第414話 白日の下に

 迫り来る二つの影を迎撃すべく、クリスタはスキルの使用に踏み切る。

 無色透明で仄かに甘い香りを漂わせる毒が山の傾斜をゆっくりと下っていく。


 クリスタが使用したスキルの名は伝説級レジェンドスキル『瘴気創出マイアズマ』。

 その能力は毒の生成・付与・放出・保有、毒の無効化、風属性魔法の威力・魔力効率の向上、魔力量上昇・特大である。


 ありとあらゆる毒を生成することができ、なおかつ強力な風系統魔法としても使用可能。

 毒と風、この二つの力を併せ持つこのスキルは、クリスタの高い戦闘能力を支える鍵となっていた。このスキル無しでは『七賢人セブンウィザーズ』第三席の地位を得ることはできなかったと自認しているほどだ。


 そんなクリスタが迎撃のために生成したものは、不殺の掟に則り、対象を一時的に昏睡状態に陥らせる神経毒。

 強力無比とまではいかないが、対象を殺すことなく戦闘能力を奪うという点に於いては、最良の選択。


 ――かのように思えたが、如何せん相手が悪すぎた。


(うげっ!? 全然効いてないし、しかも跳ね返えされちゃってるよ……。って、ヤバっ!)


 加減したとはいえ、無効化されるばかりか跳ね返されるとは想定外。跳ね返された毒が仲間たちに影響を及ばさないよう慌てて毒をかき消した。

 しかし、毒をかき消す僅かな時間が迫り来る二人に大きな時間を与えてしまう。


 クリスタとオルバーが身を隠していた太い枯れ木に二本の刃が突き刺さる。体勢を崩すほどの揺れは起きなかったが、二人に焦燥感を抱かせるには十分過ぎるものであった。


(やっぱり完全にこっちの位置がバレてる! こうなったら本格的に戦うしかないっ!)


『行くよ、オルバーくん!』


 位置が特定されてしまった以上、このままジッとしている意味はない。

 そう考えたクリスタはハンドシグナルでオルバーに迎撃の合図を出す。参謀のイクセルからの指示がない時には迅速かつ冷静な自己判断が必要だと日頃から口酸っぱくイクセルから言われていたこともあり、クリスタは行動に出ようとしたのだ。


 しかしオルバーからの返事は、クリスタの指示を拒絶するものだった。


『クリスタは待っててくれ。まずは俺が行ってくるからよ』


(……あちらさんの実力を測っておきたいしな)


『えっ? ちょっ――』


 ハンドシグナルだけでは事細かなやり取りはできない。

 思惑が全くわからないまま、オルバーはクリスタが伸ばした腕を掻い潜って木から飛び下りていった。




(……危うく真っ二つにされるところだったぜ。それにしても……こいつらは何者だ?)


 オルバーの背中には冷たい汗が流れていた。


 間一髪だった。

 落下の速度と体重、さらにスキルによって加重した大剣の一撃を容易く回避された挙げ句、着地した瞬間の隙を狙われ、反撃まで頂戴しかける有り様。


 英雄級ヒーロースキル『重量操作』の力がなければ、下半身と上半身が離れ離れになっていたとしてもおかしくはなかっただろう。

 オルバーの窮地を救った『重量操作』の能力は、読んで字のまま単純明快。物質の重量操作である。

 スキルの使用者、または使用者が触れた物質の重量を操作するこの能力を使い、一時的に自身の体重をほぼゼロにし、まるで風に巻かれた木葉のようにふわりと紅介の一撃を回避してみせたのだ。


「……アブネェ、アブネェ。ユダンモ、スキモ、アッタモンジャネェナ。――オマエタチハ、ナニモノダ?」


 想定を遥かに超えた相手の実力に困惑を隠し切れず、オルバーは掟によって標的との会話を禁じられていることを忘れ、つい口を開いていた。


「傭兵だ。それ以下でもそれ以上でもない。そんなことより、お前たちが噂の『義賊』で間違いないか?」


 フードを目深に被った男から返ってきたのは素っ気ない言葉と『義賊』というワード。

 そのワードを訊いたオルバーは心の中で嘲笑した。


(はんっ、俺たちが『義賊』とはねぇ。そんな崇高なもんじゃねぇって言うのにどいつもこいつも……。勘弁してほしいぜ)


