプリュイに向けられていた。

 しかしプリュイは余裕な態度を崩さない。

 仲間を助けに来たにもかかわらず、仲間を巻き込むような真似ができるはずがないと理解していたからだ。

 そして何より、その程度の炎では自身に火傷の一つすら負わすことは不可能だと断じていたのだ。


「くっくっくっ、ならばやってみるがいい」


「……ッ」


 脅迫にまるで屈しないプリュイの態度にマルティナは怒りに震えながら唸る。


 そのまま十秒、二十秒と二人の睨み合いが続いていたが、突然プリュイが飽きたといわんばかりの態度で目を反らした。


「あーあ、くだらん。時間の無駄だな。貴様の仲間を助けたいという気概は買ってやるが、実力を弁えろ」


「ナッ、ナンデスッテ!」


 からかい甲斐のある相手だったが、こうも何度も叫ばれて疲れるとプリュイはマルティナの相手をするのをやめ、戦いに終止符を打つ。


「はぁ〜……もう良い、大人しく眠れ」


 いつの間にかマルティナの足元には雪とは異なる白く小さな結晶が撒かれており、その結晶から急速に白い煙が立ち上がる。

 そして煙が一瞬にしてマルティナを包み込むと、煙が消えた後には地面に横たわるマルティナの姿がそこにはあった。


 マルティナの意識を奪った白い結晶と煙の正体はドライアイスと二酸化炭素である。

 プリュイ自体、何故白い結晶から発生する煙で意識を奪えるのか原理をイマイチ理解していなかったが、人間の意識を奪える便利な魔法として以前から重宝していたのだ。


「興奮し過ぎて煙を吸い込み過ぎてなければいいが……、まあ大丈夫か。さて、コースケたちはどうしておるか……」


 そう呟きながらプリュイは夜空を見上げる。すると、一筋の閃光が夜空を瞬かせたのであった。

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