 彼ら『七賢人』は、自ら『義賊』と名乗ることも『義賊』だと思ったことも、これまで一度として無かった。

 これは全員の共通見解であり、共通認識だ。

 民衆がこぞって『義賊』と呼んでいることは百も承知だったが、肯定したことは無いし、するつもりも彼らには当然無い。

 彼らはただ『ある目的』のために、貴族から金銭を盗み、手に余った盗品を民衆に配って回っていただけに過ぎないのだ。

 標的を悪徳貴族に絞っているのも、所詮は良心の呵責から逃れるため、そして良心ある貴族まで敵に回さないようにすることで、お目こぼしを期待していただけであった。


 故に、オルバーは『義賊』であると断言はせず、曖昧な言葉を選んだ。


「ソウダ、トイッタラ、ドウスル?」


 肯定するでも否定するでもなく、ただ問い掛けるだけで留めた。


「まずは捕まえる。話はそれからだ」


(どうやら戦いは避けられそうにねぇな。イクセルからの指示もなし、か。とりあえずはできるだけ時間を稼ぐとするかねぇ……)


「オマエタチニ、オレタチヲ、ツカマエラレルカネェ?」




 二人の間で睨み合いが続く。

 精神的な疲労は溜まる一方だが、時間稼ぎの手段としては及第点。問題はオルバーの精神力が持つかどうかと、相手がこのまま睨み合いに付き合ってくれるか否かにあった。


(このままじゃ埒が明かねぇ。それにマルティナとアクセルの方も心配だ。一体、イクセルとリーナは何処をほっついてやがる)


 相手が化物染みた実力を持っていたとしても、全員が集まれば数的優位に立てる。加えて、アクセルとカタリーナが揃えばどんな化物が相手だろうと勝てるだけの自信がオルバーにはあった。

 だが、いくら待てども増援の気配はない。

 精神的な疲労が蓄積して始めているオルバーにとって、この睨み合いの時間は数倍……いや、数十倍にも引き伸ばされているかのような錯覚に陥っていた。


 そして、オルバーの緊張の糸が切れかけようとしていたその時、待機を言いつけたはずのクリスタから援護射撃が放たれる。


 毒を圧縮し、封じ込めた風球が睨み合いを続けていた男に降り注ぐ。

 しかし――、


「――させないっ」


 援護射撃も虚しく、一対一の構図が二対二の構図へと変わっただけであった。

 しかもそれだけではない。

 その後に続いた女の言葉はオルバーに、そしてクリスタに衝撃と恐怖を与える。


「貴女の相手はわたしだよ、クリスタ」


(……今、何て言った?)


 無意識の内にオルバーは瞳を見開き、全身を粟立たせる。それはクリスタも同様だった。


「……クリスタ? クリスタってまさか……?」


「うん、あのクリスタだよ。見覚えのある魔力だと思っていたけど、今の魔法を見てようやく誰の魔力なのか思い出せたの」


 二人の会話を訊き、信じたくない、信じられないという思いがオルバーの心の中で渦巻く。


(おいおいおい! どういうことだ!? 見覚えのある魔力? こいつらは何を言って――いや、そんなことはどうでもいい! クリスタの正体がバレちまった以上、こいつらは絶対に生かしちゃおけねぇ!)


 不殺の掟がオルバーの脳裏に一瞬ちらついたが、冷静さを欠いたオルバーはそれを振り払い、ただがむしゃらに、スキルを使うことすらも忘れて大剣を振りかぶっていた。


「――オリャアアアアッ!」


 鼓膜を破かんとばかりの雄叫びを上げ、オルバーは力任せに大剣を降りおろす。

 だが、感情だけしか籠められていない攻撃など通用するわけもなく、戦いは呆気なく幕を閉じる。


 大剣を振り下ろしたオルバー喉元には、紅く鋭い刃先が突き付けられていた。


「――動くな。動いたら容赦はしない」


 感情に身を委ねた故の敗北。

 相手は闇稼業も厭わないであろう傭兵。僅かでも動けば容赦なく首を搔っ切られてしまうだろうことは想像に難くない。

 紅介とディアが学院生であり、かつ同じクラスメイトであることを知らないオルバーは自ずとそう結論付けていた。


 オルバーにできることはクリスタの戦いを、その行く末を見届けるだけとなった。

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